世界をつくってくれたもの。鴻上尚史さんの巻 世界をつくってくれたもの。鴻上尚史さんの巻
同じ時代に生きているのがうれしくなるような人に
出会うことがあります。
そんな人たちの世界のおおもとは、
いったい何でできているのでしょうか。
幼少期から現在に至る足取りをうかがう
連載シリーズの第3弾にご登場くださるのは
演出家で作家の鴻上尚史さんです。
鴻上さんは「自分で考える力をつける」ことの重要性を
著作でくりかえしおっしゃっています。
インタビューは、ほぼ日の菅野がつとめます。
鴻上尚史さんのプロフィール
第3回
前に出てください、殴ります。
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──
中学の演劇部で
「選んだ戯曲が演じられない」という騒動があって、
高校でも、演劇部に入られたんですよね? 
鴻上
はい。高校の演劇部の顧問は世界史の先生でした。
この先生は、中学の顧問とは逆で、
すべてを任せてくれました。
ほとんど顔も出さない。
肝心な部分だけ関わってくる。
ありがたかったです。



でも高校の演劇部でも、
ちょっとした出来事があって──、
当時、高校演劇の甲子園のような大会で、
「高校演劇コンクール」というものがありました。
しかし、愛媛県には
その地方大会がなかったんです。
──
では、その全国大会にも
愛媛県は出てなかったんですか? 
鴻上
どうやらそうでもないらしい。
なぜ県内大会がないんだろうと思って、
高2のとき、東京の事務局に手紙を書きました。
返答が来た。
「ある私立高の演劇部の顧問が
愛媛県の事務局になっているから問い合わせろ」
というものでした。
うちの顧問の先生に相談したら、
「わかったわかった、手続きしてみよう」
ということになりました。



地方大会を開催します、というので行ってみると、
参加していたのは2校。
事務局になっていたその私立高と、ぼくらだけ。
「こうやって複数の学校が参加する大会ができるのは、
戦後、ずいぶん久しぶりです」
なんてことになっていた。
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──
演劇部がほかになかったんですか?
鴻上
いや、あるんです。あるんだ。
でも大会には参加していなかった。



それより少し前に、
1960年代の学生運動が各地で盛りあがっていました。
とくに東京は尖ってて、
高校生たちも運動に参加してた。
そこで文部省が
「文化部の交流を禁止する」
という通達を出したんです。



学生運動がかなり静かになったあと、
東京あたりはすぐに
「この通達には意味がない。
高校生はどんどん交流していこう」
という風向きに変わっていきました。
ところが愛媛県では、
文化部は交流してはまかりならん、の通達が
ずっとそのまま生きていたのです。
──
そんな‥‥。
鴻上
2校で上演して
全国大会のための中・四国ブロック大会に
進出しようとしても「ヤバイ」という思いがあった。
愛媛県の公立高校は参加してないということは
もともと禁止されているんだろうと、
そこでぼくらはあきらめて、
愛媛県大会は2位とし、
中・四国ブロック大会には出場しませんでした。



高3になって
「いや、もういちど参加しよう」
「こんどこそ全国大会へ」
と意気込んで申し込みました。
すると、愛媛県の教育委員会から
「教育委員会としてはOKだけど、校長会が、
公立校が参加して交流するのは
いかがなものかと言っている」
という通達が来ました。



そこで校長会に問い合わせたら、
「我々はOK、しかし、
教育委員会がいかがなものかと言っている」
という、冗談みたいな通達が来ました。
──
呆然としますね。
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鴻上
こういう世界に、ぼくはこれからも
生きていくんだなと思いました。
でもこの話にはオチがついています。



そのあと10年ほど経って、文部省が、
「全国高校文化祭」という
各県持ちまわりの行事をやっていたんですが、
その出しものは、
合唱や絵画コンクール、高校演劇などでした。
そして、もちまわりで愛媛県開催の番が来ました。
──
しかし実質的には、県では
公立の文化部のコンクールは
禁止だったわけですよね。
鴻上
そう、ないわけですよ。
だから大騒ぎになって、
そこでまさに180度変わりました。
さぁ参加しろ、県大会に参加しろ、
意地でも参加しろ、無理にでも参加しろ。
──
わははは。
鴻上
そのときに、ぼくはその
「高校演劇コンクール」の
全国大会の審査員に呼ばれました。
──
うわ、すごい(笑)。
鴻上
先生たちを含めた交流会のような場で、
ぼくはこうスピーチしました。



「10年前でしょうか、ぼくが高校生のとき、
演劇の地区大会に1回参加できました。
もう1回はできませんでした。
当時の教育委員会におられた方、
もしくは校長会の方、
いらっしゃいますでしょうか。
一歩前に出ていただいたら、
ぼく、殴りたいと思います」



シーンとして終わりました。
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──
それはシーンとするしかないです。
鴻上
でもね、そこでひどい目に遭ったことが、
ぼくが演劇をつづけるための
原動力になったと思います。
そして「不死身の特攻兵」だった
佐々木友次さんに惹かれる理由にもなったと思う。
──
佐々木友次さんは太平洋戦争で、
9回飛行機で出撃して、
体当たりで必ず死ぬ作戦だったにもかかわらず、
9回とも生還した人‥‥。
鴻上
ぼくが佐々木さんの存在を知って、
生きておられるとわかったとき、
会いたくて会いたくて、
とにかく会いにいきました。
最初は本にするつもりなんてありませんでした。
2回お会いして、1時間ずつお話しし、
そのあとに、絶対に本にしようと決めました。



しかし、そもそもなぜそんなに自分が
佐々木友次さんという方に惹かれるんだろう? 
それがわからなかったんです。
でも、あの本ができて、
その本に巻かれていた「帯」の文を見たとき、
ようやくわかりました。
──
『不死身の特攻兵』の本の裏の帯には
「“いのち”を消費する日本型組織に立ち向かうには」
と書いてありますね。
鴻上
それは、編集者が書いてくれた言葉です。
見た瞬間にはじめて、
「だから俺は佐々木さんにこんなに惹かれたんだ」
とわかりました。
──
あとでわかった、と。
鴻上
高校もそうだけど、
中学の演劇部でもそうでした。
生徒がいのちを消費することを、
何とも思ってないんです。



中3のとき、顧問の先生は
「今年がだめでも来年やればいいじゃない?」
なんて言ったんだよ。
──
中3に「来年」はありませんね。
鴻上
先生本人が
「来年は自分が顧問を外れるかもしれないから、
そのときやればいいよ」
という文脈だったんです。
しかしおっしゃるとおり、3年生に「来年」はない。
それはつまり、ぼくら生徒の事情は
無視するということです。
戦時中に交戦員ひとりひとりの命を
消費しながら戦いを引きのばした、
日本型の組織の特徴と同じです。
──
命を消費して全体の「雰囲気」を通す。
そうまでする「雰囲気」の正体って、
いったい何なのでしょうか。
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(明日につづきます)
2019-10-31-THU
KOKAMI@network vol.17
「地球防衛隊 苦情処理係」
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鴻上尚史さん作・演出の、
サードステージの新作舞台。
出演は、中山優馬/
原嘉孝(宇宙Six/ジャニーズJr.)/駒井蓮/
矢柴俊博/大高洋夫(敬称略)ほか。



ストーリーは、近未来。
地球は異星人や怪獣の襲撃を受けています。
人類を守るために創設された地球防衛軍は、
戦うエリート、人類の希望の星。
しかし、怪獣と戦うたびに副次的な被害が出てきます。
そして「苦情処理係」は、毎日、
住民のクレーム処理に追われることに。
ある日のこと「ハイパーマン」があらわれて‥‥。
「正義の正解」を追いもとめる、
現代の社会感情をユニークに反映した舞台です。



東京公演は2019年11月2日~24日、
大阪公演は11月29日~12月1日。
くわしくは公式サイトへ