生き物が変化する原因は、
遺伝子が変わることだけではないそうです。
遺伝子に書かれた情報が
活性化されたりされなかったりする
「上書き情報」のようなものが
あることが、だんだんわかってきています。
新しい薬が開発されたり、
肉体改造ができるかもしれなかったり、
いったいどんな未来があるのか、
ひきつづき、お話をうかがいました。
- 仲野徹(なかのとおる)さん
- 大阪大学大学院医学系研究科・生命機能研究科教授。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。1957年大阪生まれ。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道に進んだ。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』『(あまり)病気をしない暮らし』『エピジェネティクスーー新しい生命像をえがく』『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』などがある。読書家としても知られ、読書サイトHONZのレビューアーでもある。
誰も気づかない遺伝子
ドーピング
- ——
- 遺伝子に働きかけて、
どこかを「活性化」させて
体を大きくしたり、
運動能力をあげるようなことができたら、
ドーピングみたいなことが起きますか?
- 仲野
- 可能性としては、あるでしょうね。
よく話すふたつの例があります。
ひとつは、自転車ロードレース、
ツール・ド・フランスで「幻の7連覇」となった
アメリカのランス・アームストロング選手。
精巣癌を克服して英雄視された人ですが、
自分の血を輸血したり、
赤血球を増やすホルモンを
注射していたことがわかって、
記録を抹消されてしまいました。
赤血球が多いと酸素をたくさん運搬できるので、
長距離競技にはとても有利なのです。
一方、フィンランドの距離スキーの選手で
オリンピックなどで金銀のメダルに輝いた
エーロ・マンティランタは、
赤血球が多くてドーピングが疑われたものの、
ホルモン受容体の突然変異で、
体質的に赤血球が多いことがわかったので、
ドーピングには抵触しませんでした。
たとえば、こういう変化を起こさせる方法がわかれば
誰にも気づかれずに遺伝子ドーピングをすることは
可能でしょうね。
- ——
- 遺伝子そのもの、あるいは「付箋」を
加工することができたら、薬物と違って、
誰にもわかりませんよね。
- 仲野
- あるいは、アルゼンチン出身の
サッカー選手リオネル・メッシ。
子供のころ、成長ホルモンの分泌不全で背が低かった。
でもサッカーの才能があったので、
FCバルセロナが治療費を出して、
成長ホルモンの投与によって
身長165センチくらいまで伸びた。
このケースでは「治療」ですから
ドーピングではないけれど、
極端な話をすれば、
正常な人の身長をさらに伸ばすことだって
可能なわけです。
いまはできませんが、
エピジェネティックな状態を変えて、
子供のころ筋肉の状態をよくするとかできれば、
いまのドーピングの定義には当てはまらない。
そういうことを画策する国があっても
不思議ではないですよね。
- ——
- あり得る感じがしますね。
エピジェネティクスの研究が進むと、
新しい病気の治療法がみつかる可能性も
あるわけですよね。
- 仲野
- 十分にあります。
異常のある遺伝子を
正常化することは難しいけれど、
エピジェネティックな印の異常は、
薬剤である程度操作が可能です。
実際、そういうお薬による治療も
はじまっています。
- ——
- すごい可能性を秘めているんですね。
- 仲野
- そう思います。
でも、まだまだわからないことが
多い分野でもあります。
日本人の体格は
どうして良くなったか?
- ——
- 出発点の素朴な疑問に戻らせてください。
日本人の体型が、この3世代くらいで
みるみる変貌していったのは、
「足を長くしよう」とか、
「膝から下をのばそう」とか、
「頭を小さくしよう」とか、
私たちの遺伝子のなかで
使われてこなかった情報の付箋がとれて
目覚めたエピジェネティックな現象と
考えられるのでしょうか?
- 仲野
- これね、率直にいうと、わかりません。
俗にいう「氏か育ちか?」
科学的にいうと「遺伝か環境か?」問題ですね。
おおざっぱにいうと、
ほとんどのものが両方の影響を受けているんです。
片方だけで決まるものは、それほど多くない。
例外的に、遺伝だけで決まるのが目の色なんです。
目の色は複雑で、人口の数だけあるといわれるんです。
みんな微妙に違う。
- ——
- ほぉ〜〜〜〜。
- 仲野
- 身長は70%くらい遺伝要因だとされています。
でも、どの遺伝子がどうだったら
背が高くなるか低くなるかまでは、
いまのところわかっていない。
これから、
たくさんの人のゲノムが読まれるようになると
わかるかもしれませんけれどね。
エピジェネティクスは、お話してきたように、
受精したときに印がはがれて「ガラガラポン」だから、
基本的には次の世代に遺伝はしない。
ただ、例外的ですが、エピジェネティックな状態が
遺伝することもあります。
それくらいしかわかっていないので、
日本人がほんの3世代くらいで
体格が良くなったとしても、世代交代のときに
エピジェネティックに何かが起きたかどうかは
わかりません。
たしかに、今どきの子はプロポーションがいいし、
足が長い。
とくに膝から下が長い子が
増えているように思えます。
統計は見ていませんから、イメージですけどね。
よく、戦後、栄養状態が良くなったからとか、
畳で生活しないようになったからとか言われますが、
そんなことで、
こんなに体格は変わらないような気はします。
これがエピジェネティクスかどうかと聞かれたら
現状では「わかりません」としか
答えようがありません。
これからの研究を待つしかないですね。
- ——
- なるほど。
いずれ解明されるとおもしろいですね。
今日は本当にありがとうございました。
(おわり)