BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

第1回 道行く人に振り向かれても

第2回
しゃれもんの時代へ
糸井 お二人のおしゃれの歴史を知りたいですね。
広瀬さん、子どもの頃はどうでした?
広瀬 やっぱりちょっと変わってました。
近所に、毛糸を買うと
編んでもらえるところがあったんです。
男の子だったら普通、
ブルーの毛糸なんかを選ぶんだろうけど、
自分はパープルみたいな色を選んだりね。
母親は洋裁ができたので、
よく洋服を縫ってくれましたが、
「ピンクのジャケットがほしい」
とねだって、つくってもらったこともあります。
三十何年前だと、男の子がピンクだなんて、
という時代ですけど、私はどうしてもほしかった。
また、つくっちゃう親も親ですけど。
糸井 それ、小学生の頃ですか。
広瀬 小学校の高学年ですね。
スタイルブックみたいなものを見て、
襟はこんな形がいい、
ウエストはシャーリングを入れて絞ってほしいとか、
よく注文をつけてました。
人と同じものは着たくないというのは、
その頃からあったのかもしれない。
昔の写真なんか見ても、
横でパッチンと止める
白いサンダルはいて写ってるんですよ、
男の子なのに。
大橋 へえー。
糸井 それを主張するって、よほど好きじゃないと(笑)。
あと、親御さんが偉い。
広瀬 編み物を始めたときもそうですが、
「やめなさい」とは一切言われませんでした。
遊びでは、チャンバラごっこなんかはダメで、
当時流行った“きいちのぬりえ”とか、
ボール紙を切り抜いてつくった
着せ替え人形なんか好きでした。
お年玉を貯めてバービー人形も買いましたね。
ずっとそんなので遊んでたけど、
親はそれを取り上げることはしなかったです。
大橋 昔からお裁縫は得意でしたか。
広瀬 小学校のときから刺繍なんか好きで、
家庭科と体育だけはいつも「5」。
ジャージを着ると
みんな同じ格好になってイヤだからと、
ウエストのところに、
ちょっと刺繍を1個入れたり(笑)、
学生服のカラーの高さを
ちょっと低くするとか、
いろいろやってましたね。
大橋 編み物もその頃から?
広瀬 ええ。
きっかけは小学校4年か5年の頃に流行った
リリアンです。
ただ紐ができるだけなのに(笑)、
何だか楽しい。
あれが針や糸との初めての出会いでした。
糸井 リリアン…… そこまでは僕も同じだ(笑)。
子どもの手で何かがつくられるのって、
自分が役に立つ人間のように思えて
嬉しいんですよね。
家庭科の実習、好きだったな。
アップリケとか。
広瀬 私は洋裁箱の袋にアヒルの親子をアップリケして、
「よくできました」
って花マルもらったことを覚えてます。
それにしても糸井さん、
「アップリケ」という言葉が
すぐに出てくるところは、
さすが。
糸井 僕だって、家庭科「5」だったもん(笑)。
大橋さんはどうですか。
子どもの頃、おしゃれへの関心は……。
大橋 やっぱり人と違う格好をしたかったですね。
私も母が洋裁をやっていましたので、
服は全部つくってもらってましたけど、
目立ちたいものだから、
自分なりにぼろ布でリボンを結んだりして。
自分ではカッコいいつもりでも、
母には、そんなみっともないことするんじゃない
って叱られたことがあります。
糸井 大橋さん、多摩美の油絵科でしたよね。
画学生時代はどういうファッションをしてたんだろう。
大橋 画学生っぽくなかったです。
糸井 じゃ、コーデュロイのパンツとかじゃなかったんだ。
大橋 そうじゃなかったですね。
当時は、「装宛」とか「服装」という女性誌があって、
後ろのページにちゃんとつくり方が載ってるんです。
それで、自分で生地を買って三重県の実家に送り、
母にこれをつくってと頼んでました。
糸井 贅沢だね、今聞くと。
大橋 まだ既製服の時代じゃないし、
私の時代はほとんどの方が
お母さんやお姉さんにつくってもらってましたよ。
その後、既製服の時代になって、
なんていいんだろうと思ったのは、
失敗する確率が低いこと。
昔は雑誌の写真だけ見てつくってもらうから、
できあがってからじゃないと
似合うかどうかわからない。
それが既製服だと、
実際に着てみて似合うものが選べますでしょう。
これはいいですよ。
糸井 お二人の話をうかがうと、
大橋さんには娘の注文どおりに
洋服をつくってくれるお母さんがいて、
広瀬さんにも、広瀬さんが好むスタイルを
自由にさせてくれる親御さんがいた。
一代じゃ、おしゃれはできないってことがわかります。
僕なんか粗雑に大量生産的に育ってますから、
まわりと同じものを与えられてたし、
周囲と違ったことをしてれば、
やめろと言われただろうし……。
大橋 環境ということでは、私、
通ってたのが美術学校だったこともあって、
まわりの人たちはとてもおしゃれでしたね。
オートクチュールの服をつくっているおうちの
娘さんなんか、
ダンスパーティーなんてあると、学生なのに
絹のベルベットのスーツなんか着てくるんです。
私はそんなのは持ってないから、
母の手づくりの素朴な服でしたけど。
学生時代のお友達がおしゃれだったことは、
その後の私の仕事などにも
影響してるかもしれません。
糸井 おしゃれするためには、
いろいろ工夫もしたんでしょう?
大橋 それこそ自分でセーターも編みましたよ。
一晩で仕上げて。
なにしろ次の日に着ていきたいから。
広瀬 そうなんです。
編み物は、この日に着たい、
あのスカートに合わせたいという気持ちがあると、
ちゃんとつくれるんです。
これが、
「みんながやるから私もやろう」くらいだと、
後身ごろだけで終わって、
前身ごろまでいかない。(笑)
大橋 私もあのスカートに合うセーターを
明日までに編むんだって、
せっせ、せっせと……。
勉強なんか、そんなに熱心にしたことないのに(笑)。
だけど私、センスは悪かったんです。
たとえば同じ紺のチェックのスカートでも、
お友達はグレーのセーターを合わせてるのに、
私はブルー。
あとで考えると、
お友達の組み合わせって、すごくシック。
それにくらべると、
私ってセンスなかったなって思う。
糸井 そんな昔のセーターのことを
何十年も覚えているところは、すごいですよ。
子ども心に僕が記憶しているのは、
黒いスキーウエアかなあ。
大人の世界でトニー・ザイラーが着てたという
黒のウエアが大流行すると、
子どものジャンパーもみな黒になったんです。
「ザイラーの黒だ」って、
自分でもカッコよく思えてね。
あっ、その頃って、
「カッコいい」という言葉さえ、
まだない時代ですね。
広瀬 ああ、そうかもしれない。
糸井 どういうふうに表現してたのかな。
敢えていえば、「格好がいい」か。
「おしゃれ」とも言わなかったですね。
今で言う「カッコいい」に当たるのは、
もしかしたら石原裕次郎発の
「イカす」かもしれない。
「それ、イカすじゃん」とか。
「素敵」という言葉はどうでした?
大橋 「素敵」はオトナの人の言葉だったような気がする。
今は若い人たちがおしゃれにお金を使ってますけど、
昔は、素敵なおしゃれができるのは、
もっと年上の人たちでした。
おしゃれな子どもって、そんなにいなかった。
お金持ちの子は、また違ってたんでしょうけど。
糸井 あのね、僕の印象では、
お金持ちの女の子は短いスカートはいてました。
東京から転校してきた女の子のスカートも、
たいてい短い。(笑)
広瀬 男の子も、冬でも半ズボンは
東京から来た子でした。
糸井 そうそう。
僕は田舎の子だから、
紺の綿の長ズボンだったもん。
広瀬 いいうちの子は、
フラノのグレーの半ズボンだったりして。
糸井 それ、僕らから見たら、すごいおしゃれですよ。
だけど、そんな僕でも驚いたのが、
広島出身の3つ4つ年下のやつがいて、
彼は人が靴下はいてるだけで、
「しゃれもんが!」って。
それはあんまりだよね。(笑)
大橋 私の子どもの頃は、足袋でしたよ。
それにズック靴をつっかける。
足袋はうちでつくってたので、
お金がかからなかったんですね。
靴下は自分のところでつくれないから、
買わなくちゃいけない。
だから靴下をはいてる子はお金持ちなの。
戦後ですもの、日本は貧しい時代ですよね。
糸井 食卓に載った食べ物を
「まずい」と口にしようものなら、
「イヤなら食うな」と親父に叱られた。
広瀬 私も「残しちゃいけない」と言われて育ちました。
糸井 「ニーズからウォンツへ」とよく言われましたが、
必要なものが足りてからは、
ほしいものが必要なものになっていった
――という時代の流れがあります。
食べものだけでなく、
住環境も「雨露しのげればいい」から、
「快適な住まい」とか言い出したし、
おしゃれもそうですね。
考えてみれば、僕らが小さい頃なんて、
子どもはみんな同じ頭してましたよ。
広瀬 床屋の椅子に座ると、
誰もが同じように散髪されて、はい終わり。
大橋 選択の余地なし。
糸井 それが変わっていったのは、昭和30年代の後半、
東京オリンピックの頃からじゃないかな。
大橋さんが表紙のイラストを描かれていた
『平凡パンチ』の創刊はいつでした?
大橋 39年。
東京オリンピックの年です。
糸井 やっぱりそうか。
僕は『平凡パンチ』は創刊号から読んでましたけど、
振り返ってみると、その前までは
「この人いいなあ」って思う美の基準って、
顔だったんですね。
女優さんでも、顔に目がいってブロマイド集めたり。
ところが『平凡パンチ』の大橋さんのイラストって、
人の全身が描かれているけど、
顔つきなんかは細かく表現してないんですよ。
大橋 セピア色に塗ってただけ。
そこにちょっとだけ目鼻を入れるという感じ。
糸井 顔と体と服と全部含めてその人だ、という感覚を、
僕らはあの表紙あたりから
身につけたんじゃないかと思ってるんです。
つまり顔に目がいく時代から、
体全体に目がいく時代に……。
これ、画期的なことですよ。
おしゃれって、どう顔から外れていくか、
から始まっていくんだな。
昨日まではブサイクでカッコ悪いやつが、
アイビーでキメたとたん、カッコよく見えたりして。
大橋 着るものがものすごく大事な時代になってきた、
という感じはありました。

第3回 マニュアルからはずれよう

第4回 パンツの力

2001-04-12-THU

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