第2回 @気仙沼 気仙沼のキャロル。

糸井 ぼくは、いわゆる「ブランド戦略」で
被災地を復興するのは
少し時間がかかると思っているんです。
西條 そうですか。
糸井 「被災地が生産地で、かつ市場」の場合と、
「被災地が生産地で
 それ以外の全国が市場」の場合と
大きさのちがう
ふたつの「市場」があると思うんですが‥‥。
西條 ええ、ええ。
糸井 おいしいパンが焼けたんで
近所の人に買ってもらいましたというのは
わかりやすいんですよね。
西條 そうですね。
糸井 でも「ブランド戦略で地域を復興する」となると
それだけじゃ無理です。

つまり
「被災地が生産地で
 それ以外の全国が市場」のスケール感で
考えなきゃならないわけですが
たとえば今、どこのお米でも
ある一定の水準以上は「美味しい」と言えるのに
名前がちょっと知られた程度で
「魚沼産コシヒカリ」に勝てるかと言ったら。
西條 勝てない‥‥です。
糸井 冗談みたいに聞こえるかもしれないけど
ぼくには
「一次産業」に
「三次産業」を足してできる
「四次産業」で
地域の産業を再構築していく‥‥という
イメージがあるんです。
西條 ああ‥‥「1+3=4」で。
糸井 たとえば‥‥そうだなぁ。

有名な「関サバ」って
大分の佐賀関で一本釣りされるサバですけど、
そういう名前がつくまえは
値段が、ぜんぜん安かったんですよね。
西條 あ、そうなんですか。
糸井 でも、もともと味はよかったし
「一本釣り」ということをアピールしたり
なにか商標を取ったりして
「関アジ」同様に
高級ブランド化していくんですけど‥‥。
西條 なるほど、そういう意味で
第一次産業と第三次産業を「足し算」した
「第四次産業」であると。
糸井 第一次産業が大もとの産業基盤ではあるけれど
よそから来た大きな資本に
「第三次産業で足した部分」を持っていかれず、
地域へ還元できるかたち。

そういうやりかたって、
やりよう次第で、成立させられると思ってます。
西條 でも、ある程度の時間はかかるぞ、と。
糸井 うん。

‥‥ただ、やっぱり、いっちばん重要なのは
「関サバ」が
「うまかった」ってことなんだよなぁ、結局。
西條 そうですよね。

味にしろ、デザインにしろ、物語にしろ、
「被災地のものだから」‥‥じゃ、
続かないんですよね。

リピーターになってもらうためには、
当然ですが、
「好き」になってもらわないと。
糸井 ほとんど、「それだけ」と言っていいくらい。

つまり
「コンテンツ」として成立しているかどうか。
西條 そこが、いちばん重要で
いちばん難しいポイントなんでしょうね。

糸井さんにも現地の講習会のようすを
見ていただきましたが
ミシンでお仕事プロジェクトでは、
「南三陸ミシン工房」
というブランドを立ち上げています。

それから、
これも会場で買っていただきましたが、
手に職・布ぞうりプロジェクト
立ち上げてます。

ぼくはわりとスピード感も重視していて
全国から応援してもらえるブランドを
今、立ち上げてしまって、
いろいろな企業も巻き込んで進めていこうと
思っているんですね。

実際、たくさんの企業さんが
協力を申し出てくれていますし。
糸井 なるほど。
西條 まずは「名」をつけること。

そしてその「名」を、
企業のみなさんの力もかりながら
「ブランド」として、
みんなで育てていこうと。
糸井 うん、うん。
西條 ただ、ひとつだけ
「ダブルブランディング」という構想だけは
入れるようにして欲しいと思っていて。
糸井 ‥‥というと?
西條 これも考えかた自体はとてもシンプルで、
「南三陸ミシン工房」+「制作者の名前」といった
ふたつのタグを作るんです。

それによって買ってくれた人には、
どこの町の誰が作ったのか、がわかる。
つまり、誰の作品に対して
お金を払っているかがわかるんです。

作る人も
自分の名前において責任と誇りを持つことで、
自分で製品管理するようになります。
糸井 家電を配ったときの「実名主義」と
同じ考えかたですね。
西條 これをなぜ大事にしたいかというと、
たとえば「良いものを大量に安く」という
バリバリの資本主義のパラダイムが
いまの被災地に入ってきてしまったら
たしかに仕事は増えたけど「幸せじゃない」
なんてことに
なりかねないと思うんですね。

だから、あくまでも一人ひとりの人が
丁寧に作ったものを
その「物語」を含めたコンテンツとして
妥当な値段で買ってもらう。
糸井 なるほど。
西條 名前のタグつけるだけの
ちょっとしたアイディアなんですが、
やはりあるのとないのとでは
ぜんぜん、違うと思うんです。

こういう業界ってどうしても
時給がすごく安くなりがちみたいなんですが、
たとえば、
ある企業を通して
3500円の商品を出したとします。

その商品を2時間で作れるとして
そのうち500円は制作者である誰々さんに
還元されます、
ということであれば、
単純な時給が750円だったとしても
その還元分を足せば
1000円になるわけですよね。
糸井 ええ、ええ。
西條 これなら売れる商品を作った人ほど
時給も結果的に上がるようになります。

あと、僕らがスピードを重視しているのは、
「ふんばろう」の目的は
まずは被災された方々の支援なので
夢中になって作れるものがあるというだけで、
そして
「買ってくれる人に
 よろこんでもらうものをつくろう」
と工夫を重ねること自体が
「心」にもとてもよいみたいで、
生き甲斐や誇りにもつながっていくんですね。
糸井 なるほど、それはそうかもしれない。
西條 まあとはいえ、
長期的には商品のセンスを含めた「コンテンツ」が
本質的に大事になってくるので‥‥。

関心のある企業さんには
ぜひミシンプロジェクトのグループ
布ぞうりのグループに入っていただけたらな、と。

商品企画から、販路確保、商品の受注、
ブランドの提携、材料提供‥‥
企業さんができることって
たくさんありますから。
糸井 そうですね。
西條 被災地の「物語」を付与した
商品を企画して受注していただけると、
ありがたいです。

もちろん、一般のかたでも
そうしたプロジェクトに協力したいというかたには
ぜひ、グループに入っていただきたいです。

東京で準備のお手伝いなど、
仕事帰りにできることも、ありますので。
糸井 あと、ものすごく単純なこと言っちゃうと
「食べ物」って、
ひとつの大きなコンテンツじゃないですか。
西條 ええ、ええ。
糸井 東北に行ったら
いま、何がどう美味しく食べられるのか?

そのことを魅力的に伝えられたら
人をひきつけられるし、
今じゃないと美味いサンマがなくなっちゃうって
聞いたら
みんな「えーっ!」って焦るじゃない?
西條 はい、はい(笑)。
糸井 それが「食べ物のすごみ」ですよね。

だから、斉吉商店の「金のさんま」って商品は
こういう船から仕入れて、
ガレキの中から助け出した「たれ」を使って
こういう人たちが、ちっちゃな鍋でつくっていて‥‥
みたいな、
そのへんを含めて「コンテンツ」なんですよ。
西條 なるほど。

「物語」を含めた「コンテンツ」。

「ふんばろう」立ち上げのきっかけとなった
「さかなのみうら」さんは、そのお店自体が
すでに貴重な「コンテンツ」ですよね。
糸井 うん。
西條 糸井さんにも以前の「さかなのみうら」の
建物の3階にあがって頂きましたが、
あの建物、
6月なら無料で撤去できたそうなんですが、
「これは残したい」と
がんばったみたいなんです。
糸井 へぇー‥‥。
西條 以前、さかなのみうらの倉庫で
「たこの卵」を食べさせてもらったんですが、
これが‥‥食べたことない食感で
うますぎまして(笑)。
糸井 たこの卵。
西條 さかなのみうらさんといっしょに
物資を配っている
漁師の佐藤長治さんのワカメも、
歯ごたえがよくて、
ふつうのわかめと全然ちがうんです。

僕はワカメを特にうまいと思ったこと
正直なかったんですが(笑)、
「長さんのワカメ」を食べて、
「これはうまい!」と思ったんですよ。
糸井 やっぱり、東北って
元々、いいコンテンツを持ってたんですよね。

だから、サッとできることじゃないんだけど、
商品の知名度を高めてブランド化して
被災地の外に売ることと同時に、
被災地に来てもらって
お金を落としてもらうためにも‥‥
やはり「コンテンツかどうか」が重要ですね。
西條 うん、うん。
糸井 よく思うのは、こっちで知り合った仲間って
つくづく「コンテンツだなぁ」ってこと。
西條 魅力的な人、多いですよね(笑)。
糸井 ぼくが、いい人に恵まれすぎてるような
気もするんですが‥‥。
西條 いや、でも、それはぼくも思います。

類は友を呼ぶ‥‥なのかどうなのか、
ふつうに生きてたら、滅多に出会えない人と
毎日、出会えているというか。
糸井 うん、うん。
西條 おもしろかったのが、
ウラジオストックのテレビの取材を
受けたことがあったんです。

ぼくのところへ取材にくる前日に
南三陸町にも行っていたようで、
美人ぞろいのクルー達が
さっきの長さんを
追っかけてたっていうんですね。

「あの人はきっと
 すごいこと言っているに違いない」
とかいって(笑)。
糸井 言葉が通じなくても伝わる
「コンテンツ」だったと(笑)。
西條 はい。

そういう魅力的な「人」からもらうエネルギーで
「ふんばろう」は
これまで、やってこれたとも言えるかもしれません。
糸井 そもそも「ふんばろう」も
さっきの「さかなのみうら」の三浦保志さんと
被災地で出会ったことから
はじまったんですものね。
西條 ええ。
糸井 ‥‥そのむかし、「大学生」だった期間が
1年ちょっとあったんです、ぼくにも。
西條 はい。
糸井 そのとき、
「若いやつらは、みんなロックを聴いてる」
と思い込んでいたんです。

でも、実際には、当時の大学生の割合って
同い年のうちの「2割」ぐらい。

残りの「8割の若者」は、大学生でもなく、
まして学生運動もやってなく、
つまり「ロック」なんか聴いてもなかった。
西條 ‥‥ええ。
糸井 つまり、大学生だった僕には
他の「8割」が、見えてなかったんです。

「2割」が「すべて」だと思っていた。
西條 なるほど。
糸井 やがて、大学を辞めて、就職しました。

そしたら「矢沢の永ちゃんのキャロル」が
デビューしたんです。
西條 はい。
糸井 「どうしてこんな古いことやってんの?
 わざと?」

‥‥そんな感じに見えたんです、はじめ。
海外ロックを聴いていた元学生としては。
西條 ええ、ええ。
糸井 でも、永ちゃんは、すごかったじゃない?

つまり、何が言いたいかというと
大学へ行っていない「8割」の同世代から
出てきた
キャロルの永ちゃんを見たとき、
オレたち「2割」の学生が
集まってくっちゃべってたことって
どんだけ「狭かった」んだろうと思って
ガックリきたんです。
西條 ああ‥‥。
糸井 で、今回、震災のあとに
はじめて、ちゃんと東北に来てみたら、
みんな「キャロル」なわけ。
西條 なるほど(笑)。
糸井 現れる人、現れる人、
みんな「ギター、バーン!」みたいな。
西條 うん、たしかに(笑)。
糸井 それはつまり、「見えてなかった」んですよね。
西條 ええ。
糸井 みんながみんな、それぞれ大変な状況のなかで
頭をフル回転させて、同じだけボディを使って‥‥。

その「すごさ」や「おもしろさ」が
東京にいたんでは、見えてこなかったんです。
西條 うん、うん、うん。
糸井 東京が、ある意味で「特殊」なんだとは
思うんですけどね。
西條 ‥‥なのに、東京で暮らしていると
「東京が、すべて」と思っちゃう。
糸井 気仙沼に支社をつくった理由も
「ぼくら、勉強させてもらいに来ました」が、
本当の本心ですから。
西條 なるほど。
‥‥「気仙沼のキャロルのみなさん」に。
糸井 そう(笑)。
<つづきます>
2012-02-20-MON