BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

第1回  男もすなる……

第2回
ヤマンバもいいじゃん!

糸井 今はもう廃れつつありますけど、
ガングロの“ヤマンバ・メイク”。
僕、なんでみんながあんなに目くじら立てるのか、
わかんないんです。
醜いから怒るんだったら、
もっと醜いものはいくらでもあるし、
あれはあれで楽しんでるんだから、
いいじゃないかというのが僕のスタンスで。
僕は絶対否定もしないけど、肯定もできない。
だって、真っ黒に焼いちゃった顔が
将来どれだけ後悔のもとになるか……。
それと、汚いのね(笑)。
何日も顔を洗ってないだろうっていうふうに
見える。
実際は洗っているんでしょうけど、
たとえばあの付け睫毛――
付け睫毛自体はいいんです。
僕は大好きだし、みんなに付けさせたいくらい。
でも付け睫毛の糊が
何日も洗ってないように固まって、
アイシャドウがその睫毛の上に積もってたりする。
不潔っぽくて、
「そばにいるこっちが病気になりそう。
 あれ、イヤだね」
という人の気持ちもわかる。
ただし、よく見てるとヤマンバの中にも
レベルの低い子もいれば、高い子もいる。
糸井 高い、低い、ありますねぇ。
石田 私、今、3ヵ所の女子大に
教えに行ってるんですけど、
学生を見ていて最近とても気になるのは、
品がないということ。
それ、レベルの低いヤマンバの不快感と
つながるような気がしますね。
僕が山手線で「かわいいヤマンバだな」と
感心して見ていた子には、
たしかに清潔感があったの。
節度とか慎ましさなんて言うと
古い言葉みたいだけど、
汚くなっちゃう一線というのを
自分でちゃんと知ってる子は、
ヤマンバ・メイクをしてても上品です。
糸井 そう。
カッコいいヤマンバもいるって、
俺、言いたかった。
顔立ちのきれいさとは違うんです。
「世界の国からこんにちわ」というような
タイトルのドキュメンタリーを見てると、
いろんな国の
独自のお化粧やファッションがあって、
僕らとは美意識も少し違うんだろうけど、
息を呑むような美しさってあるじゃないですか。
顔付きとか形、格好の違う人たちが、
全部、違う美しさをもっている。
だから、他人と同じじゃない
何かを出そうと努力している人が失敗してても、
僕はなるべく許したい。
「これはダメ」「ダメ」で切っていっちゃうと、
必ずつまんないものに行き着いちゃうから。
石田 冒険がなくなるんですね。
糸井 「シンプル・イズ・ベスト」ってよく言うけど、
シンプルにはデコラティブを乗り越えたという
強さがなければいけないのに、
こうしていれば無難、安全というところに、
行きがちでしょう。
それが息苦しい。
僕も冒険、大賛成。
たとえそれで恥をかいても、笑って済ませる。
糸井 ただ、「何がいいか」、
わからない派とわかる派と両方いるんですよ。
石田 流行のままやってるにしても、
ちゃんとわかって、自信もってやってる人は
カッコいいですけどね。
その人がほんとにその流行を好きで、
自分の気分に合ってて、しかもその雰囲気が
全体的にあらわれている女の子を見ると
気持ちいいし、
今を生きてる女の子だなぁって感じがする。
でも、ただ流行っているからといって、
メイクや服装、髪形に
何の関連性もハーモニーもなくて、
おまけに電車の中で股開いて座ってたり、
立ち居振舞いもきれいじゃないのを見せられると、
僕、イヤになる。
石田 さっきのシンプルということに関連するんですが、
日本の女性は、
世界の中でもスキンケアにいちばん熱心なんです。
なんでこんなに肌の美しさにこだわるのか、
日本の文化的背景に根源があるんじゃないかって
考えましてね。
そして行き当たったのが
“素(そ)の美”ということ。
糸井 素の美?
石田 ええ。
その対極が“綺羅(きら)の美”で、
これはきらびやかで、装飾を加えていく美です。
で、素の美というのは、一見すごく簡素で素朴。
だけど実は非常に手がこんでいる。
たとえば日本人は自然を生活に持ち込むときに、
自然をそのまま生かしたように見せて、
実は裏でものすごく手を加えているでしょう。
家の白木の柱一本にしても、
木を育てるときから柾目がちゃんと出るように
何年も間伐しながら育てる。
そうやって手間をかけ、
伐採したあともきれいにカンナをかけ、
またその柱をきれいに保つために毎日磨いたりね。
その点、ヨーロッパのログハウスなどは、
伐ってきてそのまま。
多少は削ったりするけど、
できるだけそのまま使おうという発想ですよね。
糸井 そういう違い、ありますね。
石田 私がそんなことを考えていた92、93年の頃は、
ナチュラルメイクの最盛期で、
ナチュラルメイクって
「生まれたままの、手を加えてない状態でも
 私はこれだけきれいですよ」
というのを化粧でつくりだすことでした。
「人事の限りを尽くしてつくった自然」
という点で、
白木の柱と同じだなって気がついたんです。
だからシンプルと言っても、
実際に手をかけないシンプルもあるけど、
手を加えても、加えたように見せないシンプルも
あると思いますね。
糸井 エレガントな発想ですよねぇ。
シンプルの裏に隠された情報量が、
ものすごく多いということでもある。
石田 化粧でも、欧米人との違いはそこですね。
スキンケアで磨き上げた肌に、
ファンデーションなどで丁寧に肌づくりをする。
そして手を加えずにそうなったと感じられることを
目指す。
そういう日本女性の感覚に対して、
欧米的な感覚では、
「手を加えないのが自然、手を加えれば人工」
ということですし、手を加えたのなら
それを効果的に見せようとします。
隠すという発想はないですからね。

第3回 その年齢のもつ奥行き

第4回 パック歴30年

第5回 自分の「きれい」を探そう

2002-03-15-FRI

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