第8回
きれいかどうか。
- 糸井
- 土井さんの料理番組を見ていると、
「必ずできる感」がすごいなと思うんです。
いっしょにいる人に
「わたしが手を出さなくてもできます」とか
「大丈夫ですよ」とか言って作らせる。
だから、教わるほうも自分を出せる。
そしてはめる型はないけれど、
ちゃんと基本の型があるというか。
あのやり方だと、みんな上達すると思いますね。 - 土井
- 料理は基本のところに大きな川があるから、
その幅の中であれば、どれだけ揺れても
いいと思ってるんです。
たとえばニンジンを切るにしても、
「どう切るのが正解?」とか聞かれますけど、
実際はどう切ってもいいんですよ。 - 糸井
- たしかにそうですね。
- 土井
- まぁ「どう切ってもいい」と言うと、
いまの人はまた切れなくなったりしますけど。
そういう場合はこう伝えるんです。
「自分食べんねやろ? なに使って食べんねん。
スプーンで食べんねやろ。
じゃあスプーンにのる大きさがええよね」って。
お箸で食べるんやったら
「お箸でどう食べたい?」ですし。
そういう設定から答えが見えてきますよね。 - 糸井
- ええ、ええ。
- 土井
- あと、わたしはどちらかいうと
「脳で考えることをあんまり信じたらあかんで」
と思ってるほうなんです。
むしろ「なんとなく気持ちいいな」とか、
心地よさとか、違和感のなさとか、
そんなふうに、身体が感じることで
判断していったほうがいい。
そういう基準で選ばれているものこそ
「ああ、ええなあ」と思うんです。 - 糸井
- その基準って、よりはっきりと言葉にすると
どういうことなんでしょうね。 - 土井
- そうですねぇ。
わたしがふだんから思っているのは
「きれいかどうか」といいますか。 - 糸井
- きれいかどうか。
- 土井
- 日本人ってなんでも擬人化しますよね。
かぼちゃを見て「ええ顔してんな」とか、
「この魚優しそう」とか
「いや、こっちの魚のほうが
優しそうな顔してるからおいしいで」とか。
料理ひとつ見ても
「この皿、景色がええなあ」とかね。 - 糸井
- はぁー。そうですね。
日本人そういうことしますね。 - 土井
- そんなふうになにかを「美しいなぁ」
「きれいやなぁ」と感じる心が、
わたしはすごく重要やと思っているんです。
「きれい」って「心が気持ちいい」んですね。
人はきれいなものが好きなんですよ。 - 糸井
- そのきれいさにも、いろいろありますよね。
赤ちゃんのときの「きれい」もあれば、
いろいろなことを経験したあとでわかる
「きれい」もあって。 - 土井
- 多様にありますけど、
わたしがこのごろいちばん思ってるのは
「我慢こそが美しいことや」と。
我慢してる人って、きれいですよね。 - 糸井
- きれいですね。わかります。
- 土井
- わたし、我慢してる人ってもう尊敬しますわ。
「もうほんとうにきれい」と思って。 - 糸井
- なにかを見てて思わず泣いちゃうのって、
その健気さが胸にひびくんですよね。
健気も我慢のかたちですよね。
こどもが我慢してる姿とか、たまんないですよ。 - 土井
- たまんないですねぇ。
- 糸井
- それこそ花だって、
冬のあいだ我慢してるという。 - 土井
- そこに、なにかあるんですよ。
そしてわたしが思うのは、
ほんとうに自由で美しいことのためには、
やっぱりちょっと苦しみが伴わないと
ダメなん違うかって。 - 糸井
- あぁ‥‥そうかもしれない。
- 土井
- このところあまりできてないんですが、
わたしは日々走ってるんです。
すこし前に100キロマラソンとか出てね。 - 糸井
- そんなことまでされてるんですか。
- 土井
- はい。そしたら配られたTシャツに
「苦しいときこそがたのしいとき」
みたいな言葉が書いてあったんです。
それを見てわたし、
「ほんとにそのとおりやな」と思って。
わたしはどこか
「ああ、苦しそうやな。わたしも苦しみたいな」
と思うところがあるんです。 - 糸井
- それ、現代のことばでは
「マゾ」とか言われますけど。 - 土井
- やっぱりその先に快感があるんですよ。
100キロなんてほんとに苦しくて、
走りはじめたら、
すぐにでもやめたいのが本心です。
だけどちょっとすると
「あぁ、このまま苦しんでたいな」
という気持ちが出てくる。
人間って難儀なもんで、
やっぱりちょっとしんどいことをしないと
幸福が得られないんかなと思いますね。 - 糸井
- その苦しみたい土井さんと、
料理をする土井さんには
通じるところがありますか? - 土井
- わたしはやっぱり料理ひとつでも、
簡単にやるのはいやなんです。
知ってることをするだけで仕事は済みますけど、
そうじゃないほうがいい。
たとえば雑誌の連載企画とかで
「フォーマットを作って、
毎回同じ形式が続くかたちにしましょう」
とか言われることもありますけど、
わたしはそういうときも
「いやいや、毎回苦しみましょうよ」って(笑)。 - 糸井
- 瞬間瞬間、自分の好奇心を
掻き立てることをしつづけたい。 - 土井
- そうなんです。
ああでもない、こうでもないと言ってる時間って
すごくたのしいと思うんですね。
「これが決まりだから」では、
どうにもモチベーションが上がらないんです。 - 糸井
- みんなが土井さんから受け取って
喜んでいるのも、完成品のところではなく、
そういうプロセスのほうですよね。
それこそ走る道のりのおもしろさで。 - 土井
- そういうつもりですね。
作るときのたのしさを伝えたいんです。 - 糸井
- はい、はい。
- 土井
- だから、わたしはいまの世の中の
「おいしい」に疑いがあるんですよ。
みんなよく「おいしいものを食べたい」
とか言いますけど、
ほんとに誰もがそないにおいしいもんを
食べたいんかなって。 - 糸井
- それ、ぼくも思います。そこは怪しい。
- 土井
- だからいま、まるで「おいしいブーム」みたいに、
食べることばかりが主役になってるのは
おかしいと思うんです。
「食べる人がえらい」みたいになってるけど、
ほんとの食の主役は作り手のほうじゃないかと。
だからほんとは作り手側がもっと
料理の意味を理解して、
たのしみながら作るべきだと思うんです。 - 糸井
- はぁー。そうか。
- 土井
- たとえばテレビなんかで
「受けがいい」言うてるパエリアみたいなん、
見栄えがいいだけで、作ってる最中、
ぜんっぜんおもしろくないと思うんですよ。
それよりもわたしは
「ずっとかき混ぜ続けてないとダメ」とか
「ずっと走り続けてないとダメ」とかね。 - 糸井
- はい(笑)。
- 土井
- そんなふうに「食べたい」より
「作ってみたい」という、
プロセス重視のお料理もあるわけで。 - 糸井
- それは「したい仕事」の話ですね。
- 土井
- そうです、そのときのわたしの仕事は
「作り手がやりたいことを提案する」
ことなんですね。 - 糸井
- 土井さんのその姿勢は、途中の失敗も、
まるごと肯定してしまうようなものですね。 - 土井
- そう、失敗もおもしろくて、
わたしはよく「ど真ん中のストライクを
バーンととっても仕方ないやろ」と思うんです。
そのとき
「コーナーぎりぎりで、ひとつ間違ったら失敗」
というのを教えてあげたら、
そこを狙うたのしさがあるじゃないですか。
プロは失敗をおそれますけど、
わたしはいつも番組で料理をしながら
「これ、失敗してもおもしろいな」
と思ってる(笑)。 - 糸井
- (笑)。
昔の狩りなんかも、もともとは
そうだったと思うんです。
原始人もきっと、獲物をとるだけじゃなく、
狩る行為自体がおもしろくて
やってたはずですよね。 - 土井
- あとわたしは、計画通りに進むだけでは
ちょっと‥‥と思ってる節がありますね。
むしろ「さいご、時間がない!」とか
「もうそれしか手がない!」みたいなことが
いろいろなことをおもしろくすると
信じてるところがあるんです。
(つづきます)
2017-01-08-SUN