連載が長くなるにつれて
ひとつの大きな物語をかたちづくっていくことがある。
読む人たちは各回のエピソードと
全体の大きな流れの両方をたのしむことができる。
キューライスさんの作品のなかでも、
『チベットスナギツネの砂岡さん』や『悲熊』など、
そういう傾向があるものは多いと思う。
基本は毎回のエピソードをおもしろがりながらも、
だんだんキャラクターが増えていったり、
過去や設定が明かされたりすることをたのしむ。
『すず色のモーニャ』も
そういう感じなんだろうとぼくはうっすら思っていた。
けれども、連載がはじまってからわりと早い段階で
「いつもの感じ」ではないことに気づいた。
抽象的な言い方になるけれど、
『すず色のモーニャ』はどことなく
「物語が先を急いでいる」のだ。
といっても、
びゅんびゅん話が進むというわけではない。
キューライスさんならではの独特の間や、
そんなところにたっぷりコマをつかいますか、
というような場面はもちろんある。
とりわけ、ドロシーの飼い犬のトトがしゃべりだすと、
コマの無駄遣いが加速するのがたまらない。
トト、ほんと、おもしろい。
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作者にはおそらく目的地が
見えているのだということが
読みながらはっきりと伝わってくる。
気を抜くとその道すじを外れてしまうから、
横道や行き止まりのおかしさを表現しつつも、
目指す場所に向かって歩を進めることを
いつも意識しているように感じられる。
『すず色のモーニャ』の底には、
物語がずっとあるスピードで流れている。
キューライスさんの作品を読んでいる人ほど、
なにかこれはいつもと違うぞ、とうっすら感じる。
そしてそれは、展開の多さや進行の速度ではなく、
たとえば切なさの表現となってにじみ出る。
大きく流れる物語特有の、ちょっと切ない感じが
『すず色のモーニャ』という物語の
あちこちにアクセントをつける。
![画像](images/p_02/02.jpg)
![画像](images/p_02/03.jpg)
この物語を速く描ききりたかったのだと思う。
息継ぎせずに泳ぎきりたかったのだと思う。
つい寄り道したくなる自分をおさえて、
モーニャとドロシーの運命を
最後まで導いてあげたかったのだとぼくは思う。
そういった、物語の根っこのところに流れる、
ある種の性急さのようなものが、
この『すず色のモーニャ』という物語を
かけがえのないものにしているのだ。
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キューライスさんの作品にしてはめずらしい
「長編」の漫画なのだけれど、
そうはいっても、この1冊で完結する。
ほかの漫画に比べれば、
短いとさえいえるかもしれない。
だから、これ以上、先の話は具体的にはもう書かない。
(ていうか書けない)
かわり、ひとつ、エピソードを。
連載中、物語が思わぬ方向へ展開していって、
ぼくはどきどきしながら更新を待っていた。
そして、ある回の最後のところで、
びっくりしてしまった。
ぼくは以前、キューライスさんに
お仕事をお願いしたことがあったので、
連絡先を知っていた。
それで、漫画の読者としては
ちょっと反則だと思うのだけれど、
思わずキューライスさんにメールを出した。
反射的なメールだったから
「驚きました」という程度の短い文面だった。
ほどなくして返ってきた、
キューライスさんからの返事も短かった。
「辛いです。」とそこには書いてあった。
そういう物語を、
キューライスさんは描ききったのだと思う。
長くなってしまって、すみません。
もうすこし語りたいことがありますので、
あと1回分、続けますね。