ジル ベーサンポールからケベックまで、
竹馬で100キロを歩いたあの経験は、
やはり、特別なものでした。
何時間も、何時間も、かかりましたし、
私は、ひとりだったんです。
もちろん、道行く人たちとはしゃべっていましたが、
それでもやっぱり、ひとりでした。
糸井 ああ。
ジル 私はときおり考えました。
いったいなにやってるんだ、自分は?
なんでこんなことやるって決めたんだろう?
なんで、歩くんだろう?
なんで、こんな距離を歩かなきゃならないんだ?
──鳥が飛んでました。
鳥は、私の目の高さで飛んでました。
私はそのとき、自分が鳥になったように感じました。
糸井 つまり、竹馬に乗っていて、
目の位置が高いから。
ジル そうです。
あのとき、私の目の高さは、
地上4メートルぐらいあったんです。
鳥は、そのぐらいの高さを飛ぶんですよ。
旅の途中のある日、山を越えたんです。
それは、高い山でした。
地上4メートルの視点で、坂道をのぼり、
とうとう、その山を越えた。
そのとき、私は飛ぶように山を越えた。
いま、鳥の目を持ってる、と思った。
糸井 その瞬間に。
ジル そう、人とは違う視点を得たんです。
ずっと、一日中、鳥の高さで見ていたから。
そこには、周囲がずっと広く見える、
大きなビジョンがあるんです。
そこには別の展望がひらけます。
私は、ほんとうに感動しました。
それは、そういうふうに
見ることができるようになるとか、
そういうことではないんです。
突然、感動がやってきたんです。
何時間も、何時間も、鳥の視点で世界を見ていたら、
頭のなかに、そのビジョンがやってきたんです。
私は、世界を別の目で見ることができた。
糸井 うん、うん。
ジル そのビジョンはまだ私のなかに残ってます。
ときどき、ああ、これはいいなぁ、美しいなぁ、
というものの出会うと、その見方で見てみます。
すると、別の展望が現れてくる。
糸井 それは、ひとりでいる時間だということが
とても関係ありますね。
ジル その通りです。
私ひとりだと、見えるんです。
糸井 ぼくの今回の経験もそうなんですけど、
人が、旅をしているときに、考えることや
思いつくことがたくさんあるっていうのは、
やっぱり、ひとりでいて、
何もしていない時間があるからですよね。
ジル 重要です、それは。
糸井 最近行かれた、インドでもそうでした?
ジル そうです。
ひとりで、やりたいことを気ままにやる。
もう、目も耳も何もかも、気ままにさせておく。
糸井 とっても、よくわかる。
ジル ふふふふ。
(周囲のスタッフに向かって)
──みなさん、お茶は?
コーヒーもありますよ?
糸井 いただいたら(笑)?
ジル どうぞ、どうぞ。
おやつの時間にしましょう。
一同 (笑)
糸井 あのね、科学者や、政治家や、実業家は、
たしかに世の中をつくってきたと思うんです。
でも、その元になるイデアというのは、
詩人がつくったんだとぼくは思うんです。
詩人だけが、ほんとうの跳躍ができる。
さっきの鳥の話もそうだけど、
科学者はそれを否定するかもしれない。
そのビジョンは鳥のものではない
って言うかもしれない。
でも、詩人にとって、それは鳥の目なんです。
そこから生まれるものが先に跳躍して、
科学者や、政治家や、実業家が、後から追いかけて
いろんなことをしてるんだとぼくは思うんです。
だから、ジルさんが竹馬に乗って歩いたことで
もっとも育った、いちばん強い根っこは、
詩人としての性質なんじゃないかと思う。
ジル ああ、はい。
詩は、重要です。非常に重要なんです、詩は。
糸井 いちばん重要です。
ジル たとえば、美術館に行って、絵を見ます。
絵が我々に与えるものは、詩なんです。
糸井 そうです。
ジル それは、具体的なものではない。
しかし、それは私たちに影響する。
詩なんです、それは。
糸井 詩の中ではありとあらゆるものがありえる。
たとえば、さっきあなたが言った、
お父さんはいまもいるっていうことと
同じですよね。
ジル そうです、そうです。
糸井 で、こういうことをね、
確信を持って言えるようになったのは、
やっぱり‥‥歳をとったおかげだなぁ(笑)。
ジル ははははは。
糸井 芸術の理論として言ってるんじゃなく、
ぼくは、そう思えるようになったんです。
ジル わかります。
シルク・ドゥ・ソレイユがショーを通じて
やっているほとんどすべてのことも、
そういう原則に基づいてるんです。
まず、詩的なイメージがあります。
そこからはじまるものとして、
パフォーマンスがあり、コスチュームがあり、
音楽あり、照明があり、スタッフがいる。
すべては、詩的な性格を帯びている。
映画でもない、音楽でもない、
言うなればこれは、「感覚」です。
理解しようとするものではなく、感覚なんです。
糸井 つまり‥‥。
ジル ポエム、詩です。そう思います。
糸井 詩以外のものに、引っ張られたものは
簡単に終わるんだと思う。
でも、詩からはじまったものは、終わりがない。
ジル そうです。
詩は、永遠なんです。
糸井 ぼくは、シルク・ドゥ・ソレイユについて、
精神の面と、ビジネスの面と、
両方から興味を持ったんですね。
それを両立させるというのがぼくの理想で、
シルク・ドゥ・ソレイユは
ぼくの行きたい道の先を歩いている人に思えた。
そして、より深く理解するにつれて
わかってきたんですが、
やはり、詩がはじまりなんですね。
そのあとに仕事が広がっていく。
その順序は、逆じゃないんですね。
ジル そうです。
でも、詩を書くためには手段が必要なんです。
糸井 そうそう、そうなんです。
ジル 時間が必要です。そして手段が必要です。
それから、組織という構造が必要なんです。
たとえば、家でひとりで詩を書くことはできます。
ひとりで絵を描くこともできます。
でも、誰かに見せることができなければ、
誰かに読んでもらうことができなければ、
それはただのエゴイストでしかない。
糸井 種が蒔かれないんですよね。
ジル そう。そして、栄養を与えられない。
糸井 意思を持った植物のように伸びていくためには
やはり、両方が必要だと思います。
ジルさんだけでも、ギーさんだけでもできない。
ふたりがいたからこそ、勇気が出るんだと思う。
ジル はい、はい。
糸井 ひとりってすべてを生み出すけれども、
ひとりだけでは自信を持ちにくいんだよね。



(つづきます)


2011-10-14-FRI