2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界

糸井重里

土井善(料理研究家)

家庭料理は民藝や。

糸井
もともとぼくは土井さんについて、
その自在さに驚いてたんです。
土井さんはいつでも
「相手が誰でもかまわない」という
スタイルなんですね。
一人のときもあるし、旅でも大丈夫だし、
その感じが(笑福亭)鶴瓶さん並みなんですよ。
最初に感心したのが、
アイドルの男の子たちとお店をまわる‥‥。
土井
『裸の少年』ですね。
すごいタイトルやなと思いましたけれども。
糸井
あれ、成立してるわけですよ。
ふつうの料理人だったら大変ですよ。
でも土井さんは投げられた球を、
選ばずにぜんぶヒットにできるというか。
土井
いやいや、そこはわたしのほうが
最近ようやく大人になったくらいの感じですから。
糸井
もとはそうじゃなかった?
土井
大人じゃなかったですね。
糸井
土井さんのそのあたりの話、聞きたいです。
安心したいです(笑)。
土井
いや、もうほんとに叱られるばっかりですよ。
あんまり人のことも考えず、
自分が好きなことばかりやって。
側から見ると
「自由でいいね」みたいなことですね。
わたしとしては気をつかってた
つもりでしたけど、
よく考えられてなかったと思うんです。
糸井
おそらく、食器類にお金を使っていた
時期があるんだろうな‥‥。
土井
器はそうとうやりましたね。
糸井
その気配はありますよね。
土井
器に関しては、自分のなかに買う理由が
たくさんあるんです。
いろいろと勉強したい気持ちもあるし、
もともと好きなのもあるし、
持っておいたほうがいいなもあるし。
実際に仕事ですぐ役立ちますし。
糸井
そうですよね。
土井
そしてやっぱり器って、自分で買わないと
わからないんです。
失敗も必要で、そういうことがないと
本気にならないですから。
ですからそれこそ文脈もなく
集めてるみたいなところもありましたけど‥‥。
器はとにかく長いですね。
糸井
じゃあいまの土井さんは、
よその人が器をどう使っていようが、
そうじゃない見方をしてあげてるわけですね。
土井
それはそうですね。
ただほんとのところ、和食の場合は
器を選ぶことからが盛り付けなんです。
「明日はどの洋服着よう?」みたいに選んで、
献立作りに入っていきますのでね。
番組などではそこまでのものを
準備してもらえないから、
あまり言えないんですけれども。
糸井
だけどそうすると、
若いときに器を買えるだけの
経済力も必要ですよね。
土井
いや、わたしの場合、
器ぐらいしかお金を使わなかったですから。
車とかほかのものには、
ほとんど興味がなかったんです。
糸井
たとえば掛け軸とか、
お茶の世界にかかわるものは‥‥?
土井
ぜんぜんです。
いまはすこしお茶のお稽古に
行ったりしてますけど、
家庭料理とはまったく異なる世界ですし。
糸井
そこは、さわらないように。
土井
といいますか、わたしはどっちかいうと
民藝が大好きなんですね。
糸井
あ。なるほど。
土井
若い頃、吉兆で働いていたときのわたしは、
完全に「自分は料理人だ」
という意識だったんです。
そして吉兆の料理人というのは
日本一の意識がとても強くて、
みんなそこしか狙ってないんです。
わたしもそのなかにいたわけですけど、
そしたら家庭料理をやっている父から
「学校を手伝ってくれ」と言われまして。
糸井
それが、いくつぐらいのときですか?
土井
30歳ぐらいですね。
だから当時は「なんでわたしが家庭料理?」
みたいな感覚だったんですよ。
糸井
つまり、生意気な盛りの剣豪が
急に違うことを頼まれたみたいな。
土井
まさにそんな感じでした。
当時のわたしは家庭料理を上から見てて
「家庭料理のなかに自分を
満足させる仕事があるのか?」
くらいに思っていたんです。
だから父から話があったときにも
「そうじゃないやろ」くらいに思ってまして。
糸井
ええ。
土井
でも、わたしはそこで民藝と出会うんです。
糸井
ほぉー。
土井
京都の河井寛次郎記念館などを訪れて、
その居心地のよさと、
生活のなかで美しいものが生まれることの
すばらしさを知って。
そのときハッと思ったんですね、
「家庭料理は、民藝や」って。
糸井
家庭料理は、民藝。
土井
そう。これでいけると思いました。
それが家庭料理をおもしろいと思った
最初の瞬間です。
糸井
そのときひっくり返ったんですね。
土井
そうなんです。
それで食材に関することとかを学びなおして、
それまでの自分の考えがどれほど狭く、
家庭料理にどれほどおおきな世界があったかを
わたしは理解しはじめるわけです。
そのあと、時間をかけて
家庭料理について学んでいきました。
糸井
いわば手練れの剣豪の世界から、
「みんなかわいいね」の世界へ。
土井
料理人のときのわたしには
「包丁がいのち」みたいな思いがあったんです。
0コンマ何ミリ単位ぐらいで切りすすみ、
「絶対に美しいものしか作らない」
と決心しているわけですね。
「自分の包丁の右に出るものは
絶対にいないようにしよう」と。
糸井
はい、はい。
土井
けれど、その心で家庭料理を作ると、
宮大工が料理作ったみたいになるんですよ。
「これは、なにを‥‥」という(笑)。
糸井
(笑)
土井
料理人の意識だと、なにより「切り出し」。
つまり包丁を入れる寸法こそが重要なんです。
食べやすさ、煮え加減、味の入れ方、
器に置いたときの美しさ‥‥など、
すべてに影響を与えますから。
ただ、そこばっかり狙っていると、
ほんとうにおいしそうには見えないんですね。
糸井
緊張感はありますけれども。
土井
そこはありますけど。
だからわたしの料理は当時、
いろいろな人から
「すごく難しそう」って言われてたんです。
糸井
家庭料理のはずなのに。
土井
そうなんです。
そういう経験を経て、わたしはすこしずつ
民藝などの良さに頭がいくようになりました。
料理のなかには、
「煮くずれてるほうがおいしいもの」
ってあるでしょう?
糸井
はい、ありますね。
土井
芋なんかでも、わざと潰して盛るとか、
乱れて切るとか。
家庭料理に正面から向き合ってみると、
そういう良さがあることに気づくんです。
寸法を揃えることが目指すのは
「均一性の美しさ」。
でも、均一のないところのほうが
たのしいですよね。
ひとつの野菜でも
「これはコリコリとおいしい」とか
「やわらかくておいしい」とか。
大きさが変わればそれだけの幅があって。
糸井
ええ、ええ。
土井
そんなふうに、ひとつひとつの料理について
「何をたのしみにするか」という視点で
だんだん考えるようになったんです。

(つづきます)

2017-01-06-FRI