怪・その7
「ノックの音」
それは、高校生の頃のことです。
わたしは、鎌倉に住んでいました。
家のあるマンションは風致地区にあり、
前は杉の山で、そこには人家はありませんでした。
鬱蒼とした木々の間に、
獣道のようなハイキングコースがあるだけといった
ロケーションです。
ちょうど定期試験の最中で、
わたしはいつものように一夜漬けで
日本史の勉強をしていました。
勉強机は窓に向かって置かれていました。
午前2時を回った頃でしたから、
カーテンは閉めた状態で
江戸時代の文化史を
声に出して暗記をしていた時のことです。
「四谷怪談」のところまできて、
深夜に口に出すのは嫌だな、と一瞬躊躇したのですが、
ここだけ飛ばすのも何だかなぁと
思い直して言ってみた瞬間。
コンコン!
目の前の窓を澄んだ音でノックされたのです。
えっ‥‥!
思わず机のふちを両手でぎゅっと掴んで、
反射的に椅子を勢いよく後退させながら絶句して、
音のした窓を凝視しました。
わたしの返答を待つかのように、
窓の外はしぃんとしています。
ガラスとカーテンを隔てた外に、
何かが今か、今かと固唾を飲んで
控えている雰囲気がひしひしと伝わってくるのです。
わたしの家は2階で、
窓の前に人が立つことは不可能です。
山は近いのですが、虫がぶつかったような音とは
まったく別物の、硬質な意志のこもったノックでした。
別の部屋で寝ている母を呼ぶこともできず、
外が白んで気配が消えるまで、
そのまま息を詰めて固まっていました。
翌日のテストが振るわなかったのは
言うまでもありません。
けれど、あの時聞いた、
狙いすましたようなノックの音は、
今でも耳に残っているのです。
(ゆ)