いつか来る死を考える。 いつか来る死を考える。
人生の終わりの時間を自宅ですごす人びとのもとへ、
通う医師がいます。

その医療行為は
「在宅医療」「訪問診療」と呼ばれます。

これまで400人以上の、
自宅で死を迎えようとする人びとに寄り添った
小堀鷗一郎先生に、
糸井重里がお話をうかがいます。
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
第2回 引退のための、いい方法はありません。
写真
糸井
ふだんからぼくらが「死」について
考えたり話したりする機会は、
圧倒的に少ないです。
たまに話すと
「そんなことは言うもんじゃない」
「いまから考えてどうするんだ」
なんて言われて、先送りになります。
小堀
そうでしょうね、
まぁ、話題にしないですよね。
糸井
ぼくが死に立ち会ったのは
人間でいうと、父親がたぶん最後です。
そのとき父がぼくに訴えたのは、
「みんなが嘘を言ってる」ということでした。
「本当に嫌なんだ」と。



父は食道がんでした。
「ちょっと声の出方がおかしいんじゃない?」
と言ったのはぼくでした。
入院して、父はぼくに
「看護婦も含めてみんなが俺に嘘を言ってる。
それが悔しくてしょうがない」
と訴えました。
父は、ばかだと思われてる、
だましきれると思われてる、と
言いたかったのかもしれない。
本当に悔しそうな顔をしていました。



父がぼくに対して、
そういう信じ方をしてくれてるんだ、
と感じて、それはよかったな、とは
思ったんですけれども。
小堀
ええ、それは息子としては
たいへん誇らしいことですね。
糸井
ただぼくは、それに返す言葉を
用意できていませんでした。
小堀
それはそうでしょう。
お父さまの時代では、
病名を伝えることは一般的ではなかったでしょうし。
写真
(C)NHK
糸井
そこで何を言ったのかよく覚えてないんですが、
内容としては
「まぁそういうもんだよ」
というようなことを言いました。
「まぁそういうもんだよ」が
何を意味してるのかはわからないんですが。
小堀
いやいや、
いまのおっしゃり方で通用しますよ。
糸井
しますか。
小堀
ええ。
糸井
父は「そうなんだよ、悔しいんだよ」と言いました。
あの父の気持ちを自分がくり返すのは嫌だなぁ、
という思いが、いまのぼくにはあります。
これは、覚悟があるとかないとかとは
違うことなんですが、
やっぱり死生観に関するものだし、
「どう生きたいか」の話だと思います。
小堀
ええ、そうですね。
糸井
そういうこともあって、自分は
年をとる前にある程度は
用意しておきたいと考えています。
まず、老いとともに記憶がだんだん薄れて、
弱くなっていきますよね。
小堀
ええ。
糸井
そうなると、少しずつ居場所を少なくしていくのが
自分としてはいいなと思っています。
認知症のテストも受けて、
状況を自覚したほうが
迷惑をかけないんじゃないだろうか、とか。
小堀
しかし、どんなテストも万能じゃないですよ。
認知症スケールでまったくダメだった人が
実生活でちゃんとふるまっていることもあるし、
その逆もあります。



糸井さんが、
死に至るまでの経過を考えておられることは
ひじょうに評価しますけども、
それについてはね、
いい方法はありませんよ。
写真
糸井
ないですか。
小堀
ないです。
ただひとつぼくが言えることは、
スタッフの方についてです。
「社長、この前も同じことをおっしゃいました」
そう言ってくれる人をね、
せめてちゃんと用意しておくこと。
糸井
うちは言ってくれると‥‥思いますけども。
小堀
まぁ、それはわからないですよ(笑)。
糸井
わかんないか(笑)。
小堀
「自分の上司にそういうことを言う人」
そんな人を育てることは、大切です。
糸井
これがいちばんの方法だ、
というのはないけれども‥‥。
小堀
それはないです。
しかし、一緒に過ごしている人にはわかりますから、
それを育てることが大事です。



腹心の部下というのは、
言うことを聞く人じゃありませんよ、
ちゃんと現実を言ってくれる人のことです。
全員じゃなくてもいいです。
全員だとおもしろくないですから。



ぼく自身は、認知症については、
考えないことはありません。
でも「これをやれば防げる」とか
「このテストが何点までいけばやめる」とか
そういう夢は持ってないです。
そんなには、うまくいかないから。
糸井
少しずつ活動の範囲をせばめていくことは、
老年期には向いてるんじゃないかと思ったんですが、
そんなこともないのでしょうか。
小堀
そうは思いません。
それはご自分の能力の話だからです。
つまりすべては、
どういうお年寄りかによるんですよ。



糸井さんは、こんにちを成すだけの
才能がある方です。
そういう人はスポーツの、
オリンピック選手なんかと同じでね、
これまでずっと「ちょっと上」のことを
こなしてきたのです。
具体的に活動を減らすよりも、
「ちょっときついな」という仕事を
これからもどんどんやられるほうが
よろしいんじゃないでしょうか。
これはわからないんです、
やってみなきゃ。
つねに正解はありません。
写真
糸井
スポーツ選手のように‥‥。
小堀
だって嫌でしょう、
まだどこもおかしくないのに、
「その仕事やめとこう、そっちは誰かやってよ」
みたいなことになるのは。
ぼくもこの年でぜんぜん違うことを
はじめちゃってますから、
そのほうがいいすよ。
(つづきます)
2019-09-20-FRI
小堀鷗一郎医師と在宅医療チームに密着した
200日の記録
写真
(C)NHK
小堀先生と堀ノ内病院の在宅医療チームの活動を追った
ドキュメンタリー映画です。

2018年にNHKBS1スペシャルで放映され
「日本医学ジャーナリスト協会賞映像部門大賞」および
「放送人グランプリ奨励賞」を受賞した番組が、
再編集のうえ映画化されました。



高齢化社会が進み、多死時代が訪れつつある現在、
家で死を迎える「在宅死」への関心が高まっています。

しかし、経済力や人間関係の状況はそれぞれ。
人生の最期に「理想は何か」という問題が、
現実とともに立ちはだかります。

やがては誰もに訪れる死にひとつひとつ寄り添い、
奔走してきた小堀先生の姿を通して、
見えてくることがあるかもしれません。

下村幸子監督は、単独でカメラを回し、
ノーナレーションで映像をつなぐ編集で、
全編110分を息もつかせぬような作品に
しあげています。

9月21日(土)より
渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国公開。
『死を生きた人びと 

訪問診療医と355人の患者』
小堀鷗一郎 著/みすず書房 発行
写真
小堀鷗一郎先生が、
さまざまな死の記録を綴った書。
2019年第67回エッセイスト・クラブ賞受賞。
いくつもの事例が実感したままに語られ、
在宅医療の現状が浮びあがります。
映画とあわせて、ぜひお読みください。
『いのちの終いかた 

「在宅看取り」一年の記録』
下村幸子 著/NHK出版 発行
写真
映画『人生をしまう時間』を監督した
下村幸子さんが執筆したノンフィクション。
小堀先生の訪問治療チームの活動をはじめ、
ドキュメンタリーに登場する家族の
「その後の日々」なども描かれています。