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智慧の実を食べよう。
300歳で300分。

「ほぼ日」創刊5周年記念超時間講演会。

『智慧の実を食べよう。300歳で300分』を
あらためてdarlingが語る!!
ダ・ヴィンチ取材・後編



さあ、いよいよ開催まで2週間を切りました。
誰も経験したことのない300分の講演会。
それがどのような時間になるのか、
雑誌『ダ・ヴィンチ』の取材を受ける形で
企画者の糸井重里があらためて語ります。
(この取材の模様は、9月6日発売
 ダ・ヴィンチ10月号に掲載予定です)

後編となる今回は、講演者である5人の方々について。
インタビュアーである永江朗さんの、
軽妙な質問と相づちに導かれながら、
糸井重里が5人の長老について大きく語っていきます。
少し長いですが、じっくりどうぞ。


詫摩武俊さんについて

このイベントを形にしていくなかで、
なにか全体に一本筋を通すような話が、
最初にないといけないな、と思ったんです。
そのとき、頭に浮かんだのが詫摩さんでした。

詫摩さんとぼくは以前、
ひとりっ子をテーマにした座談会で
ごいっしょさせていただいたことがあるんですけど、
そのときに詫摩さんが
「育ちかた」が人の心にどんな影響を及ぼすのか
ということについて、すごく興味深いことを
おっしゃっておられたんです。
端的にいうとそれは、
「老人と一緒に時間を過ごした子どもというのは、
 ほんとうの優しさや思いやりを、
 手に入れることができる」というものでした。
そういうことを詫摩さんに最初に語ってもらえたら、
イベントの導入として最適だと思ったんです。

たとえば、足が不自由な人が自分の家族の中にいたら、
子どもは、いっしょに歩くとき、自然に、
自分の歩幅を小さくしたり、速度をゆっくりにしたり、
少し待っていてあげたりするんだそうです。
そうやって生活の中で、誰に教わるでもなく、
思いやりを身につけていくことができる。
そうすると、おじいちゃん、おばあちゃんは、
孫が見せてくれた思いやりに対して、
素直に「ありがとう」って言いますよね。
「ありがとう」って言われて育つということは、
成長の過程の中でとても大事なことらしいんです。
それを教育ではなく生活のなかでわかるということは
やっぱり大きいですよね。

そのときにお聞きしたそういった話が
ぼくのなかにずーっと残っていたんです。
年をとった人と若い人が
いっしょに過ごすことはとても大事なんだということ。
そういう場所自体が必要なんだということ。
それを実現したい、という思いが、
このイベントを思いつく
きっかけのひとつになったんだと思います。

そういった経緯もあって、
この講演自体のキーノート(基調講演)を
詫摩さんにお願いすることにしました。
時間は少し短いのですけど、
イベント全体の方向性を示してもらいたかったんです。
そう思って詫摩さんにお願いしたら、
「私でよければ」と
快く引き受けてくださったんです。

吉本隆明さんについて

吉本さんとは、つきあいが長いし、深いから、
ぼくは吉本さんのことをほんとうに、
わかってるんだか、わかっていないのか、
わからないんです(笑)。
僕にとっての吉本さんというのは、
どんなデタラメなことを言われても、
とりあえずは、「言われたんだからしょうがないか」
って思っちゃう人なんですよね。

吉本さんはいつも
「大したことない」っていう表現をするんです。
これがカッコイイんですね。
すべてにこだわりを持つ人のように見えて、
「大したことない」とまったく
頓着しないことがたくさんあるんですよ。

たとえば、どうでもいい例をあえて挙げますけど、
「鍋をするのがすごく下手」です。
ふつうは、まず昆布で出汁をとって、
火の通りにくいものを先にいれて……って、
考えながらつくるじゃないですか?
それがね、吉本さんはすべての具を
ザラザラザラーっていっぺんに入れちゃうんです。
温度は下がるわ、煮えないものあるわ、
春菊はグダグダになるわで、たいへんなことになる。 
ぼくはそれを毎年注意しているから、
「去年も言ったじゃないですか!」
って言うことになるんだけど、
「あ、そうか、そうか」って毎年言うだけ(笑)。
まったく学習しないんですよ。
彼は、みんなに鍋を食べてほしいと思ってるんです。
そして、みずからがそれを用意するってことは、
彼にとって重要なことなんです。
けど、その鍋がおいしくできるかどうかについては
「大したことない」と思っている(笑)。
だから、鍋に関しては学習がないんですよ。
ふつうの人は、日常生活でほんの些細なことでも、
工夫したり考えたりして学習してるわけじゃないですか。
でもね、吉本さんの「大したことない」に接すると、
自分がふだん細かくやってることが、
何だかしみったれたことに思えてくるんです。

お花見をするときは、主役の吉本さんみずからが、
朝早くからゴザをかついで、
リュックをしょって出掛けていって、
ひとりで場所取りしてるんです。
新入社員の役割を吉本さんがやるわけです。
それは、信念なんですよ(笑)。
要するに、やったほうがいいことなんだし、
俺がやれるんだからやる、という。
そういう人なんですよねえ。

吉本さんは、娘の吉本ばななさんに、
ひとつだけ教えたことがあるそうです。
それは「大勢いるときにはいちばん低いものであれ」
っていうことらしいんです。
そしてそれを実践なさってるんですよね。
ぼくもこれに感銘を受けたものですから、
できるだけ真似しようと思ってるんですけど、
ぼくなんかがやると、
どうもわざとらしくなっちゃう(笑)。
そのへん、まだまだいたらないところです。

当日、どんな話をされてもぼくは楽しめるんですけど、
ひとつだけ期待しているのは、言葉ですかね。
吉本さんのなかには、ときどきすごく素敵な、
風景の見える詩的な言葉が出てくるんですよ。
戦争が終わった日に海に浸かってた話とか聞くとね、
もう、ほんっとに、大きなね、景色のなかにね、
頬を赤らめた青年がね、
プカプカ浮かんでるのが見えるんですよ。
ああいうところが、ちょっとでも出てきたら
ぼくはうれしいなあ。

藤田元司さんについて

いまだからこそ言えることですけれど、
巨人ファンの僕にとって、
藤田さんの最初の監督就任(1981年のシーズン)は
あまり気持ちのいいものではなかったんです。
長嶋監督の解任に対して、
すごく理不尽なものを感じているところに
突然、藤田監督がやってきたわけですから。
いわば「大好きな先生がクビになった後に、
教育委員会から送られてきた新任教師」
というイメージだったんです。
子どもじみてますけどね(笑)。

ところが、ラジオ番組で初めてお会いしたときに、
印象がガラリと変わったんです。僕は率直に、
「巨人ファンから、よく思われてないかもしれません。
 いわば新任教師ですもんね」
というようなことを言ったんです。
そしたら、藤田監督は
「そうですか、そうでしょうね」と
笑いながらおっしゃるんですよ。そして、
「私に対してどんな気持ちを持っていても
 かまいませんから、とにかく試合を観てください。
 いつでも野球を観にきてください」とおっしゃった。
それで、実際に行ったら、とても歓迎してくれて。
それからぼくは、藤田監督の言葉どおり、
ずーっと巨人について回ったんです。
あるシーズンなんかは、
紅白戦からオープン戦、日本シリーズにいたるまで、
ホームもビジターも含めて70試合くらい観た。
宮崎、グアム、サイパンにもくっついて行きました。
いわば藤田監督のおっかけをしていたんですよ(笑)。

そういうわけで、選手とも仲よくなって、
いろんな情報やエピソードを聞いたんですが、
いちばん驚いたのは、ひとりとして
藤田監督のことを悪くいう人がいない、ということでした。
「怖い」とは言うんですけど。決して悪くは言わない。

藤田さんのことを説明するのに
ぴったりのエピソードがあります。
吉村と栄村というふたりの選手が外野で激突して、
当時3番を打っていた吉村が
長いあいだ休場を余儀なくされたことがありました。
そのとき、選手としては格下だった栄村のケガは
たいしたことがなかったんです。
で、長期のリハビリを経て、吉村がとうとう復活して、
最初の打席で内野ゴロかなにかを打った。
僕はファンとしてすごくうれしかったから、
藤田監督にお会いしたときに
「吉村、復帰してよかったですね」って声をかけたんです。
ふつうなら「吉村はほんとにがんばった」ということで
終わると思うんですが、藤田監督はこう言ったんです。
「でもね、糸井さん、終わってないんだよ。
 栄村が活躍しないとダメなんだよ。
 もうひとり、ケガ人がいるんだよ」って。
つまり、まだ栄村が残ってるっていうんですよ。
自分のことを「吉村に痛い目に合わせた人間」として
みんなが見てるっていうことを知ってる栄村がいる。
だから、栄村が活躍しないと、この話は終わんない。
そういうことだったんです。

こんなエピソードがいくつもあって、
藤田監督が、選手たちをどんなふうにまとめて、
見守って、強くしてきたかがわかってくるうちに、
野球のおもしろさが増えていったんです。
経営者像としてもすばらしいなと思いました。
いつか、自分が、ちゃんとした会社をやってたら、
藤田さんに顧問をやってほしいなって思ってたくらい。
人や組織を動かすのは、テクニックのほかに、
もっと大きいものがあるってことを感じました。
それは心というか、魂というか、
本気で何かを成し遂げたいと思ったときに現れる
愛情のようなものなんですね。

今回は、犠打の世界記録を更新した
川相選手のことなんかも、
タイミングがいいから、ちょっと訊いてみようかな、
と思っています。藤田監督に言わせると、
川相は「日本一才能のない選手」らしいんです(笑)。
あるとき、ぼくが
「いつも川相のことを、才能がないって言うけど、
 ほかに(才能のない選手は)誰かいますか?」
って訊いたら、
「んー、思いつかない」って言ってました(笑)。
だけどね、
「だからこそ、巨人の選手はもちろん、
 コーチも、スタッフも、
 みんな川相のファンなんですよ」って
言いかたをするんです。そんな話、いいでしょう?

小野田寛郎さんについて

たまたま小野田さんがお書きになった本を読んだんです。
ぼくは、小野田さんがブラジルに行かれてから、
悠々自適な生活をされているものだとばかり
思っていたんですが、それが大間違い(笑)。
とんでもない開拓民になってるんです。
で、「なんだ?! この人はスゴイ」と思ってたんです。

いざお会いしたら、聞きしにまさるおもしろい方で。
自分がやったことを全部、自分で説明できる方なんです。
資質として非常に理科系というか、
テクニックや戦略でものを考えるのが
すごくお好きな方なんですが、
藤田監督とどこか似た部分があるんです。
おふたりは顔つきも似ていらっしゃるんですけど(笑)。

こういう言いかたをすると語弊があるかもしれませんが、
小野田さん、もとはただの遊び人なんですよ。
そのへんが藤田監督と共通するんですけど、
要するに、ワルなんですよ。
戦争直前の満州でいい背広を着て、
ダンスホールに通ってた
ただのオシャレなお兄さんだったんですよ。
それが、運命に巻き込まれてしまったというか、
29年間、ルバング島で、
ひとりで戦争を続けることになったわけなんですけども。

小野田さんは戦争中、数人の部下とともに、
島に居残ってしまったわけですが、
小野田さんはリーダーだったわけですから
そのぶん、たいへんだったと思うんです。
自分の命は大切だけれども、
自分のことだけ考えるわけにはいかない。
同時に、部下が能力を遺憾なく発揮してくれないと、
自分もやられてしまう。
小野田さんはすごく優秀な人ですから、
ケガをしたり、志気が下がったりする部下を見て、
「何でできないんだ?!」という
気持ちはあったと思うんです。
それと同時に、小野田さんにとって、
部下たちは非常に愛しい存在だったわけです。
その矛盾した気持ちっていうのが、
話を聞いてると、すごく「痛い」んですよ。

小野田さんは戦争が嫌いだそうですし、
ルバング島には、行きたくもないとおっしゃってます。
要するに、そのときの役割がそうだったから、
帰れって言われるまではやってたっていうだけで。
つまり、あのときに違う役割を与えられてたら、
それはそれで、その役割を遂行し続けていたんです。
要するに頑固な子どもだったんですよね。
小野田さんの言葉を借りれば、
「軍人だったから軍人らしく」しただけなんです。

小野田さんは、いま、自然塾というものを開いて、
子どもたちに、自然の中で生き抜く力を教えるという、
講座を主催してらっしゃるんですよ。
これは小野田さんの実体験と
すごくつながっている感じがします。
そのあたりの話も、
当日は聞けるんじゃないかと思います。
いま、小野田さんが「生きること」について
語るとしたら、それは楽しみですよね。

谷川俊太郎さんについて

谷川さんは、とても胸板が厚くて、
しっかりした体つきをしていらっしゃるんです。
先日お会いしたときに、ぼくがそれを言ったら、
「運動はしてない。遺伝なんです」って
おっしゃるんですよ(笑)。
僕は、これが谷川さんの
おもしろさだと思っているんです。
なんというか、とても気持ちがいい人なんです。
作品を読んだりすると、
「こういう詩を書いている人が、
 ただ明るくて気持ちのいい人のはずはない」
って思えますよね(笑)。
でも、そういう気持ちよさを持ってる人なんですよ。
つまり、その詩作に表れている
「深さ」や「闇」といったものと、
表面的に見える部分の「明るさ」の
ふたつの表現を持っていらっしゃるんです。

だから、谷川さんはカッコイイんです。
いばってるところがなくて
「俺は社会で暮らしてるんだ」
っていうところが前面に出ている。
現実に人生を生きていて、実社会がどうなっているか、
っていうことを本当によくわかっていらっしゃる。
ぼくはそこが谷川さんの中心になっている
「骨」なんじゃないかと思います。
なんというか、街の景色をよく見ていて、
ちゃんと呼吸している、という。

谷川さんは最近、人に望まれるままに、
池袋の書店で、自らエプロンつけて、
一日店長をやったりしてるんですよ。
ぼくは、吉本隆明と橋本治と谷川俊太郎との3人を、
「日本の三大安売り王」って言ってるんですけど。
自分を安売りすることに関しては、人後に落ちない(笑)。
でも、その「安売り」のおかげで、
とってもたくさんの実りを、みんなが得てますよね。
そういうところが、ぼくは大好きなんですよ。

つまり、吉本さんの花見の席取りと、
谷川さんの本屋さんは、同じなんです。
「楽しくやっていきましょう」
「ご迷惑じゃなければ、みなさんもいっしょに」
っていう態度が、カッコイイんですよ。
こういう人が、どういうふうに歳をとっていくのか、
ぼくにとっては、ひとつの見本になりますよね。


5人の長老が集う日は9月13日。
その日がほんとうに楽しみです。
また、長老たちの発した言葉を切り口にしながら、
それぞれの生き様を紹介するコーナー、
「コンビニ哲学 300歳で300分バージョン」
短期集中で連載が始まっています。
こちらもぜひ合わせてご覧ください。

2003-09-01-MON

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