糸井 フットマークさんには、
上司と部下みたいな関係はあるんでしょうか。

サノ
うちの会社はすごくフランクだと思います。
私、入社して最初に先輩社員に怒られた理由が、
「‥‥おい、社長は友達じゃねえんだぞ」
ということで。 
一同 (笑)

サノ
そのとき注意を受けて、
今でもほんとうに良かったと思うんですが、
たぶん言葉の使いかたを知らないまま、
あまりにもフランクな話しかたをしていたと思うんです。
でも、そんな態度すら受け入れてくださってました。
三宅 ぼくはフットマークさんと
10年お付き合いさせていただいてきていますが、
すごく自由な雰囲気を感じつづけています。
糸井 それでずっと、うまくいっているわけですよね。
磯辺 どういう状況が「うまくいっている」かは
わからないのですが、
私にとっては社員の人たちが
この会社でずっとはたらいてくれているのが
なによりうれしいんです。
だから、いちばんうれしいのは
「数年間誰も辞めない」とかですね。

逆にいちばん悲しいのは、
社員の人がこの会社を去るときです。
辛くて、悲しくて、どうしても前の晩は毎回寝られません。
「いっしょに仕事をできる仲間がいる」というのが
なによりありがたいことだと思ってるから、
その仲間がいなくなるのは、すごく嫌ですね。

ですから私、退職したどの人についても、
かならず連絡が取れる状態にしてあります。
年賀状1枚ですけど、返事が来ようと来まいと、
拒まれなければ私はかならず出してます。
それは、経営的な何かというより、
ぼく自身の人生観みたいなものです。
「いちど会った人には、またかならずどこかで出会う。
 また縁があって、いっしょにまたなにかできる」
そんな思いがあるので、やっているんです。

「この人には、もう二度と会いたくない」とか、
そういう感覚はどの人にだって持てないです。
別の会社に行った人とも、
「いつか共同開発みたいなことができたらな」
という思いがあります。
糸井 はぁー、さすがです。

‥‥いまの会長のお話って、
すばらしい人情の話でもありますけど、
聞きながら今、ぼくは、
これがいわゆる人情の話として終わる話じゃなくて、
フットマークさん全体のありかたに、
すごく影響をしている話のような気がしました。

なんとなくですけど、今の、
「会長やさしすぎですよ」と言われるぐらいの
人情味みたいなものが、この会社において、
周りの人をまた支えてて、補い合ってる気がしたんです。
三宅 ああ。そうか。
糸井 野球を例にしてしまいますが、
2013年のジャイアンツのリーグ優勝が決まったとき、
解説席の水野雄仁さんが、
「全員が胴上げをされてる原さんを見てますね」
という言いかたをしてたんです。

胴上げのシーンって、ぼくも何度も見てるんですけど、
ふつう、輪から遠くにいる人はさわれないんで、
横の選手としゃべったり、ふざけてたり、
いろんなことしてるんですよ。
でも、そのときは全員が原さんを見ていました。
それを聞いてぼくは、
「これはすごいチームつくったな」と思ったんです。

「いちばんうれしいときに、
 全員が監督を見てるチーム」というのは、
やっぱりほんとに強いと思うんですよね。
今の磯部会長のお話は、そういうチームの強さに
通じるものがあるような気がしたんです。

タナカ
‥‥あの、抽象的な質問になってしまうのですが、
磯部会長は会社を引っぱっていくための
「リーダーシップ」ということについては
どのような考えをお持ちでしょうか。
磯辺 リーダーシップ‥‥
うーん、考えたことないなぁ(笑)。

話がずれてしまうかもしれないけれど、
「リーダー」ということについて言えば、
ぼくはつねづね、社員の人みんな全員が
主役になってもらいたいと思ってるんです。

「引っ張っていかなくちゃ」とかっていうのは
経営的な部分ではあります。
けれど「ものづくり」でのリーダーシップは、
お客さんと接する機会が多い社員の人たちのほうが、
ぼくよりずっと「リーダーシップ」を
とれる気がしていますね。

タナカ
ああ。
磯辺 もともと私は「会社を引っ張っていかなきゃ」というより
ずっと「ものをつくっているのがたのしい」という思いで
やってきたほうなんです。

ただ、社員の人たちが増えてくると
「社会やお客さんからの信用」について考えたり、
「会社の規模」を整えることも必要ですから、
経営のほうに自分の軸足を置きはじめるわけですね。

そして今の私の立場は
そういった経営的な部分のほうが大事なので、
そちらをやっている、という状態です。
糸井 経営寄りになったのは、いつ頃ですか?
磯辺 だいたい20年前ですね。
それまでは、新しいものをつくるのが
たのしくてしょうがなくて、
「つくりたいものをつくりたい」という
思いだけでやっていたんです。

ただ、あるとき、
夏にみんなでビールを飲んでいるときだったかな、
社員のひとりから、
「社長、うちの方向性がわかりません」と言われたんです。
これには私、ガックリしちゃって。
当時、なんでもやってたわけですね。
といっても水着関係のことがほとんどですけど。

そのとき、これじゃいけないと思いまして、
「事業領域」や「経営的な指標」といったことを
私のほうはどうしても考えていかるを得なくて、
それで、今に至ります。

ですから今でも私、
「ものづくりに戻っていいよ」と言われたら
嬉々としてやりたいんですけど、
それをやると若い人たちの場がなくなるので、
経営のほうをやっていますね。
‥‥ここは、なかなかわかんないとこだな。
糸井さんはどんなふうにやってらっしゃるの?
糸井 ぼくのほうも今会長がおっしゃった話と
ちょっと似てますね。
20年前くらいに、フリーランスをやめたんです。
もともとフリーの仕事がおもしろくてしょうがなくて、
一生フリーでやっていくつもりだったんですけど、 
その延長線上にどんな自分がいるかと思ったら、
素敵な姿が思い浮かばなかったんです。
「年をとってどこかの企業の顧問になる」とか、
そういうのはちがうと思いました。

この先もずっと自分で決める人生がやりたい。
だけどそれはひとりでは力がもたない。
だから「何人でやるか」も「具体的に何をするか」も、
まったくなにも決まってない状態だったけれど、
「とにかくチームプレーでやっていく」と決めたんです。
三宅 それが現在の「ほぼ日刊イトイ新聞」の
チームプレーにまでつながっていくんですね。
糸井 そうですね。
ただ、今でもぼくは数字とかはよく
わかってないと思います。
だけど、チーム用の考えかたをするようには
ずいぶんなりました。
三宅 チーム用の考えかた。
糸井 たとえば会社だと、
社員同士が喧嘩してるだけで「大変なこと」ですよね。
だから今はそういうことがあったら
「どうしたの?」と聞くわけです。
あるいは「いいよ、放っとけば」と言ったり。
どちらにしても「判断」します。

昔のぼくはそんなことを考える人間じゃなかったです。
そういうことからはできるだけ距離を置いてたいと
思っているほうでしたから。
三宅 ああ。
糸井 だけど、今は会社のなかで、
よくわからない話を「ははぁ」と聞いていたり、
「子供が生まれるんです」という話に親身になったり、
あるいは「外からどう見えるか」を熱心に考えたりします。

今は、そういったことまで含めて
「商品をつくること」だと思っているんです。

だから、半分くらいは自分にそぐわないことを
やっている感覚もあるんですが、
もう、そうしたことを意識しないのは考えられないです。
磯辺 明快に言っていただいて。
それも「ものづくり」の一部ですね。
たしかにそうだ。
糸井 さきほど「会社の規模」を整える、
という言葉がありましたけど、
磯部会長は、この会社にとっての
「ふさわしい規模」って、
どのように考えてらっしゃいますか?
磯辺 ‥‥どうなればいいんでしょうね。
私にとって理想のひとつは、
「毎日みんなの顔が見られて、それぞれの顔色がわかる」
というものなんですが、
それはやっぱり、30人までかな、と思います。

だから今、うちの会社は50人くらいですが、
「ぼくの考えてる会社とはちょっと違うな」
と思いながらやっているんです。

だけど、50人いる今にしても、
まだまだまったく大したことないし、
これでいいなんて思ったこともないです。
社員のみんなが外の人たちから
「フットマークさんなら」という言われかたを
してもらえるようになるには、まだまだ足りない。
もっと規模が必要だな、という思いがあります。
糸井 じゃあ、まだまだ増えていくんでしょうね。
磯辺 ええ、おそらくそうなんだと思います。
(つづきます。)
2014-02-10-MON