松井 |
地球が普遍的ではないとすると、
なんでイナカモンなのに
都会を普遍として受け入れなきゃいけないのか?
そこに、理由がなくなっちゃったんです。
都会に憧れていたんだけど、都会はないというか。
イナカしかない我々が、なぜ都会を目指すのかと。
もちろん、将来的には、
第二の地球も見つかるかもしれないし、
第二の地球の前に、
他の生命が見つかるかもしれない。
ただ、そのときには、おそらく、
我々の考えている生命とは、
まったく違った生命像になるだろう、
ということになるんです。 |
糸井 |
へぇ。
ぼくたちが、
こうやってしゃべっている内容を
向こうの生命がもう知ってたりしたら、
すごい恥ずかしいですよね(笑)。
井の中の蛙だった、というか。 |
松井 |
うん。 |
糸井 |
地球以外の生命のことって……
「そんなことを、
考える必要があるんですか?」
って、たまに、思い切って、
ちょっと言いたくなるんですけど。
きっと、あるんでしょうね。 |
松井 |
科学は、もちろん、
普遍の世界を追いかけてきました。
形而上の世界、という意味では、
知の体系そのものが、「普遍」なんですけど、
いろいろ考えているうちに、最近、
そこのところが何か変だなと
こだわりはじめたんです。
要するに、「普遍」か、「特殊」か。 |
糸井 |
へぇー。 |
松井 |
形而上の世界では、
これまでは「普遍」を求めてきたんだけど、
その根拠はと言うと、なくなりつつある。
宇宙に出ていったら、
地球が特殊だということがわかってきた。
求めていたものは「普遍」ではなくて、
「特殊」になっちゃったんだよね。
で、今度は、形而下の世界の価値観を
よくよく考えてみると、
それが、まったく逆になってきているんです。
形而下の世界、俗世では、
我々は、もともと特殊なものに
価値を求めていたんです。
そうでしょう?
だって、ダイヤモンドに何で憧れるの?
あれは、「特別で稀少だから」でしょう。 |
糸井 |
ええ。
のっぺりしたものは、
イヤだってことですよね。 |
松井 |
うん。
のっぺりしてどこにでもあるような
普遍的なものはイヤで、従って、
空気とか水なんてものは何の価値も置かない、
という時代が、続いてきたけれど、
だけど、いま、ほんとに重要なのは、何か──。
「空気や水や、あたりまえのもの」ですよね。
だから、形而下の世界では、むしろ
「特殊」から「普遍」っていうふうに
発想を展開しなきゃいけない時代なんです。 |
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(明日に、つづきます!) |