第3回 想像を遥かに超える、ということ。

糸井 いま取り組んでいるプロジェクトは‥‥。
クリスト コロラドの「オーバー・ザ・リバー」と
アブダビ砂漠に
41万個のドラム缶を積み上げてつくる
「マスタバ」です。

後者は、1977年から取り組んでいます。
マスタバ、アラブ首長国連邦のプロジェクト
2枚組のコラージュ 2008年 30.5 × 77.5cm/66.7 × 77.5cm
糸井 そんなに昔から。
クリスト 先ほども少し話しましたが
「オーバー・ザ・リバー」というプロジェクトは
コロラドのアーカンサスという川の上に
9.5キロに渡って
銀色の布を張っていくというものです。
糸井 今の段階では、まだ、許可は出ていないんですよね?
クリスト はい、ですが、この数日、あるいは数週間のうちに
許可が出るのではないかと思っています。
糸井 季節は、2014年の‥‥「夏」ですか?
クリスト はい、夏のプロジェクトです。

その大きな理由は、
夏が「川下りすることのできる季節」だからです。
糸井 ああ‥‥。
クリスト 当局には
「年次はいつでもいいので、
 8月の最初の2週間の間にやらせてほしい」
と、申請しています。

もし、この数週間以内に承認されるとした場合、
もっとも早い実現可能な時期が
「2014年8月の最初の2週間」なのです。
糸井 やはり、2年くらいかかるんですね。
クリスト ええ、このプロジェクトのための資材を調達し
設置するのに、それくらいは。
糸井 はー‥‥。
クリスト まず「1000枚近くの布」を用意する
必要があります。

そして、アーカンサス川の流れに沿って
張り巡らしますから
それらの布は、
すべて異なったサイズ、異なった形状です。
糸井 それは‥‥ものすごいことです。
クリスト 約36マイル(約58キロメートル)ほどの
ワイヤーを準備する必要もあります。
糸井 ええ、ええ。
クリスト そして、もっとも時間のかかる作業が
9000本のアンカーを
地中3〜10メートルに打ち込むという作業です。

アンカーは、とても小さなものなのですが、
非常に正確な位置に
打ち込まなければならないのです。
糸井 そういう作業を、2年間もかけて。
クリスト 現場が1500メートルを超える標高なので、
冬のあいだは雪がつもり
作業をすることができないこともあります。
糸井 夏、冬‥‥はっきりと「季節」のある
プロジェクトなんですね。
クリスト 私たちのプロジェクトは
すべて「季節」に関連づけられています。

たとえば、セントラルパークに
7503基の「布を垂れ下げた門」を設置した
「ゲート」は、
冬のプロジェクトです。

木立から葉がすべて落ち枝だけになる‥‥ことが
プロジェクトの前提になっていましたから。
糸井 それは、どういった理由で?
クリスト 公園の木立に葉が茂った季節では、
それらに景観が遮られ、
遠くまで続く「ゲート」を見とおすことが
できないからです。
ゲート、ニューヨーク市、セントラルパーク、1979-2005
総延長37km、ゲートの高さ4.87m
ナイロン布を垂れ下げた7,503基の樹脂製ゲート、16日間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
糸井 なるほど。
クリスト あるいは、マイアミで実現した「囲まれた島々」は
かならず、春にやらなければならなかった。
糸井 いくつもの島をピンクの布で囲った、あの。
囲まれた島々、フロリダ州グレーターマイアミ、ビスケーン湾、1980-1983
585,000平方メートルの水に浮くポリポロピレン布、
14日間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
クリスト なぜなら、夏になってしまうと
あのへんは
ハリケーンに襲われる可能性があるのです。
糸井 そうか‥‥そうですよね、
自然現象も考慮に入れる必要があるんですね。
クリスト 先ほども言ったように、
「オーバー・ザ・リバー」の季節は、夏。

その季節なら
アーカンサス川の脇の道を車で走りながら
1時間半かけて
「上」から眺めることができるだけでなく、
ボートで川下りしながら
数時間かけて
「下」から見ることも、できるからです。
糸井 何人くらいが見に来ると、想定していますか?
クリスト 「オーバー・ザ・リバー」に?
糸井 はい。
クリスト おそらく‥‥50万人ぐらいじゃないかと。
糸井 そういったことは、あまり考えないですか。
クリスト 見物客の数を予想することは、ほとんどありません。
糸井 興味がない?
クリスト プロジェクトによって、制約がありますから。

つまり、北カリフォルニアの牧場や農場に
およそ40キロに渡って
高さ5.5メートルのナイロン製フェンスを建てた
「ランニング・フェンス」や‥‥。
ランニング・フェンス、カリフォルニア州ソノマ郡とマリン郡、1972-76
高さ5.5m、全長39.4km、
200,000平方メートルのナイロン布、145kmのスチールケーブル、
14日間の展示
写真:ジャンヌ=クロード
糸井 ええ。
クリスト カリフォルニアと日本の茨城県の双方で
高さ6メートル、
直径8.66メートルの大きな「傘」を
合計3100本、立てた「アンブレラ」と同様、
「オーバー・ザ・リバー」は
「郊外型プロジェクト」と言うことができます。
アンブレラ、日本=アメリカ合衆国、1984-91
総延長、茨城側19km、カリフォルニア側29km、
傘の高さ6m、直径8.66m
茨城側1,340本(青色)、カリフォルニア側1,760本(黄色)、
18日間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
糸井 はい。
クリスト それに対して、大都市の内部で行った
「ゲート」には400万、
「包まれたライヒスターク」には500万の人が
見に来てくれました。

ですから、見物客が何人くるだろうというのは、
あまり考えることではないんです。
糸井 では、プロジェクトの「発想」というのは
どこから来ると思っていますか?
クリスト たとえば‥‥「オーバー・ザ・リバー」の
大もとのアイディアが生まれたのは
1975年から10年の時間をかけて
実現にこぎつけた
パリの「包まれたポン・ヌフ」の作業途中でした。
糸井 それは、どのような意味で?
クリスト これは、
セーヌ川にかかるパリ最古の橋ポン・ヌフを
ベージュの合成繊維の布で
包んだプロジェクトなのですが‥‥。
包まれたポン・ヌフ、パリ、1975-85
40,876平方メートルのポリアミド布、13,076mのロープ、
14日間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
糸井 はい。
クリスト ポン・ヌフを包んでいる作業の真っ最中、
作業の過程で
一時的に「川の上に布が水平に張られた状況」が
生まれたのです。

その光景を、私とジャンヌ=クロードは
川に浮かべた舟から、
つまり「下側のほうから眺めていた」のです。
糸井 ええ、ええ。
クリスト ちょうどそのとき、
布を通して、太陽の陽射しが見えました。
糸井 ‥‥はい。
クリスト そのときに見た光景が、それから7年後に
「オーバー・ザ・リバー」
というプロジェクトとなって蘇ったのです。
糸井 そうだったんですか。
クリスト もちろん、このことは
あくまで「オーバー・ザ・リバー」の場合。

「ランニング・フェンス」には別の出発点があるし、
「ゲート」にもまた別の出発点があります。
「囲まれた島々」にもまったく別の話がありますし、
「ライヒスターク」にも、また違うきっかけが。
糸井 それぞれ、なんですね。
クリスト 別に秘密にしているわけではないので
それらすべてを
説明することもできるのですが‥‥それをやるには
あまりに時間が足りません。
糸井 いや、そうだと思います(笑)。
クリスト でも、ひとつ言えることがあるとすれば
プロジェクトの発想は
基本的に、
自分たちの「内側」から出ている‥‥ということ。
糸井 ‥‥なるほど。

「オーバー・ザ・リバー」の許可が下りるのを
お祈りしています。
クリスト 下りると信じています。

すでに1000万ドル(約8億円)以上のお金を
費やしていますので‥‥。
糸井 どんなふうになるんだろう?
クリスト どのプロジェクトのときもそうなんですけれど、
ジャンヌ=クロードと、いつも言っていました。

想像を、遥かに超えていたねって。
糸井 ほう。
クリスト これほど美しい作品になるなんて
ぼくたち、
ぜんぜん想像できていなかったね、って。
  ※その後、2011年11月10日に
 米当局がアーカンサス川の使用を正式に承認しました。
<おわります>

COLUMN クリストとジャンヌ=クロードを間近で見てきた 柳正彦さんに訊く  03  プロジェクトの思い出。

1987年の「アンブレラ」以降、
クリストとジャンヌ=クロードのプロジェクトに
深く関わるようになった柳正彦さん。

そのなかでも、思い出深かったエピソードを
いくつか教えていただきました。

 

「ゲート」(2005)

「ニューヨークのセントラルパークに
 布のはためく門を7503基、立てたプロジェクト。
 2005年2月12日の朝8時45分に
 門の上部に丸めておいた布を一斉に開いて
 作品を完成させる予定が、
 前日の夜中に、1基だけ開けちゃったんです。
 誰かが、いたずらで。
 それを聞いたスタッフは「えーっ!」とか言って
 焦ったんですね。
 当然クリストも怒るだろうと思っていたら
 彼は、そのアクシデントを、すごく喜んだんです。
 それほどまでに
 ゲートが開くのを待ち望んでいたんですよ」

ゲート、ニューヨーク市、セントラルパーク、1979-2005
総延長37km、ゲートの高さ4.87m
ナイロン布を垂れ下げた7,503基の樹脂製ゲート、16日間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
 

「包まれたライヒスターク」(1995)

「ドイツのライヒスタークを包んだときは
 10万平方メートル、
 建物の表面積の約2倍の布を使っているんです。
 その『余裕』を利用して
 作品表面のプリーツを表現しているんですが、
 デザイナーの三宅一生さんも
 見に来てくれたんですね。
 当時、一生さんは
 プリーツが特徴のライン『プリーツ・プリーズ』を
 完成させた数年後。
 そこで、美しいプリーツというものが
 いかに大量の布地を必要とするか‥‥について
 クリストと話し合っていたのを覚えています」

包まれたライヒスターク、ベルリン、1971-95
100,000平方メートルのポリプロピレン布、
15,600mのロープ、14日間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
 

「包まれたポン・ヌフ」(1985)

「パリにポン・ヌフを見に行ったとき、
 ぼくはまだ
 クリストの仕事に関わっていませんでした。
 緊張しながら橋のほうへ歩いて行くと
 だんだん欄干なんかが見えてくるわけです。
 それが、
 金色がかったベージュの布に包まれていて‥‥
 本物を見たときの、あの感動。
 ようやく、ようやく、たどり着いたなぁって。
 美しかったです。
 その後、クリストと一緒に仕事をすることに
 なりましたけれど、
 クリストとジャンヌ=クロードの作品は、
 単なる見物人として観るのが
 いちばんいいんじゃないだろうかって‥‥
 じつは、思っているほど」

包まれたポン・ヌフ、パリ、1975-85
40,876平方メートルのポリアミド布、13,076mのロープ、
14日間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
 

現在「オーバー・ザ・リバー」と「マスタバ」を
同時進行させているクリストさん。

前者は無事に当局から許可を得ることができ、
はやければ2014年の8月には
「単なる見物人」として
クリストさんの作品を見るチャンスが、やってきます。

しかし、1997年に提案し翌1998年にスイスで実現した
「包まれた木立」以降、
新プロジェクトを提案していないと言います。

「オーバー・ザ・リバーの申請が許可された今、
 そろそろ
 次の新しいプロジェクトをと、期待しています。
 そうするためのエネルギーや
 アイディアは、まったく衰えていませんから」
(柳さん)

ちなみに
1961年から2009年までの49年間に実現した
プロジェクトの数は「24」。

一方、さまざまな理由で途中放棄された
プロジェクトは「45」以上。

その「失敗作」の大半が
「紙上での構想の域を出ることなく終了した」ものと
「実現へ向け動き出したが、
 許可を得ることができなかった」ものだそうですが
どちらにも属さないものがひとつだけ、あります。

1975年に開始された
スペインでの「包まれたクリストファー・コロンブス像」の
プロジェクトが、それ。

バルセロナ市長からの実行許可も無事に勝ち取り、
作業スタッフも資材も現場で待機していたのに
クリストとジャンヌ=クロードは
ついにあらわれず、
代りにキャンセルの電話だけが、入ったそうです。

理由は「関心がなくなったから」というもの。

「ファンや関係者を大いに落胆させたでしょうが、
 自分たちを感動させるプロジェクトだけを
 行うのです‥‥という
 クリストとジャンヌ=クロードの一貫した姿勢を
 裏付ける行動だと思います」
(柳さん)

<ほぼ日・奥野>

柳正彦(やなぎ・まさひこ)

東京都出身。
ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院
修士課程修了。
在学中より、日本およびヨーロッパの美術関連の執筆や
展覧会の企画、コーディネイトを行う。
1980年代中頃から
クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして
プロジェクトの準備、実現に関わる。
著書に、
クリストとジャンヌ=クロード各作品の解説はじめ
本コラムで紹介したエピソードなども掲載した
『クリストとジャンヌ=クロード
 ライフ=ワークス=プロジェクト』
がある。
2011年、上野・池之端に
現代美術と工芸の展示スペース+ブックショップ
『ストアフロント』をオープン。
クリストさんと糸井の対談では通訳もしてくださいました。

2011年9月27日 東京藝大での講演会のようすはこちら。
※公開期限は終了しました。
2011-12-22-THU