いつか来る死を考える。 いつか来る死を考える。
人生の終わりの時間を自宅ですごす人びとのもとへ、
通う医師がいます。

その医療行為は
「在宅医療」「訪問診療」と呼ばれます。

これまで400人以上の、
自宅で死を迎えようとする人びとに寄り添った
小堀鷗一郎先生に、
糸井重里がお話をうかがいます。
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
第1回 医師は「お亡くなりになりました」の審判なのか。
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糸井
今日は暑い中ありがとうございます。
小堀
こちらこそありがとうございます。
ぼくは10分ぐらいしゃべると、
声がおかしくなるんですよ。
糸井
それは、かれるんでしょうか。
小堀
そう。もともとは黙って手術をしてた人間だから、
しゃべる生活には慣れてないんです。
仕事がものすごく混んだときなんか、
夕方には声が出なくなります。
糸井
いまのこの時間も、本当だったら
診療をしてらっしゃるときですよね。
小堀
いえ、訪問診療のない日が
週にいちどはあるんで、今日は大丈夫です。
糸井
貴重な日にありがとうございます。
先生の御本を読んで、
ドキュメンタリーも拝見しました。
医師である先生が「臨終の場」から
外に出てしまうシーンがあって、
やけに心に残ってるんです。
小堀
ああ。
糸井
お医者さんというのは、
患者の死ぬ瞬間を確認して
「お亡くなりになりました」とおっしゃるのが
普通だと思っていたので。
小堀
ぼくも以前は
「その場から座を外す」なんてことを
考えもしない人生を送っていました。
こういう生活(訪問診療)は14年ほど前、
まったくのゼロからはじめたのでね。
あの「外に出る」のはつまり、
この道の先達がやってきたことなんです。
糸井
ああ、そうなんですか。
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小堀
ある在宅診療の先生の活動記に、
こんな記述があるんです。
「臨終の場で、席を外しますといって
マンションの階段の下でナースと待った」
ってね。
これを読んだ当時、ぼくも「え!」と驚きました。
糸井
わざわざお医者さんが外に出るんですものね。
小堀
おっしゃるとおり、本来、
医者は臨終には立ちあうものです。
けれども、外に出て待つ先生がいるんだと知って、
「ああ、たしかにそれはいい」と思いました。



ぼくはこれまでたくさんの方を
看取っているし、
死亡診断書もずいぶん書きました。



まず前提として、ぼくは常日頃、患者さんに
「夜中は行かないよ」と言っています。
そういうこともあって、実際にぼくが
息を引き取る場面にいたのは数名だけ。
必ずぼくが死に立ちあわなくてはならない、
というものではありません。
みなさんに説明すると、
たしかにそれで通るんですよ。
そういうことも、先達を真似てるだけなんです。



亡くなるときにぼくが立ちあった「例外」は、
奥さまが認知症で
ご主人が亡くなることがわからなかった場合。
そしてもうひとつはご家族が
知的障害の息子さんだけの場合でした。
彼に「手を握っててよ」と伝えても、
やっぱり握ってるだけになる。
お母さんが死ぬということがわからない。
だから息を引き取るまでの数時間、
ぼくは彼といっしょにいました。
そういう数例を除いては、席を外しています。
糸井
では、その場に立ちあうことのほうが
めずらしいんですね。
小堀
はい。
数年前から真似て、
そうやっているだけです。
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糸井
ぼくにとってあのシーンは、
感じるものが大きかったです。
小堀
それはぼくも、
そう思って、やってるんです。
糸井
お医者さんは、生と死の真ん中で
「審判」のように存在しているものだ、
ということに慣れていました。
考えてみれば「死」は
お医者さんのものではありませんよね。
患者が亡くなるときに外に出る先生を見て、
「この先生はそこのところを考えてたんだ」
なんて思いまして。
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小堀
ぼくは昔、糸井さんがいまおっしゃったような
医者の生活をしていました。
とくに若い時分は、自分が主治医じゃない場合でも、
当直してたら、
患者が亡くなる間際には
病室に行かなきゃいけなかった。



我々はよく
「お亡くなりになりました」と言いますけど、
ぼくはいろいろ言うのは嫌だから、
たいてい「どうも」にしていました。
「どうも」と言うと、その雰囲気で察して
「あっ」と泣き崩れる人もいる。
それが普通で、常識でした。
糸井
はい。
小堀
先輩たちからは
「とにかく慌てて言うな」と教わりました。
亡くなったと判断してもそのあとすぐ
「おお」なんていって、
大きな息をしたりすることがある。
そんなことになれば、
医者として、つまり、糸井さんがおっしゃるところの
「審判」の権威が失墜します。
糸井
そうですよね。
小堀
「亡くなられました」と言ったとたん
モゾモゾ動いたりされてもいけない。
当直の夜なんかは知らない患者さんですよ、
うんと時間をかせいでね、
もう聞こえない心臓の音を聞いて、
充分大丈夫だなと思ってから「どうも」と言う、
そういうことをずっと積み重ねてきました。



ただね、それを
望んでいる方々もたくさんいる、
という現実を
忘れちゃいけないです。
糸井
そうでしょうね、そうだと思います。
小堀
医者が最期まで看る。
みなさんそれを期待します。
糸井
ドキュメンタリーでは、
娘さんがお父さんの喉をさわって最期を知る、
という部分がありましたが‥‥。
写真
(C)NHK
小堀
でも、病院では違います。
最後に医師が馬乗りになって心臓マッサージし、
さらにぼくたちは、心臓に直接
ボスミンというアドレナリンを注射しました。
そうするとちょっと脈拍が出るんですよ。
糸井
波形としてあらわれる。
小堀
ええ。
当時はそれが常識で、
それをやらなきゃ冷たい医者だと言われました。
でも、いまでもそうなんです。
一般の傾向からすれば、
「最期まで手を尽くしてくださった」というのは、
つまりはそういうことです。
それが多数派だということは、
忘れてはいけない事実です。
だからこそ世の中では「病院死」が多い。
変わってはきましたが、在宅の死を望む方は少ない。



我々のような在宅診療に関わる人間を
知っていただくという問題と、
世の中一般のみなさんが
死をそう捉えているということは、
別のことだと思っています。
病院死を望むのは日本だけではありません。
世界じゅうで、同じような傾向がみられます。
(明日につづきます)
2019-09-19-THU
小堀鷗一郎医師と在宅医療チームに密着した
200日の記録
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(C)NHK
小堀先生と堀ノ内病院の在宅医療チームの活動を追った
ドキュメンタリー映画です。

2018年にNHKBS1スペシャルで放映され
「日本医学ジャーナリスト協会賞映像部門大賞」および
「放送人グランプリ奨励賞」を受賞した番組が、
再編集のうえ映画化されました。



高齢化社会が進み、多死時代が訪れつつある現在、
家で死を迎える「在宅死」への関心が高まっています。

しかし、経済力や人間関係の状況はそれぞれ。
人生の最期に「理想は何か」という問題が、
現実とともに立ちはだかります。

やがては誰もに訪れる死にひとつひとつ寄り添い、
奔走してきた小堀先生の姿を通して、
見えてくることがあるかもしれません。

下村幸子監督は、単独でカメラを回し、
ノーナレーションで映像をつなぐ編集で、
全編110分を息もつかせぬような作品に
しあげています。

9月21日(土)より
渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国公開。
『死を生きた人びと 

訪問診療医と355人の患者』
小堀鷗一郎 著/みすず書房 発行
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小堀鷗一郎先生が、
さまざまな死の記録を綴った書。
2019年第67回エッセイスト・クラブ賞受賞。
いくつもの事例が実感したままに語られ、
在宅医療の現状が浮びあがります。
映画とあわせて、ぜひお読みください。
『いのちの終いかた 

「在宅看取り」一年の記録』
下村幸子 著/NHK出版 発行
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映画『人生をしまう時間』を監督した
下村幸子さんが執筆したノンフィクション。
小堀先生の訪問治療チームの活動をはじめ、
ドキュメンタリーに登場する家族の
「その後の日々」なども描かれています。