2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界

糸井重里

土井善(料理研究家)

生きることはばらつき。

糸井
「生きてる」って均一じゃなく、
ばらつきそのもので。
土井
そうです、そうです。
わたしはそこを大事にしたいんですよ。
糸井
先日再放送があってまた見たんですが、
『きょうの料理』で土井さんが
おにぎりの作り方を教える回がありましたよね。
そのとき土井さんがもう、
ぽん、ぽん、ぽん、ぽん‥‥と、
まさにばらつきそのもののような
おにぎりをにぎられてて。
土井
はい(笑)。
糸井
あれは、技術としては、
すっかり同じサイズで作れるはずなのに。
土井
そうですよ。
だけどそうする必要がないから、
出たとこ勝負でいいんですね。
糸井
たぶんその「出たとこ勝負」って、
いわゆるプロには作れないんですよね。
お寿司をにぎる職人さんなら
「ひとつも違いがありません」に
行きたくなるでしょうし、
ほかの料理人の方もそうでしょうし。
土井
プロはそれぞれ、手が決まりますからね。
糸井
だけど、土井さんは
「みなさんたのしいでしょう? 
しかも、おいしいんですよ」
という話だから。
あれは商品じゃないんですよ。
土井
家庭では、その必要がないですからね。
ちっちゃい子とおおきい子が
いてんねんから。
糸井
それを言える人が、職業として
成り立っている‥‥この幸福?(笑)
土井
だけどいまはその
「揃えなくてよい」を忘れている人が
すごく多いんです。
なんでも揃ってなければダメだと思い込んでる。
「どうしてだっけ?」とか考えてみると、
必要ないのがわかりますよね。
糸井
均一にする理由は
「商品の場合に、値段を同じにするためだよ」
って。
土井
そういうことですからね。
糸井
いまの街って商品だらけなんですよ。
都会に商品じゃないものってほとんどないんです。
土井
そのとおりですね。
糸井
とはいえぼくにはひとつ、
思い当たるものがあるんですけど。
土井
ありますか?
糸井
秋のぎんなん。
土井
ああ、落ちてる、落ちてる。
糸井
あれ、拾ってキレイにすれば価値になりますよね。
だけど商品というわけじゃない。
そしておそらく、
盗むわけじゃなくもらえますよね。
花だと怒られますけど。
料理屋さんが桜を切って、捕まったりしますよね。
土井
わたしも昔、隠れたりしましたよ(笑)。
糸井
あ、やっぱり?
土井
いまでもどこにどんな葉っぱがあるか、
よう知ってますもん、わたし。
道はわからなくても、
どこにどんな木が生えてるかは覚えてますね。
とくに料理に使えるものに関しては。
糸井
それをとるのは、厳密には、いけない。
土井
いけないけれどもね。
糸井
ぎんなんは落ちてるから、たぶんいいのかな。
まぁ、細かく言い出すと自治体が‥‥
とかいろいろあるんでしょうけど。
とにかくぼくにはあれが
21世紀の出島のように見えるというか。
毎年季節になるたびに
「都会にこういう隙があってよかったな」
と思うんです。
土井
そうですねえ、ほんと。
糸井
自分もあの、ぎんなんのような存在で
ありたいというか。
ああいう存在を混ぜ込む生き方を
したいと思うんです。
土井
「混ぜる」ということで話を広げると、
いまはみんな、なんでも均一に混ぜがちなんです。
だけど料理でもやっぱり、
「不ぞろい」がおいしいものってあるんです。
糸井
ありますねえ。
土井
だからひとつひとつの料理で、
どの粗さで混ぜるのをやめるか考えはじめたら、
すごくおもしろくなるんです。
ポテトサラダでも
「ああ、おいしそう!」という時点で
それ以上混ぜたら、不味くなりますから。
糸井
ほんとですね。
土井
だからわたしは学校給食でもレストランでも、
それこそ大きなボウルでポンと出して
「自分たちで混ぜてね」くらいのほうが
いいんじゃないかぐらいに思ってますけどね。
糸井
なんでも揃えなきゃと思うのって、
不公平や不平等の感覚が
変にずれてしまったものといいますか。
もちろん公平や平等への視点も大事。
だけどそこ、家の中ならいいんですよね。
土井
家の中はもうまったく必要ないですから。
そして、そのほうが確実においしいんですよ。
だいたい食べ物っていうのは
人間関係のなかで
非常におおらかなものなんですね。
糸井
鍋とかでも、あんまり食べなかった人と
食べた人がいても、別に誰も怒らないというか。
土井
そうですね。あと食べ物には
そのときどきのおいしさというのがあって、
「いつも一定」ってできないんです。
一流の寿司屋でも、合わせ酢の加減は
毎日違いますから。
一定にしようと数値化しても、それだけでは
ほんとうにおいしいものはできない。
揺れがあるんですね。
糸井
「今日はこれ、ないんですよ」
と言われる寿司屋って、ぼくは好きなんですが、
いまは、いつでもなんでもある店のほうが
有名だったりするわけで。
土井
そうですねえ。
そういう需要ももちろんあるでしょうけれど。
糸井
だけどもしかしたら、その均一さよりも、
丁寧に握られた不ぞろいの
おにぎりのようなもののほうが、
うれしい場合も多いと思うんです。
土井
丁寧ににぎってもらったおにぎりは、
たとえ冷やご飯でも、
もうほんとにおいしいなと思いますね。
糸井
わかります、おいしいですよね。

(つづきます)

2017-01-07-SAT