松井 |
我々が考えるということは、
脳の内部と外部を分けて、
「外部の世界を、内部に投影する」
という意味です。
それが知的生命体の定義といえるでしょう。
そうだとすると、
認識する外部の世界が共通ならば、
その投影された内部モデルには、普遍性がある。
そういうことで、やってきているわけだけど、
地球が特殊なんだったら、生命だって、
「果たして、この地球上にいる生命をもとに
生命を定義してしまって、いいのだろうか?」
ということになるんです。
いろんな疑問が出てくるんです。
地球が「普遍」ではないとすると、
我々が知らないような生命っていうのは、
いくらもあり得るわけでしょう?
現状では、生命の定義そのものが、
地球生物学の定義なわけですよね。
つまり、これは、
特殊な定義かもしれないわけです。
地球上の生物の進化してきたのが人間だから、
人間も特殊かもしれない。
モノとしてみれば、そうとう特殊なんです。
でも、我々は「普遍」を目指して
宇宙を解読しようとする。 |
糸井 |
それは、聞くと、
すごい困りますねぇ……。 |
松井 |
そうそう。
こんなことを考えていると
何だかワケがわかんなくなる。 |
糸井 |
(笑)ワケがわかんなくなる、って……。
たしかに、
普遍じゃないくせに普遍を目指すなんて、
「何のためにそんなことするんですか?」
みたいな気に、なっちゃいますよねぇ。
おかしいなぁ。
こないだまでの松井さんのお話を、
ぼくは、とてもよく
わかっていたはずなんだけど。 |
松井 |
これまでのぼくの話は、
宇宙に出て行って、そこからそのまま
単純に俯瞰してみればどうかという考え方の
延長上にあるから、
すべて、普遍性で、語ることができたわけです。
プラトン以来の流れで、
疑いもなくそのまま来ていたんです。 |
糸井 |
ええ。 |
松井 |
世界について考えることは、
もちろん、普遍性を追求するということで、
そこには、何の疑いもなかったわけ。
それが、宇宙をいろいろ見てみたら、
ひょっとしたら、我々の世界、地球の世界、
これって、特殊かもしれないっていうのが
わかってきちゃったわけです。 |
糸井 |
この二〜三年の間に、
そんな変化があったんですか? |
松井 |
まず、一九九五年頃に、
太陽系じゃない惑星系が
はじめて見つかりました。
これは、約八年前。
それから徐々に、
惑星系が見つかりはじめたんだけど、
そのうち、ここ数年になって、
もう毎月のように
見つかるようになってきたんです。 |
糸井 |
(笑)ポンポン見つかっちゃった!
「知らなきゃよかった」
みたいな気がしてきますよねぇ。 |
松井 |
その惑星系を見ちゃうと、
我々は、普遍を求めて宇宙に出たけれど、
実は、地球自体が、普遍でも何でもない、と。 |
糸井 |
「オレって、単なるイナカモンだった」
みたいなことですよね。 |
松井 |
そうそう。 |
|
(明日に、つづきます!) |