第3回
基準って何? |
糸井 |
音楽における「容器」みたいなものって、何なんでしょう。 |
最相 |
それに当たるのかどうかわかりませんけど、
オーケストラというのは、
てんでんバラバラに演奏しているんじゃなくて、
基準音というのがあって、ドレミファソラシドでいうと
ラ、A音ですね。
その国際規約が周波数440ヘルツ。
コンサートマスターがA音を出し、
それをもとにみんなが音合わせして、
演奏を始めるということをしているわけです。
ただ、国によって、あるいはオーケストラによって、
そのA音を自分たちの好きなように
独自に変えていましてね。 |
糸井 |
うちは441ヘルツだとか。 |
最相 |
アメリカは440ヘルツが多く、442もあります。
ヨーロッパでは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルは
445〜446ヘルツ。
ベルリン・フィルはひと頃、
447くらいでやってたそうです。
日本のN響は442でしたか。
そうすると、440ヘルツのピアノで
絶対音感を身につけた人は、
外国に行って445などになると適応できないんです。
バイオリニストの五嶋みどりさんが
そういう経験をなさっていて、
お母様の五嶋節さん指導により、
440ヘルツのピアノで絶対音感を身につけていたんですね。
9歳のとき、アメリカのアスペン音楽祭に招待されて、
現地で練習していたら、みどりさんは自分の音階が
ピアノに合わない、気持ち悪いと……。
どうしてだろうと考えた結果、
基準音の違いに気づかれたわけです。
当時のアメリカは442ヘルツでした。 |
糸井 |
その微妙な違いが、「気持ち悪い」
っていう言葉になるんですね。 |
最相 |
それで演奏会までの1週間、みどりさんは
442ヘルツの基準音で毎日毎日、
音階練習をされたそうです。
その後、10歳で渡米して
ジュリアード音楽院に通うようになるんですけど、
440、442、443ヘルツと基準音の違う3台のピアノで、
それぞれ練習しましてね。
そして、ようやくいろいろな音に対し、
相対的にコントロールできるようになった。
つまり、国やオーケストラによって
切り換えができるようになったんです。 |
糸井 |
音感が多国籍化したわけだ。 |
最相 |
一般人からすると、そんなのどこが?
というほどのわずかな違いですが。 |
糸井 |
それ、たしかに容器の話と共通しますよ。
僕が聞いた話では、柔道の田村亮子さん、
ヤワラちゃんがアトランタ五輪で北朝鮮
(朝鮮民主主義人民共和国)の選手に負けましたね。
あのとき、それが作戦だったのかどうか知らないけど、
相手は柔道着を右前に着ていたらしいんです。
ヤワラちゃんは、それこそ絶対音感に近いような
柔道の選手なんで、それでダメになっちゃったと……。 |
最相 |
気になって仕方ないわけですか。 |
糸井 |
柔道は相手の柔道着をどうつかむかで、
動きも作戦も変わってくる。
それがまったく逆なものだから、
そこの修正ができないままに敗れてしまった。 |
前田 |
右前だとルール違反ということにはならないんで
しょうか。 |
糸井 |
わからないですけど、そういうことがあると、
ルールがまたつくられるかもしれませんね。
スキーのジャンプでも、板の長さだとか
よく日本人に不利なルールに変わったりしますが、
早い話、ルールを変えるということは、
スポーツなら競技の順位まで変えてしまう
ということなんです。
それで、さっきの五嶋みどりさんみたいに、
練習からやり直すわけですね。
そこのところを、これまで曖昧にしてきたんじゃないか
と思うんです。
さまざまな物事において、
絶対音感という神秘的な言葉みたいなもので
一緒にくくられていたものが、実はルールだとか基準音、
容器なのか、いろんな言い方ができるでしょうけど、
そういうものが微妙に違っただけで、
ヒエラルキーが全部ガラッと変わってきちゃう。
だから、前田さんから容器という言葉が出てきたとき、
すごく「なるほど」と感じたんです。
それらの原点が、容器を洗うことだったり……。
共洗いというのは、洗う水もその都度、
変わるということですよね。 |
前田 |
成分がまったく何も含まれていない
蒸留水を使うこともあります。
理化学試験や試薬調整を行なうときに、
尺度のモノサシとして使います。
ゼロの水があってはじめて、
これは1だと数値で表わすのに使う水です。
ところがにおいとなると、これは別なんですよ。
成分がゼロでも、においがないということではない、
臭気試験ではゼロではないのです。
検査・試験目的によるゼロの違いです。 |
糸井 |
前田さんのにおいのイメージでは、
蒸留水は何色ですか? |
前田 |
無色でいいんでしょうね。 |
糸井 |
においがゼロという水はないんでしょうか。
つまり定点になるような水は。 |
前田 |
そこが苦労するところです。
あるにおいを何倍かに希釈するという場合、
希釈する水がゼロからずれていると、
だいぶ違ってきますから。
モノサシを正確にしなくてはいけないですから、
においがゼロの水、無臭水と言いますが、
この無臭水をつくるために最終的には活性炭を使います。
同じ活性炭を使っても、できあがりが違うこともあり、
難しいです。
精製水も、昔はガラスの容器に入っていて、
においはさほどなかったのが、
今は樹脂製の容器に入ってましてね。
樹脂そのもののにおいがする場合もありますよ。 |
糸井 |
はあ、ここでもまた容器ですか。
(つづく) |