<不定期連載>料理研究家・藤井恵さんと考えるおかあさん、ちゃんとごはん食べてる?
<不定期連載>料理研究家・藤井恵さんと考えるおかあさん、ちゃんとごはん食べてる?
いっしょに考える人 料理研究家 藤井恵さん

藤井恵(ふじい・めぐみ)

料理研究家。
女子栄養大学栄養学部卒業。
大学在学中よりテレビ番組の
料理アシスタントを務める。
大学卒業と同時に22歳で結婚、
25歳で長女、29歳で次女を出産。
5年間専業主婦、子育てに専念し、
30歳でテレビのフードコーディネーターとして復帰。
以来、雑誌や書籍、テレビなどの各種メディア、
講演会などで活躍。
現在、日本テレビの『キューピー3分クッキング』の
レギュラー講師を務める。

藤井恵さんオフィシャルブログ
藤井恵さん公式サイト

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前回お届けした、『母のお料理レッスン』。
母とふたり、台所に立ちながら、
いろいろな気づきや、驚きがありました。

たとえば想像以上に、
母の料理の腕前が健在で達者だったこと。
その味が、昔と少しも変わらなかった喜び。
行く前に電話しておくと、
やっぱり部屋を片づけて待っているらしいこと。

ほんの数ヶ月前に、
あれほど、わたしがやきもきしていたのが不思議なくらいに、
体だけでなく心まで、
うんと元気になったような母です。

後ろから手順を説明する母の声を、
背中で受けながら、いつになく、
仲の良いおしゃべりを楽しむ、わたし達(笑)。

ちょっと前なら、どちらかといえば、
わたしが一方的に話していることに、
相づちを打ったり、ひと言ふた言返すくらいだったのが、
とてもアクティブな
会話のラリーになっていることにびっくりです。

よく、夫婦やカップルのあり方について、
『お互いじっと見つめ合っているより、
同じ方向を向いて、
同じ景色を見ているような関係がいい』、
といった、たとえがありますよね。
でもそれは、そういう気持ちの添わせ方というだけでなく、
実際、会話をするときにも、あえて膝を詰めたりせず、
じっくり向き合いすぎないというのは、
ある意味、肩の力が抜けた、
コミュニケーション方法のひとつなのかも、と思いました。

というわけで、そんなゆるい会話の中、
さらに、もうひとつのサプライズ!
おしゃべりの途中で、
わたしがお茶を淹れようとしていたときのことです。
うっかり、急須のふたをヘンな置き方をしたら、
「こういう置き方をしちゃダメよ」
と、ピシリ、母に叱られました。
そういえば、母は昔から、
ものの置き方、靴の脱ぎ方、服のたたみ方に、
とても厳しいひとでしたっけ。

でも、なんだかヘンな言い方ですが、
こんな、いかにも親らしい言葉は、
久しぶりに聞いたような気がします。
そして、わたしはといえば、
そんな母のお小言が、なんだか嬉しくて、嬉しくて…。
このひとは、わたしの『母親』であって、
わたしは、このひとの『子ども』なんだと、じーん。

とはいえ、その一方で、
「おにいちゃんが、病院からいただいた薬のことで、
10回も20回も同じことをクドクド言うから、
頭に来て、紙くず丸めて投げつけたら、
いつの間にか帰ってたわ」と子供じみたところも健在です。
ふだん、あんなに仲がいいのに、お珍しい~(笑)。
でも、そのくらい元気になったということですね。

そして、この『母の味を教わる』という初めての試み。
母が自分で料理をつくるモチベーションになれば、
という秘かな思いもありましたが、
実際、一緒に台所に立ってみると、
むしろ私のほうが、すっかり夢中で、
そういえばあのレシピも、このレシピも、
きちんと聞いておきたいという気持ちが、むくむく。

枝豆やコロコロに切ったきゅうり、青じそ、みょうがを
しょうゆだれに漬けた、わたしの好きだったあのメニューは、
どんなふうにつくるんだろう。
あじの甘露煮だって、きっとわたしがつくるのとは違うはず。
ひとつひとつ、きちんと聞き取って、
レシピに残しておかなくてはもったいない!
『親レシピ』は、家族だけが知る
大事な大事な財産だということに、
遅ればせながら気がついた次第です。

家庭にはオリーブオイルやナンプラー、
豆板醤やオイスターソースもない時代、
基本の『さしすせそ』を中心につくられてきた、
優しい家庭の味。
母からわたしへ、そしてわたしから娘たちへ、
引き継いでいきたい我が家の味。

途中、それぞれの時代に合わせて、
いろいろなアレンジが加えられていくのでしょうが、
それでも、きっと元レシピのDNAは
受け継がれていくはずですね。

次回のレッスンは、ぜひまた近いうちに。
できるだけ、せっせと通って、
いろいろな味を教えてもらおうと思ってます。

(次回に続きます)

●メールをご紹介します。(編集部より)

連載で藤井さんの七転八倒を読み進むうちに
『死ぬまでは生きる』ということをじんわり実感しています。
詳しく言葉にしようとすると嘘っぽくなってしまって
上手に言えないので、支離滅裂ですみません。
若くても、老いても、人はひとりでは
生きていけないんですよね。
でも、それが生きるっていうことで、
必要な助けというものが、
人生の時間によって人それぞれだということかな、
と解釈しています。
マニュアル通りでは、できないことなんだよなと。
藤井さん流の生き方を
さらけ出してくださってありがとうございます。
(いけだ)

こうあるべき、こうありたい、
というお手本もないわけではありませんが、
人との関わり合いの中においては、
お互いの感じ方、受け取り方もいろいろで、
必ずしもマニュアルをそのまま当てはめて、
うまくいくことばかりではないですよね。
でも、おっしゃるとおり、
人生はひとりきりで歩いていくわけではなく、
たぶん自分でも知らず知らずのうちに
さまざまな形で、
そのときどきに必要な助けを借りながら、
お互いに支えたり、支えられたり
しているのでしょうね。

今回(第10回)の話、嬉しくて、
よかったなーと涙が出ました。

お母様の体調がよくなって、
元気になってきたからできたことかもしれませんが、
こういうことがお母さんにとって、
うれしいことなんだろうなーと私は思っています。
私はアラフォーで、仕事と育児で多忙なため、
たまに母がデリバリーしてくれる側です。

なのですが、
こちらでリクエストしたわけではなく、
何も希望を聞かれることなく、
家族の好みではないものを、悪いタイミング
(メニューを決めて下ごしらえしたものが
たくさんあるなど)
で届けてくれることも多く‥‥。
子供が小さいうちは、出かけられず孤独で、
「料理に手間かけるくらいなら、
家まで来て話し相手になってほしい」と、
思っていました。
(その思いは今でも伝えられていません)

私とお母様とは立場が違いますが、
ちょこちょこ来てくれて、自分の話を聞いて、
一緒にご飯を食べてくれる人がいることは、
とても嬉しいことだと思います。
私も将来の母との関係を想像しながら、
これからも楽しみに読みたいです。
(あいこ)

若い方でも、歳を重ねている方でも、
誰かと話すこと、聞いてもらえることが
心の栄養になるんですね。
押し付けではないところで上手にバランスを取るって、
もしかして、良くも悪くも遠慮のない
「家族」だからこそ、
難しいのかも知れないと実感しています。



母とわたしの関係が以前に比べて、
たいぶうまく回りつつあることについて、
みなさまから、たくさんのご感想をいただき、
とてもうれしく思いながらも、
相変わらず手探りの日々であることに、
変わりはありません。
これまでお届けしてきたエッセイを
遡って改めて読み返すと、
我ながら「なんという娘だ!」と
反省することもしきりです(苦笑)。
引き続き、メールをお待ちしておりますので、
どうぞ忌憚のないご意見、お寄せください。

(藤井恵さんによる
「おかあさん、ちゃんとごはん食べてる?」は
今回でひとまずおしまいです。
お読みくださったみなさん、
本当にありがとうございました。
よろしければ、ぜひ感想のメールを お送りください。
藤井さんにお届けいたします)

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