第10回 ことば。
糸井 谷川さんとこうして話していると、
共感したり、うれしかったり、おもしろかったり
いろいろなんですけど、
妙に「ありがたい」という気持ちがあるんです。
というのは、まぁ、谷川さんは大先輩ですし、
ぼくとは歩んできた道も違うし、
賭けてきたものもぜんぜん違いますから、
こういうことを言うのはおこがましいんですが、
「こういうことを言ってくれる人が
 自分以外にも、いてくれることがありがたい」
っていうふうに、思っちゃうんです(笑)。
谷川 いや、それは、わかりますよ。
ぼくも糸井さんの言動に共感しますから。
あの、広告の世界ってね、
まぁ、ボディコピーやコンセプトは
きっとたいへんな物量だと思うんですけど、
目に入るキャッチコピーの部分というのは
けっこう無口ですよね。
糸井 そうですね。
谷川 うん。無口の側に属している。
つまり、詩の側なんですよ。
それで、たぶんぼくは、
糸井さんに共感するんだろうと思うんですよね。
糸井 ああ、たしかに、
その部分の仕事は無口です。
谷川 無口でしょ。
で、無口でも、ことばは、
ちゃんと存在してくれないといけない。
糸井 はい、そうですね。
どれだけことばを減らしていくか、
ことばを減らしているのに届く、
というところに持って行くか。
谷川 うん。
考えてみると、日本人って、
本来はわりと「沈黙は金」という態度の
人たちだったと思うんですよ。
糸井 そうですね。
谷川 黙っていることがいいっていうのは、
ぼくの印象では、戦後、
アメリカ文化が入ってきたときに、
もうほとんど失われかけていたと思いますね。
あの、向こうの人の文化というのは
とにかく言語化しなきゃいけないというもので、
なにか不満だったりすると、
ことばにしてちゃんと伝えなきゃいけない、
というふうに考えるわけです。
糸井 はい。
谷川 でもね、はたしてそんなに簡単に
すべてをことばにできるものかどうか。
たとえば子どものころに、親は
「不満があったら、ちゃんとことばで言いなさい」
って言うわけですよね。
でもね、自分の子どものころを思い出すと、
なにが不満か、自分でもよくわかんなくて、
むずがったりするじゃないですか。
意識下でいろんなものが働いている子どもは
「ことばで言えたら苦労しねぇよ」って
きっと思ってるんですよね。
糸井 うん、うん(笑)。
谷川 それが、戦後は、
「ことばにする」ということが
過剰によしとされているというか。
なんか、民主主義というのは討論が必要だとかさ、
ディベートがどうとかさ、とにかく、
「ことば」「ことば」っていうふうに
なっていると思うんですよね。
糸井 ことばにしないと安心できないというのは、
大きい意味では、貧しいんでしょうね。
ことばにしなくても、平気でやりとりして、
生きていけるというほど豊かではない。
それは、物理的な豊かさのことではなくて。
谷川 そうなんですよね。
糸井 そういった意味では、
『谷川俊太郎質問箱』も、
『小さいことばを歌う場所』も
『思い出したら、思い出になった。』も
けっこう、無口な本で。
なんでもことばにはできないぞという
前提からことばを発しているような気がします。
谷川 うん。その距離感は、似てますね。
糸井 もう、こういう話を谷川さんとしていると
本当に楽しくてキリがないので、
無理矢理に締めていくしかないんですが(笑)。
谷川 (笑)
糸井 すいません、いつもこういう、
わやわやしたお話におつき合いいただいて。
谷川 いえいえ(笑)。
糸井 今日もたいへんおもしろかったです。
あの、谷川さんは、詩に関して、
今後どうしようとか、現役でずっといようとか、
そういうことって、考えたりするんですか?
谷川 うーん、糸井さんの歳のころには、
意識したかもしれないですけど、
いまはもう、そういうことは、
ぜんぜん意識しなくなりましたね。
糸井 「楽しい」っていう感じは?
谷川 もう、年とればとるほど、ありますよ。
糸井 ですよね、きっと。
ぼくも、同じように言いたいけど、
それは、たぶん‥‥違うんだろうな。
谷川 だけど、時代はますますきつくなっていますよ。
糸井 そうですね。
谷川 だから「時代に負けずに楽しくある」ことが、
けっこうたいへんですよね。
糸井 はい。
  (谷川俊太郎さんとのお話はこれで終わりです。
 お読みいただき、ありがとうございました)

2008-05-01-THU



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