第2回
和食の2つの方向。
- 糸井
- お米の炊き方については、
昔ながらの方法を引き継いだということでしたが、
ほかの素材──たとえば野菜やら
魚やら肉やらについては、どうなんでしょう。 - 土井
- それはたとえば「お芋を炊く」とか
「かぼちゃを煮る」と言っても、
たくさんのやり方があるわけですよね。
皮をむいたほうがおいしいとか、
むかないほうがいいとか。
水から煮るとか、たっぷりのダシで煮るとか。
玄米で食べるのがいい場合も、
白米がいい場合もそれぞれあります。
ですからほんとうは、
そうしたやり方をみんな知った上で
「この場合はこう」「こうしたいからこうする」
などと選択すべきなんです。 - 糸井
- そのとおりですね。
- 土井
- ですけれどもいまは、
たまたま最初に自分が聞いたのが
こっちだから‥‥みたいな理由で
「これが正解」みたいに伝える人が多いんです。 - 糸井
- 自分を神秘化させる必要があるときなど、
とくにそういう言い方をしますね。 - 土井
- で、和食の世界には基本的にいつも
2つの方向があるんですね。
ですからほんとうは常に毎回、
そのどちらなのかを選ぶことが大切なんです。 - 糸井
- 2つの方向。
- 土井
- まずその片方が、いわゆる
「穢れ(けがれ)をとる」方向ですね。
日本人は昔から日常のなかにも
清く明るい(高貴性)ことを目指す人々で、
白いもののほうが尊いわけです。
神社のお祓いも、白い紙もそう。
きれいに削った木が神様のよりどころになるとか、
そういうのもあって、お正月の柳箸もそうですね。
神様の存在を感じて純化するんです。
白米もそのひとつで、日本人はもともと
祝いの日にしか白米を食べてなかったんです。 - 糸井
- ああー。
- 土井
- とにかくそちらというのは
「自分のからだを傷つけるものはなにもない」
状態にする考え方なんです。
毒素をなくす──要するにデトックスですね。
それが1方向としてある。 - 糸井
- 1方向が、清める方向。
- 土井
- そして、もう片方が
「まるごといただく」という方向ですね。
穢れも毒も栄養価も、
ひとつのいのちにあるものは
ぜんぶ取り込んでしまおうという方向。
「一物全体」の考え方です。 - 糸井
- そちらがつまり、清濁の「濁」側。
- 土井
- そのとおりです。
まるごといただくわけですから、
新鮮なものや無農薬のものは特に良いですね。
栄養面から見ても、若い頃は
そっちのほうがいいのかもしれませんけど。 - 糸井
- つまり、「穢れをとる方向」と
「まるごといただく方向」の2つがあって。 - 土井
- ええ。そしてその2方向の考え方が、
調理方法にも関わっているんです。
日頃は「もったいない」と、
皮など食べられる部分はすべて食べるわけです。
だけどそれが日常ならば、
人が集まるときは工夫をするわけですね。
「今日はお客さんが来るから皮をきれいにむこう」
とか。 - 糸井
- はい、はい。
- 土井
- 煮物で面取りするのも
「煮くずれをふせぐため」なんて言いますけど、
実際には面取りしなくても煮くずれないです。
あれはむしろ面を取ることで、
集まる人のあいだに「角が立たないように」
という意味なんです。 - 糸井
- つまり、とくべつな日としての設えをする。
- 土井
- そういう区別です。
日常にはさまざまな場面がありますから
「今日はどっち?」ということもありますが、
日本人は昔から常に、そうやって考えながら、
どんな料理にするか、素材をどう扱うか、
水にどのくらいさらすか、どう煮るか、
などを決めてきたわけです。 - 糸井
- ですから土井さんも、それぞれの調理方法は
そういった視点で判断されているという。 - 土井
- 基本的にはそうですね。
いろいろな場合がありますけど。 - 糸井
- 人が生きるというのは、
「必ずその両方がある」
ということでもありますね。 - 土井
- そう。そして日本人は特に
その「両面性への意識」がすごいと思うんです。
常に<生きようとする美意識>と
<死のうとする美意識>の両方があって、
それを、場合によっては、同時に重ねて
たのしみ味わうこともあるのです。 - 糸井
- ありますね。
それも、対立的にじゃなくという。 - 土井
- そうなんですよ。お茶なんかもそうで、
たとえば武将が戦場で、
「不均衡で、きれいでないから美しい」
という美意識で
壊れかけの井戸茶碗で、茶を点ててもてなす。
そして、その朽ちてゆく美しい茶碗から、
新しいいのちである緑の茶が生まれるのです。
これがお茶の美しさで。
それを武将が
「明日死ぬかもしれない」と思いながら、
飲み干して戦に行くわけです。
それはすごくドラマチックで、
「気持ちわかるな」って感じがしますよね。 - 糸井
- 一方で日本人は、ツルツルの磁器に
あえてわずかしか盛り付けないで‥‥
といったこともしますし。 - 土井
- そう、常に両方があるんですね。
- 糸井
- 「対立的にではなく、両方がある」というのは、
現代ではなかなか分かってもらいにくい
部分ですけれども。 - 土井
- そうですね。いまはすぐに、
「こっちがいい」とか「あっちがいい」とか。 - 糸井
- 「どっちが強いんだ」とか。
- 土井
- 「いがんでるのがええ」とかですね。
- 糸井
- そんなふうに一方だけを正解と
考えがちですけれども、そうではなくて。 - 土井
- ややこしいですけど、そういうことなんです。
逆らわないのがいいときもあるし、
逆らっておもしろいのもありますし。
物事の両面を感じておもしろがりながら、
自然のように自由に判断していくべきというか。
そういうことなんですね。
(つづきます)
2017-01-02-MON