糸井 |
ぼくは、歳をとってから、
「いちばん乱暴なことを言うのは、
ぼくら年寄りの役目だ」っていうふうに
思うようになったんです。
|
ジル |
「乱暴なこと」?
|
|
糸井 |
うん。
言い方を変えると、それは、若い人に向かって
「怖くないよ、大丈夫だよ」って言う役割です。
|
ジル |
ああ、なるほど。
|
糸井 |
若いころ、たくさん仕事をしているときって、
いろんなことが、怖いんですよ。
|
ジル |
ああ、そうですね。
|
糸井 |
ジルさんはもう、
ほとんどのことが怖くないでしょう?
|
ジル |
はい(笑)。
やはり、竹馬で、そうとう
アクロバティックなこともやりましたし、
もう、死んでてもおかしくないような
運命だって経験しましたから。
|
|
糸井 |
うん。
|
ジル |
私はそういうことを乗り越えてきた。
ですから、ひょっとしたら、
私は不死鳥かもしれない(笑)。
|
糸井 |
いいねぇ(笑)。
|
|
ジル |
はははははは。
かつて、作家のウンベルト・エーコが、
ラファエロの描いたピエタ(キリスト)について、
こんなふうに書いてました。
聖母がキリストを抱いている。
そのキリストは、なぜ死ぬんだろう?
神の子だったら死なないはずなのに、
そして、いつ死なないということになるんだろう?
一方、私は、こんなふうに思うんです。
アクロバットを演じるアーティストが、
「死」とすれすれの演技をする。
そして、死なないで戻ってきたとき、
はじめて「死なない」ということがわかる。
「死」というのは存在しないんだということを
はじめて考えることができるのは、
そのときなんです。
|
糸井 |
うん、うん。
|
ジル |
ですから、私は、もう、
「死のようなもの」を何度乗り越えたでしょうか?
2000回くらい? いや、5000回でしょうか?
そのくらいは、やったでしょう。
もう、十分にやったので、私はいま、
死というのは存在しないと思ってます(笑)。
|
|
糸井 |
なるほど。
|
ジル |
たとえば、この写真を見てください。
これは、若い頃、まだ髪が黒かったころの私が、
竹馬でトレーニングしているときの写真です。
まだ、シルク・ドゥ・ソレイユが
結成される前のころですね。
|
|
糸井 |
うわー、これは、すごいね(笑)。
|
ジル |
「死の跳躍」です。
|
|
糸井 |
はーーー。完全に逆さまになってる。
|
ジル |
何度も何度もやりました。
ですから、私にはたぶん、死は存在しない。
|
糸井 |
ジルさんは、もうひとつの世界を持ってるんだね。
それが「乗り越える」ということ。
|
|
ジル |
はい。
|
糸井 |
日本にはね、「還暦」っていうことばがあって、
60歳になると、赤ん坊に生まれ変わるっていう
言い伝えがあるんですよ。
|
ジル |
へぇ、そうなんですか!
|
糸井 |
うん。
で、ぼくも還暦を迎えてから、
「死」というものについては
だいぶ、考えるようになってね。
たとえば、同じくらいの歳の友だちは、
「自分にはもう、あんまり時間がないから、
いろんなことを一所懸命やるんだ」
って言うんですね。
つまり、死ぬまでにあまり時間がないから。
ぼくもね、そう思ったときはある。
だけど、いまは、そうじゃなくて、
こういうふうに考えている。
「100歳とかじゃなくて、
1000歳まで生きるつもりで、
いまを生きたほうがいいんじゃないか」。
そんなふうに思いはじめたんです。
|
ジル |
‥‥はい。
|
糸井 |
もしも死んじゃったら、死んじゃったで、
1000歳まで生きる予定だった人が
そこで死んだだけのこと。
そういうふうに思うことにした。
だから、時間がないって言い方はしない。
|
|
ジル |
私の考えは、こうです。
私の体は、たぶん死ぬでしょう。
|
糸井 |
うん、うん。
|
ジル |
でも、私の考えは、たぶん、私の子どもたち、
それから、孫の中で続いていくでしょう。
私の父が、私の思い出の中で生きてるように。
|
糸井 |
うん。
|
ジル |
私の父は、私といっしょに生きてきました。
ですから、私といっしょにいます。
私が父親のことを考えるとき、彼はいます。
|
糸井 |
うん。
|
ジル |
父がいないときに、父のことを考えます。
そうすると、ここにいるんです。
父は、体はないけれども、考えるだけでいるんです。
いろんな瞬間、いっしょに生きた瞬間を思うだけで。
お母さんのことも同じです。
ときどき、お母さんのことを考えて寂しくなります。
私は、彼女としゃべりたいんです。
彼女は、私の中に生きてます。
私がお母さんのことを考えるから
彼女は生きてるんです。
そういうビジョンを私は持ってます。
|
糸井 |
うん。
|
ジル |
つまり、こういう意味です。
意識というのは、ひとつのレベルだけではない。
それは、ときどき、あるいは毎日、やって来て、
こうやってテーブルを叩く。
|
|
糸井 |
ああ(笑)。
|
ジル |
別のレベルがあるんです。
|
糸井 |
うん。
|
ジル |
糸井さんなら、答えてくれるでしょう。
ねぇ、糸井さん、
‥‥どうしてこういうことが起こるんですか?
|
糸井 |
うーん(笑)。
|
|
ジル |
たとえば、私にとって妻は近い存在です。
ある日、ふたりで、
「映画でも観に行こうか?」って計画します。
2分後、妻が「この映画にしようか」
って言うんですが、それは、まさに、
私が提案しようとして映画で、
彼女は私の考えを読んだのかな、と思うんです。
|
糸井 |
あー、あります。
|
ジル |
そういうときの彼女は、怖いんです。
なんでも読めるんです、彼女は。
それは‥‥ちょっと怖い。
|
糸井 |
(笑)
|
ジル |
はははは。
|
|
糸井 |
そういうので言うと、ぼくにはこんな経験がある。
日本では、家で食事するとき、
こういうお茶碗にご飯を盛って食べるんだけど、
一杯のご飯を食べ終えて、おかわりするときにね、
妻が盛ったほうが、自分にちょうどいいんです。
自分で盛るとちょうどいい量にならないんだけど、
妻が盛ると、ぴたりと当たるんです。
|
ジル |
ああーー、それはいいお話です。
|
糸井 |
それは、不思議なんですよ。
やっぱり、自分のことを
自分ではわかってないんですよ。
|
ジル |
ちなみに、私の妻は、
どうやら私にもっと太ってもらいたいみたいで、
いつも大盛なんです。はははは。
|
糸井 |
(笑) |
|
|
(つづきます) |