2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界

糸井重里

土井善(料理研究家)

和食の2つの方向。

糸井
お米の炊き方については、
昔ながらの方法を引き継いだということでしたが、
ほかの素材──たとえば野菜やら
魚やら肉やらについては、どうなんでしょう。
土井
それはたとえば「お芋を炊く」とか
「かぼちゃを煮る」と言っても、
たくさんのやり方があるわけですよね。
皮をむいたほうがおいしいとか、
むかないほうがいいとか。
水から煮るとか、たっぷりのダシで煮るとか。
玄米で食べるのがいい場合も、
白米がいい場合もそれぞれあります。
ですからほんとうは、
そうしたやり方をみんな知った上で
「この場合はこう」「こうしたいからこうする」
などと選択すべきなんです。
糸井
そのとおりですね。
土井
ですけれどもいまは、
たまたま最初に自分が聞いたのが
こっちだから‥‥みたいな理由で
「これが正解」みたいに伝える人が多いんです。
糸井
自分を神秘化させる必要があるときなど、
とくにそういう言い方をしますね。
土井
で、和食の世界には基本的にいつも
2つの方向があるんですね。
ですからほんとうは常に毎回、
そのどちらなのかを選ぶことが大切なんです。
糸井
2つの方向。
土井
まずその片方が、いわゆる
「穢れ(けがれ)をとる」方向ですね。
日本人は昔から日常のなかにも
清く明るい(高貴性)ことを目指す人々で、
白いもののほうが尊いわけです。
神社のお祓いも、白い紙もそう。
きれいに削った木が神様のよりどころになるとか、
そういうのもあって、お正月の柳箸もそうですね。
神様の存在を感じて純化するんです。
白米もそのひとつで、日本人はもともと
祝いの日にしか白米を食べてなかったんです。
糸井
ああー。
土井
とにかくそちらというのは
「自分のからだを傷つけるものはなにもない」
状態にする考え方なんです。
毒素をなくす──要するにデトックスですね。
それが1方向としてある。
糸井
1方向が、清める方向。
土井
そして、もう片方が
「まるごといただく」という方向ですね。
穢れも毒も栄養価も、
ひとつのいのちにあるものは
ぜんぶ取り込んでしまおうという方向。
「一物全体」の考え方です。
糸井
そちらがつまり、清濁の「濁」側。
土井
そのとおりです。
まるごといただくわけですから、
新鮮なものや無農薬のものは特に良いですね。
栄養面から見ても、若い頃は
そっちのほうがいいのかもしれませんけど。
糸井
つまり、「穢れをとる方向」と
「まるごといただく方向」の2つがあって。
土井
ええ。そしてその2方向の考え方が、
調理方法にも関わっているんです。
日頃は「もったいない」と、
皮など食べられる部分はすべて食べるわけです。
だけどそれが日常ならば、
人が集まるときは工夫をするわけですね。
「今日はお客さんが来るから皮をきれいにむこう」
とか。
糸井
はい、はい。
土井
煮物で面取りするのも
「煮くずれをふせぐため」なんて言いますけど、
実際には面取りしなくても煮くずれないです。
あれはむしろ面を取ることで、
集まる人のあいだに「角が立たないように」
という意味なんです。
糸井
つまり、とくべつな日としての設えをする。
土井
そういう区別です。
日常にはさまざまな場面がありますから
「今日はどっち?」ということもありますが、
日本人は昔から常に、そうやって考えながら、
どんな料理にするか、素材をどう扱うか、
水にどのくらいさらすか、どう煮るか、
などを決めてきたわけです。
糸井
ですから土井さんも、それぞれの調理方法は
そういった視点で判断されているという。
土井
基本的にはそうですね。
いろいろな場合がありますけど。
糸井
人が生きるというのは、
「必ずその両方がある」
ということでもありますね。
土井
そう。そして日本人は特に
その「両面性への意識」がすごいと思うんです。
常に<生きようとする美意識>と
<死のうとする美意識>の両方があって、
それを、場合によっては、同時に重ねて
たのしみ味わうこともあるのです。
糸井
ありますね。
それも、対立的にじゃなくという。
土井
そうなんですよ。お茶なんかもそうで、
たとえば武将が戦場で、
「不均衡で、きれいでないから美しい」
という美意識で
壊れかけの井戸茶碗で、茶を点ててもてなす。
そして、その朽ちてゆく美しい茶碗から、
新しいいのちである緑の茶が生まれるのです。
これがお茶の美しさで。
それを武将が
「明日死ぬかもしれない」と思いながら、
飲み干して戦に行くわけです。
それはすごくドラマチックで、
「気持ちわかるな」って感じがしますよね。
糸井
一方で日本人は、ツルツルの磁器に
あえてわずかしか盛り付けないで‥‥
といったこともしますし。
土井
そう、常に両方があるんですね。
糸井
「対立的にではなく、両方がある」というのは、
現代ではなかなか分かってもらいにくい
部分ですけれども。
土井
そうですね。いまはすぐに、
「こっちがいい」とか「あっちがいい」とか。
糸井
「どっちが強いんだ」とか。
土井
「いがんでるのがええ」とかですね。
糸井
そんなふうに一方だけを正解と
考えがちですけれども、そうではなくて。
土井
ややこしいですけど、そういうことなんです。
逆らわないのがいいときもあるし、
逆らっておもしろいのもありますし。
物事の両面を感じておもしろがりながら、
自然のように自由に判断していくべきというか。
そういうことなんですね。

(つづきます)

2017-01-02-MON