ほぼ日 | どんべいさん自身は、 若いころに「音楽でご飯が食べれたら」って 思われていたんでしょうか? |
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どんべい | そうでしたね。 ぼくの父親が かなり堅いサラリーマンだったんです。 で、祖父もどうやらとても優秀な 保険会社の人間だったらしくて。 ちいさなころから、ひたすら 「いい学校に行って、いい会社に入れ」と いわれて育ちました。 |
ほぼ日 | それは、どこまで素直に従ったんですか?(笑) |
どんべい | (笑)中学受験をして、 中高一貫の男子校に入学しました。 1学年160人で、そのうち120人は 東大に行くような学校。 |
ほぼ日 | おお、すごい。 |
どんべい | で、中学1年生のころは何もしなくても 成績がよかったので、図に乗って、 中学2年生からサッカーとハンドボールの 2つの部活をかけもちしたりして。 で、中学3年生になってベースを弾き初めて、 もうそこから、ドロップアウトしました。 |
ほぼ日 | 中学3年生で、 音楽に出会ったわけですね。 |
どんべい | そうですね。それから、 いろいろ音楽聴きはじめたんですけど、 そのころの音楽は 「30歳をすぎた大人を信じるな」とか 「ネクタイしてるやつは信じるな」とか、 そういう思想で溢れてて。 そこで、ぼくが感じていた 今までの抑圧への反動が爆発した感じです。 気付けば、 未だにネクタイ締められないままですね(笑)。 |
ほぼ日 | そういえば、どんべいさんのネクタイ姿、 あんまりお見かけしませんね(笑)。 音楽業界に入ったきっかけというのは? |
どんべい | YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の お手伝いをさせてもらったのが、 業界に足をかけたきっかけですね。 もう、ほんとうに偶然なんですけど、 1978年の暮れにブレイク直前のYMOのライブを 見る機会に恵まれたんです。 そこですごく衝撃を受けました。 次の日に本屋さんで音楽雑誌を立ち読みしてたら、 渋谷のヤマハで細野晴臣さんの講座がはじまるって 書いてあって。すぐに申し込みました。 |
ほぼ日 | へぇー、 細野さんの講座があったなんて、 知りませんでした。 |
どんべい | ぼくはベースを持って挑んだんですけど、 実際は、細野さんがレコードをかけたり 本の一節を紹介しながら、 はっぴいえんどからYMOに至るまでの 話をききました。 その講座で、 YMOの楽器を運ぶ人手が足りなくなったから 誰かやってくんないかなって募集されて、 「やりたいです!」っていって。 それから、お手伝いするようになったんです。 |
ほぼ日 | YMOの3人分を、1人で? |
どんべい | はい。当時は3人が一緒に仕事することは むしろ少なかったので、 10時から12時は高橋幸宏さん、 13時からは坂本龍一さん、 15時からは細野さん、みたいな感じで、 1人で都内をかけずり回ってました。 |
ほぼ日 | けっこうハードですね! |
どんべい | ワールドツアーに付いていったりもしましたよ。 やがて、YMOのスタッフも どんどん増えていきました。 で、ぼくは1981年に一度やめちゃうんですよ。 |
ほぼ日 | ‥‥なぜ、ですか? YMOの全盛期に。 |
どんべい | もう1回、バンドがやりたかったから。 ベースを放り出したまんまだったので、 やっぱりこのまま人生を終えるのはいやだ、と。 |
ほぼ日 | おー。 |
どんべい | 行き着くとこまでとことんやってやる、と思って バンドを再開したんだけど、 1年ぐらいで、 「あ、俺、バンドじゃなくてよかったんだ」って、 わかっちゃったんです。 |
ほぼ日 | 「バンドじゃなくて、よかった」って‥‥? |
どんべい | 意気込んだものの、 1年で、“行き着いちゃった”んです(笑)。 なにか、 音楽で身を立てようというような野望が するーっと抜けていった感じで。 |
ほぼ日 | 挫折とかじゃなくて、 一種の悟りに近いものでしょうか‥‥。 |
どんべい | そうです、そうです。 そのときに、お手伝いっていうのが 案外自分に合っていたんだなってわかって。 で、それから1年間、 坂本龍一さんの運転手をさせてもらったんです。 |
ほぼ日 | あ、マネージャー志望ではなかったんですか? |
どんべい | いきなり具体的な仕事で忙しくなっちゃうと、 周りのこととか いろんなことが見えなくなると思ったので、 「運転手をやらせてください」ってお願いしました。 それから1年後に 矢野顕子さんのマネージャになりました。 それから19年間、 矢野さんとの仕事は続きました。 |
ほぼ日 | 矢野さんはニューヨークに 移住されたじゃないですか。 そのときって、どうされていたんですか? |
どんべい | レコーディングやライブの現場で 必要になる仕事については、 その都度ほかの方にお願いしてましたが、 ワールドワイドでの「マネージメント」自体は 引き続き、東京でさせてもらっていました。 ただ、ぼく自身、 そのタイミングで独立して「スタマック」っていう 小さな事務所をかまえたんです。 なので、その19年間は矢野さんだけじゃなくて、 「たま」や大貫妙子さんなどの ミュージシャンのマネージメントも させていただきました。 |
ほぼ日 | 同時期に。 |
どんべい | 矢野さんも「たま」も、 それぞれ個人会社があって、 ぼくは「やとわれ番頭」のような スタンスだったんです。 おもしろかったのは、このスタイルって 自分とミュージシャンが 一番自然な関係でいられるように 考えた結果だったんですね。 でも、欧米では こういうスタイルがメジャーだったんです。 |
ほぼ日 | それぞれが母体となる個人会社をもっていて、 お互いが独立した関係だった、と。 |
どんべい | そうやっていくなかで、 「スタマック」でやっていること、 つまり才能あるミュージシャンが 自立できるようなサポートを、 もっとパブリックなサービスとして 誰にでもできるシステムを構築できないかなぁ、と 考えるようになりました。 |
ほぼ日 | どんべいさんというマネージャーの 個人的な資質としてではなく、 その技術や経験は共有できるはず、 ということですよね。 それが、今回出版された 『次世代ミュージシャンのための セルフマネージメント・バイブル』に つながったということでしょうか。 |
どんべい | ええ、そうですね。 本の構想自体は、15年くらい前から 考えてました。 |
ほぼ日 | 15年! ずいぶん熟成させましたね(笑)。 |
どんべい | はい(笑)。 |
(つづきます) |