フットマークさんには、 上司と部下みたいな関係はあるんでしょうか。 |
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うちの会社はすごくフランクだと思います。 私、入社して最初に先輩社員に怒られた理由が、 「‥‥おい、社長は友達じゃねえんだぞ」 ということで。 |
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一同 | (笑) |
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そのとき注意を受けて、 今でもほんとうに良かったと思うんですが、 たぶん言葉の使いかたを知らないまま、 あまりにもフランクな話しかたをしていたと思うんです。 でも、そんな態度すら受け入れてくださってました。 |
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ぼくはフットマークさんと 10年お付き合いさせていただいてきていますが、 すごく自由な雰囲気を感じつづけています。 |
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それでずっと、うまくいっているわけですよね。 |
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どういう状況が「うまくいっている」かは わからないのですが、 私にとっては社員の人たちが この会社でずっとはたらいてくれているのが なによりうれしいんです。 だから、いちばんうれしいのは 「数年間誰も辞めない」とかですね。 逆にいちばん悲しいのは、 社員の人がこの会社を去るときです。 辛くて、悲しくて、どうしても前の晩は毎回寝られません。 「いっしょに仕事をできる仲間がいる」というのが なによりありがたいことだと思ってるから、 その仲間がいなくなるのは、すごく嫌ですね。 ですから私、退職したどの人についても、 かならず連絡が取れる状態にしてあります。 年賀状1枚ですけど、返事が来ようと来まいと、 拒まれなければ私はかならず出してます。 それは、経営的な何かというより、 ぼく自身の人生観みたいなものです。 「いちど会った人には、またかならずどこかで出会う。 また縁があって、いっしょにまたなにかできる」 そんな思いがあるので、やっているんです。 「この人には、もう二度と会いたくない」とか、 そういう感覚はどの人にだって持てないです。 別の会社に行った人とも、 「いつか共同開発みたいなことができたらな」 という思いがあります。 |
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はぁー、さすがです。 ‥‥いまの会長のお話って、 すばらしい人情の話でもありますけど、 聞きながら今、ぼくは、 これがいわゆる人情の話として終わる話じゃなくて、 フットマークさん全体のありかたに、 すごく影響をしている話のような気がしました。 なんとなくですけど、今の、 「会長やさしすぎですよ」と言われるぐらいの 人情味みたいなものが、この会社において、 周りの人をまた支えてて、補い合ってる気がしたんです。 |
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ああ。そうか。 |
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野球を例にしてしまいますが、 2013年のジャイアンツのリーグ優勝が決まったとき、 解説席の水野雄仁さんが、 「全員が胴上げをされてる原さんを見てますね」 という言いかたをしてたんです。 胴上げのシーンって、ぼくも何度も見てるんですけど、 ふつう、輪から遠くにいる人はさわれないんで、 横の選手としゃべったり、ふざけてたり、 いろんなことしてるんですよ。 でも、そのときは全員が原さんを見ていました。 それを聞いてぼくは、 「これはすごいチームつくったな」と思ったんです。 「いちばんうれしいときに、 全員が監督を見てるチーム」というのは、 やっぱりほんとに強いと思うんですよね。 今の磯部会長のお話は、そういうチームの強さに 通じるものがあるような気がしたんです。 |
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‥‥あの、抽象的な質問になってしまうのですが、 磯部会長は会社を引っぱっていくための 「リーダーシップ」ということについては どのような考えをお持ちでしょうか。 |
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リーダーシップ‥‥ うーん、考えたことないなぁ(笑)。 話がずれてしまうかもしれないけれど、 「リーダー」ということについて言えば、 ぼくはつねづね、社員の人みんな全員が 主役になってもらいたいと思ってるんです。 「引っ張っていかなくちゃ」とかっていうのは 経営的な部分ではあります。 けれど「ものづくり」でのリーダーシップは、 お客さんと接する機会が多い社員の人たちのほうが、 ぼくよりずっと「リーダーシップ」を とれる気がしていますね。 |
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ああ。 |
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もともと私は「会社を引っ張っていかなきゃ」というより ずっと「ものをつくっているのがたのしい」という思いで やってきたほうなんです。 ただ、社員の人たちが増えてくると 「社会やお客さんからの信用」について考えたり、 「会社の規模」を整えることも必要ですから、 経営のほうに自分の軸足を置きはじめるわけですね。 そして今の私の立場は そういった経営的な部分のほうが大事なので、 そちらをやっている、という状態です。 |
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経営寄りになったのは、いつ頃ですか? |
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だいたい20年前ですね。 それまでは、新しいものをつくるのが たのしくてしょうがなくて、 「つくりたいものをつくりたい」という 思いだけでやっていたんです。 ただ、あるとき、 夏にみんなでビールを飲んでいるときだったかな、 社員のひとりから、 「社長、うちの方向性がわかりません」と言われたんです。 これには私、ガックリしちゃって。 当時、なんでもやってたわけですね。 といっても水着関係のことがほとんどですけど。 そのとき、これじゃいけないと思いまして、 「事業領域」や「経営的な指標」といったことを 私のほうはどうしても考えていかるを得なくて、 それで、今に至ります。 ですから今でも私、 「ものづくりに戻っていいよ」と言われたら 嬉々としてやりたいんですけど、 それをやると若い人たちの場がなくなるので、 経営のほうをやっていますね。 ‥‥ここは、なかなかわかんないとこだな。 糸井さんはどんなふうにやってらっしゃるの? |
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ぼくのほうも今会長がおっしゃった話と ちょっと似てますね。 20年前くらいに、フリーランスをやめたんです。 もともとフリーの仕事がおもしろくてしょうがなくて、 一生フリーでやっていくつもりだったんですけど、 その延長線上にどんな自分がいるかと思ったら、 素敵な姿が思い浮かばなかったんです。 「年をとってどこかの企業の顧問になる」とか、 そういうのはちがうと思いました。 この先もずっと自分で決める人生がやりたい。 だけどそれはひとりでは力がもたない。 だから「何人でやるか」も「具体的に何をするか」も、 まったくなにも決まってない状態だったけれど、 「とにかくチームプレーでやっていく」と決めたんです。 |
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それが現在の「ほぼ日刊イトイ新聞」の チームプレーにまでつながっていくんですね。 |
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そうですね。 ただ、今でもぼくは数字とかはよく わかってないと思います。 だけど、チーム用の考えかたをするようには ずいぶんなりました。 |
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チーム用の考えかた。 |
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たとえば会社だと、 社員同士が喧嘩してるだけで「大変なこと」ですよね。 だから今はそういうことがあったら 「どうしたの?」と聞くわけです。 あるいは「いいよ、放っとけば」と言ったり。 どちらにしても「判断」します。 昔のぼくはそんなことを考える人間じゃなかったです。 そういうことからはできるだけ距離を置いてたいと 思っているほうでしたから。 |
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ああ。 |
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だけど、今は会社のなかで、 よくわからない話を「ははぁ」と聞いていたり、 「子供が生まれるんです」という話に親身になったり、 あるいは「外からどう見えるか」を熱心に考えたりします。 今は、そういったことまで含めて 「商品をつくること」だと思っているんです。 だから、半分くらいは自分にそぐわないことを やっている感覚もあるんですが、 もう、そうしたことを意識しないのは考えられないです。 |
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明快に言っていただいて。 それも「ものづくり」の一部ですね。 たしかにそうだ。 |
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さきほど「会社の規模」を整える、 という言葉がありましたけど、 磯部会長は、この会社にとっての 「ふさわしい規模」って、 どのように考えてらっしゃいますか? |
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‥‥どうなればいいんでしょうね。 私にとって理想のひとつは、 「毎日みんなの顔が見られて、それぞれの顔色がわかる」 というものなんですが、 それはやっぱり、30人までかな、と思います。 だから今、うちの会社は50人くらいですが、 「ぼくの考えてる会社とはちょっと違うな」 と思いながらやっているんです。 だけど、50人いる今にしても、 まだまだまったく大したことないし、 これでいいなんて思ったこともないです。 社員のみんなが外の人たちから 「フットマークさんなら」という言われかたを してもらえるようになるには、まだまだ足りない。 もっと規模が必要だな、という思いがあります。 |
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じゃあ、まだまだ増えていくんでしょうね。 |
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ええ、おそらくそうなんだと思います。 | ||
(つづきます。) |
2014-02-10-MON |