ジル |
シルク・ドゥ・ソレイユは共同体なんです。
それは、1960年代を生きた、
私の根っこかもしれません。
あのころと同じように、私は共同体を通して
よりよい世界をつくろうとしています。
ひとりじゃできないんです。
多くの人のアイディアを入れると強くなる。
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糸井 |
そのやり方は、
いまの社会にあるものとは少し違いますね。
いまは、なにかをつくろうとするときに、
まず目的を定めて、それを実現させようとする。
そうじゃなくて、
まず、渦があったら、そこに入ってみる。
そういうふうなやり方を、
1960年代という時代は
ぼくらに教えてくれた気がします。
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ジル |
ええ、そうでした。
それが、同時に、世界中で、
多くの青年たちを動かした。
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糸井 |
はい。
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ジル |
いままた、そういうことが起こるかもしれない。
なぜなら、みんな、疑問を持っていますから。
あのころは、第二次世界大戦のあと、
すべての世代の、何百万人もの人々が、
もういいだろう、これで十分だろうと言ったんです。
もう、違うやり方を探したいと。
世界の見方を変えたい、
自分たちの力だけでしっかり自立したい、
自然とともに生きていきたい、
そういった考えが一度に出てきたんです。
私たちはもっといいことができる、
もっと違うことをやろう、
それをみんなが同時に考えたんです。
それが、1960年代でした。
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糸井 |
そうですね。
それはすごく荒っぽいものだったし、
批判はいくらでもできるけれども、
ああいうふうに何かをはじめられるということを
ぼくらは学ぶことができた。
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ジル |
その通りです。
たとえば私が21歳のとき、
共同体のなかでゴミをリサイクルしよう
という話になりました。
当時、それはほとんどの人に理解されませんでした。
でも、いまは当たり前のことになっています。
あのときはじまったことが、
ようやく社会に受け入れられたんです。
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糸井 |
うん。
あの、さっき、出てきたことばが
とっても印象的に響いたんですけど、
「もういいだろう」っていうのは、
すごくぴったりくることばですね。
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ジル |
はい。もういいです。十分です。
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糸井 |
でも、世界の一部の人々は、
まだ「もういいだろう」を積み上げている。
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ジル |
ケベックでは、走っている馬を止めたいときに、
「Wo(ウオッ)!」って言うんです。
農家でつかっている表現なんですが、
「ストップ!」ということばではなく、
「Wo!」と言うんです。
もういいぞ、十分だ、という意味です。
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糸井 |
「Wo!」
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ジル |
はい。
つまり、いまの時代は「Wo!」なんです。
もう十分なんですよ。
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糸井 |
それはフランス語ですか?
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ジル |
いや、ケベック語です。
あ、いや、ケベック語でもなくて、
馬のことばですね、馬語です(笑)。
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糸井 |
ははははは。
あなたの中には、かつて学んだことが
ほんとうにたくさん残ってますね。
シルク・ドゥ・ソレイユが
ここまで大きくなるまでには、
すごく機能的に忙しくしていなければ
ならなかったと思うんですが、
あなたはよく、こころを失わずにいられましたね。
ほんとうに、すばらしいことです。
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ジル |
ああ、それは重要なことです。
忘れてはいけない。
自分がどこから来たか、忘れてはいけないんです。
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糸井 |
うーん‥‥ぼくらは忘れがちかもしれないです。
たとえば日本の都会に住む人たちの多くは、
地方からやってきているから、
一回、自分が断ち切られている場合が多いんですね。
ですから、もっと、自分の根っこを
思い出すための何かが必要なのかもしれない。
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ジル |
でも、日本の人たちには、
自分たちの起源というものについて、
尊敬の気持ちがありますよね。
その社会はすばらしいと私は思います。
前になにがあったかということを尊重している。
そのうえに、いまの日本の社会がある。
それはすばらしいことです。脱帽します。
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糸井 |
ああ、そうなのかなぁ。
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ジル |
日本に比べると、我々の社会は若い。
日本の先祖は、古いですよね。
そこから続いているということ、
ずっと昔から人がいたということは
憶えてなきゃいけないと私は思います。
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糸井 |
ここ何年か、ぼくの興味もやっぱり、
そういうところにあるんです。
すごく昔の人と、いまの人と、
変わらないことってなんなんだろう、
そんなふうに考えるんです。
きっと、何万年も前に暮らしてた人だって、
食べるためだけに生きてたわけじゃない。
さっきの話じゃないですけど、
クラウンみたいな人だっていたでしょうし。
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ジル |
そうですね。
私は以前、ゴビ砂漠に行ったんです。
そして、そんなに高くない山に登りました。
そこに岩がありました。
その岩には、絵が、彫られていました。
動物の角のような、そういう形が。
何千年前のことなのかわかりませんが、
誰かがそこに座って、彫ったんです。
チクチクチクチク‥‥彫ったんです。
そこは、水辺だったんじゃないかなと思うんです。
そして、その人は、そこで魚を釣りながら、
岩にその絵を刻んでいったんです。
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糸井 |
それをほんとうに感じたんですね。
調べたり、分析したりしたわけではなく、
感じたんですね、その人のことを。
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ジル |
そうです、そうです。
何千年前に起こった出来事を
憶えておくというわけではありません。
何千年も前に、そこに人がいたということを
忘れてはいけないんです。
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糸井 |
そうですねぇ。
あの、このあいだ、
ぼくはきのこ狩りに行ったんですよ。
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ジル |
あー、そうですか。
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糸井 |
とっても詳しい人に案内されて
深い森の中で、きのこを探して回ったんです。
そうすると、あらゆるきのこは、
みんなかわいいし、きれいなんですね。
だけど、食べられないきのこ、
毒きのこもいっぱいある。
そして、そのきのこが食べられるかどうか、
毒きのこなのか、そうじゃないのかを、
どうやって見分けるかというと、
毒があるかどうかを試す方法があるんじゃなくて、
「知ってるか、知らないか」、
それだけなんだそうです。
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ジル |
つまり、前に誰かが食べたということ。
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糸井 |
そうなんです。食べたんです。
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ジル |
誰かが食べて、死んだとしたら、
そのきのこには触っちゃいけない。
つまりそれは「経験」なんですね。
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糸井 |
そうです。
だから、もしも、きのこを食べて死ぬときには、
「そのきのこを持って死ね」っていう
言い伝えがあるんですって。
つまり、誰かが失敗したときには、
それが毒きのこだっていう経験が残される。
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ジル |
ああ、そうですね。
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糸井 |
そういう歴史の連続する中に、
私たちの毎日も続いている。
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ジル |
はい、まさに、そういうことなんです!
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糸井 |
うーん、
すごいですよねぇ、それは。
(つづきます) |