自分がやってきたこととは
ある意味では対極でもあり
究極でもありますね。
デザインって
例えば1本の線を決めるにしても
線を1本引いちゃうと、
そこにはすでに線という幅があります。
究極には
その線の内側なのか
外側なのか
真ん中なのか、
どのへんなのかっていうことを
突き詰めていく作業なんですよね。
そうすると
たかしまさんが作っているような
味わいとか本来の人間性とか、
そういうものが知らないうちに
死んでいくことがあるなあと
今日ちょっと思いました。
ブタフィーヌさんを描く時は
描き直しなんかはしないんでしょう? |