BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

絶対鈍感とダイタイ敏感
(シリーズ4回)

第1回 忘れられた感覚

第2回
超人の超人たる理由
糸井 ここにグラスに入った水がありますけど、
これなんか、いかがです?
前田 (グラスの水を嗅ぐ)持ってきた方、
タバコを吸われるんじゃないかな。
糸井 ……もう、曲芸を見ているような。
前田 (一口飲んで)
まあ、どうってことないんじゃないですか(笑)。
東京の水じゃないですよ。
最相 じゃあ、ミネラルウォーターですか? 
それとも浄水器……。
前田 いや、ミネラルウォーターでしょう。
浄水器を通すと、もう少し違ってきます。
わかりやすい言葉で言うと、
「キレがいい」という表現をする水じゃないんですかね。
糸井 この「ないんですかね」のあたりが……(笑)。
なんか、羨ましいなあ。
自分が知らなかったにおいの情報ネットワーク
みたいなところに生きている人が、
ここに、現実にいらっしゃる。
前田 私、いつも感度がいい
と思われてるかもしれませんけど、そうじゃないですよ。
水以外はまったく普通の嗅覚の鼻です。
最相 えっ、そうなんですか。
糸井 利き酒なんかもできそうですが。
前田 できるのかもしれませんが、
お酒を調べようという気持ちはありません。
イメージとして
赤ちょうちんにつながるムードが好きですから(笑)。
そういうふうに切り換えてしまってるんです。
嗅覚の扉が二つあるみたいに、
普通の扉で今の時間を過ごしていて、
水となると、いつもは閉まっている扉が開く。
そんな訓練をしたわけです。
糸井 おうちで飲む水については?
前田 気にしないようにしていますが、
そこはやっぱり水ですから、今日の水の出来は……とか。
糸井 つい……。
前田 喫茶店でも、これはあそこの水だ、
というのはどこかにある。
守っているようで、攻めてますね、水に対しては。(笑)
最相 嗅覚の扉を開けたり閉めたりするっていうのは、
よくわかります。
チャンネルを切り換えるという感じは、
音楽家の方にもあるようですよ。
糸井 そうでないと、常に音やにおいが気になって
仕方ないですもんね。
で、必要なときに集中する。
最相 そういう訓練を毎日されているから、
聴覚や嗅覚もますます研ぎ澄まされてくるんでしょうし、
研ぎ澄まされてくるということは、
それ以外の感覚をある程度、その場に応じて
シャットアウトできることだと思うんですよ。
糸井 視覚に向かっていた意識を聴覚に振り分けるというか、
足し算にしてそこに集中するみたいなことをなさってる。
最相 それが、ごく自然にできるんですね。
訓練の中で獲得した、
そういう切り換え能力の素晴らしさが、
私たち凡人にすれば、超人的に思えてしまいます。
糸井 先ほどの水を嗅いでいらっしゃるときの集中というのは、
その瞬間、後ろからグサリ刃物で刺されても……。
前田 わからないですね。(笑)
糸井 僕ら、そういう部分を捨てちゃってる気がするな。
能力を総合的にみんな持とうよ、
という教育や思想があったのかどうかわかりませんけど、
とりあえず何でもできないといけないと。
その結果、持っていた能力が分散してしまった、
という面はかなりありますよね。
最相 だけど、感覚の問題というのは難しいです。
たとえば10人にインタビューして、
同じ音でもこう感じますというのが
個人的なものである可能性もあって、
それが絶対音感特有の感覚なのかどうかわからない。
それで100名の音楽家の方々に
アンケートをお送りしたんです。
統計をとる目的ではなく、みんな多様なんだけれど、
その中で共通するものは何か、その裏付けがほしくて。
糸井 共通するのは?
最相 音を聞くと「ドレミ」で聞こえてくるとか、
歌の場合なら、音の名前が先行してしまうために
歌詞が耳に入らないという方も何人かいらっしゃいました。
あと、和音を聞くと、色が見えたり、色彩感がある
とおっしゃる方も多かったです。
前田 色ということでは、においも味も言葉で表現できない部分が
たくさんあるものですから、
私は色に置き換えて記憶するんです。
1年を色分けして、春なら新芽・双葉に陽が当たって
スーッと透き通るような緑感、
それが夏だと緑が濃くなり、透明感がなくなる。
秋になって、今度は褐色。でもどこかに緑感がある。
冬は、それが埋まる感じ。
水ですから、実際にそんな色があるわけじゃないですよ。
あくまで記憶するための自分なりのイメージです。
糸井 つまり、名前のつけようのないにおいの世界を、
地図と年表に置き換え直すというような感じですね。
前田 私の場合、
水の感覚の元になっている色というのが緑なんです。
糸井 ブルーじゃなくて?
前田 ブルーより、「緑色感」ですね。
視覚をまじえれば、爽やかさ、透明感として
ブルーのイメージですが……。
糸井 そうして置き換えたものは独自の、
ご本人だけのものなんでしょう。
においの世界像があって、お前には役に立たないけど、
俺の中には細分化されていると。
前田 ええ。それで、私が感じたにおいのイメージを
人にわかるように伝えるときには、
自分の中のあの色ならばこの言葉というので、
透明感だとか清涼感、爽やかさといった表現に
置き換えるわけです。
だけど数値みたいにはっきりしたものではないので、
言葉や文字では説明しにくいですね。
「藻臭」−−藻のようなにおいがあったとしますね。
藻臭が濃いか薄いかで味も違います。
それだけでなく、キレがいい感じだとか、
やわらかいとか、いろいろあって、
土のにおい、石のにおいのイメージが
浮かぶ場合もあります。
でも特別な試験を除き、
平常ではそういう表現は必要ありませんから、
あくまで私の識別の中にあるイメージ。
自分だけのモノサシとして控えておきます。
糸井 水道局のレポートと、ご自分の日記とが、
別々に存在するんですね。
「藻臭」と簡単に片付けちゃう言葉の中に、
実はたくさんのことがある。
前田 そういうことです。
それと、これは一般の方はあまりご存じないようですけど、
水を正確に判定するためには、
実は容器がすごく大事でしてね。
糸井 ものを調べるには容器、ですか。
前田 容器の洗いがきちんとできているか。
他のにおいがついていないか−−。
調査を依頼された場合、
あらかじめ洗って自分が納得した容器を渡します。
そして、たとえば、湖の水を採るならその水で、
井戸水ならその井戸水で、「共洗い」をするわけです。
糸井 共洗い?
前田 容器をその水ですすぐことです。
違う水で洗ってあると、もう尺度が違ってきますから。
それから、女性ですと化粧品類のにおい、
男性でもタバコのにおいなど着臭の恐れがありますから、
注意が必要です。
採水する前には必ず手も共洗いしてもらいます。
採水直前・試験直前には、
ぜったいに化粧石鹸で手を洗てはいけません。
最相 においが器に移ってしまう。
前田 試料はビンの口一杯に入れて
ビンの中に気泡がないことを確認してから、
栓をしていただく。
空気が入ると運んでいるうちに変わってきますから。
とにかく、採り方や容器の扱いが万全でないと
正確に調べられないんですよ。
ですから、みなさんが簡単に、「この水、調べてください」
とおっしゃっても、できない場合もあります。
調べる側としては、まず容器のにおいをゼロにすることが
大切ですから。

(つづく)

第3回 基準って何?

第4回  自分なりの“モノサシ"で

1999-02-19-FRI

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