ほぼ日刊イトイ新聞が、学校をはじめます。
「古典を学ぶ学校」です。
最初のテーマは「シェイクスピア」です。
糸井重里が長くあたためていて、
ようやくかたちにすることができました。
そこには、河野通和との出会いが
なくてはなりませんでした。
それにしても、どうして「ほぼ日」が古典を?
「ほぼ日」がつくる学校って、どんなところ?
糸井重里と、ほぼ日の学校長・河野通和が、
「ほぼ日の学校」について語りました。
- 河野
- ちなみに、糸井さんが「学校」と聞いて
思い出すことは何ですか?
- 糸井
- うーん‥‥「友だち」ですね。
- 河野
- おんなじだ。ぼくもそうです。
- 糸井
- あ、そうですか(笑)。
- 河野
- 山本直純さんが作曲した
『一年生になったら』という唱歌に
「友だち100人で笑いたい」
というくだりがありますが、
学校というのは、家庭から離れて
世界が広がるはじめての場所です。
隣近所や血縁に限定されない、
いろいろな友だちに会えるのが純粋な楽しみです。
そして、自分の思い出をたどれば、何かを教わる、
何かができるようになるというのは、
小さいときに背丈が1センチずつのびるように、
筋肉がひとつひとつついていくように、
できることが増えること。
肺活量が増えると長く走れる、深く潜れる。
世の中の見え方が変わっていく。
そういうことを学校生活とともに実感しました。
自分がたくましく、
たのもしい存在になっていくのを
身体的に確かめられたんですね。
本当はそれが学校の原点だと思うんですけど、
いまの学校は拘束衣を着せられている
イメージじゃないでしょうか。
- 糸井
- ああ、なるほど。
- 河野
- 夏休み明けの9月1日が子どもたちにとって、
自殺したくなる(不登校になる)
危険な日だというのは、
とても悲しい話だと思います。
本来、学校は頭に知識を詰め込むのではなく、
世界の広がりを体感する場ではなかったのかなと。
- 糸井
- 学校や教育の専門家の話を聞くと、
きちんとできているところは
できているんですよね。
いい研究をしている人たちもたくさんいる。
だから、できているところと
できていないところの差が大きいんでしょうね。
- 河野
- そうかもしれません。
- 糸井
- そういう意味では、
ぼくらがやろうとしている学校は、
「いいシステムを作ろうとしている」
というわけではない。
自分たちがやりたいのは、集まって、
あることについて一緒に考えるとか、
教えるとか、伝えるとか、ごちゃまぜにして、
ひとつのテーマで泥んこあそびしましょう、
というようなことだと思います。
ときにはその泥が
焼き物になって茶碗になるかもしれない。
そういう肉体性が欲しいですよね。
座学でも肉体性というのは絶対にありますから。
- 河野
- そうですね。
- 糸井
- 河野さんは、すでに「ほぼ日の学校」の
講師を務める人たちと
打ち合わせを重ねているわけですが、
だんだんと形になっていく過程で
手応えというか、勇気づけられることも
あるんじゃないかと思うんです。
- 河野
- はい。まず、ほとんどの講師の方は
「ほぼ日の学校」をとても
たのしみにしてくださっています。
みなさん、「ほかの講師の授業にもぜんぶ出たい!」
とおっしゃっています。
- 糸井
- あー、いいですね(笑)。
- 河野
- オファーしたときもほとんどの方が
「やりましょう」と即答で、
逡巡したり、スケジュール帳を確認したり
ということさえほとんどなくて。
さらには「教室はこんなふうにしたら」とか、
どんどんアイディアが出てくる。
みなさん「ほぼ日の学校」に関わることを
すごくたのしみにしてくださっています。
- 糸井
- つくる場としては、もう成功ですよね(笑)。
ところで、気が早いんですが、
河野さんは「ほぼ日の学校」で
取り上げたいテーマというのは
シェイクスピアのほかにありますか?
ぼくは、「枕草子」とか「万葉集」とか
日本の古典はやってみたいなと思ってるんですが。
- 河野
- ぼくもやはり「万葉集」はおもしろいと思います。
日本人の感情の原型というか、そういうものを、
いまぼくらがひもといていくのは興味があります。
あとは、中国のものも、やってみたいなぁ‥‥。
- 糸井
- ちなみに、
河野さん大学の専門はロシア文学ですよね?
- 河野
- はぁ、まぁ‥‥。
- 糸井
- ロシア文学はそうとう勉強したんですか?
- 河野
- えっ、そこにきますか(苦笑)。
- 糸井
- いや、河野さんの略歴に書いてあるので。
あれ? そこ、避けてませんか?
- 河野
- ‥‥いや、そうですねぇ、この話は、
なかなか簡単に言えない問題でして‥‥。
- 糸井
- ひとことで言うと?
- 河野
- ‥‥‥‥やり直したいです。
- 糸井
- あははははは、おもしろい!
- 河野
- 読んではいるんですが、
きちんと学んではいないんですよね。
学生時代、とにかくぼくはロシア文学の
全体像を早くつかまえたかったので、
みんながロシア語に苦労しながら
授業で数行ずつ時間をかけて読んでいるのが
かったるかったんですよ。
ぼくは高速道路を行くように
一気に19世紀以降のロシア文学を
ぜんぶ読み尽くしたいと思ったんです。
だから、来る日も来る日もロシア文学の
全集を日本語訳で読んでいました。
今月はドストエフスキー月間、来月はチェーホフ、
その次はトルストイというように。
そのときのぼくを間近に見ていた友だちには、
ちょっと狂気じみて見えたようです。
本当に来る日も来る日も全集だけ読んでいた。
他の海外文学についても同じです。
‥‥でも、ぜんぶ翻訳なんですよね。
ですから、原語で読んでいる学生たちに
後ろめたさを感じながら読んでました。
- 糸井
- 卒業論文とかはどうしたんですか?
- 河野
- 卒論はアイディア勝負でした。
- 糸井
- 何を書いたんですか?
- 河野
- 二葉亭四迷なんです。
- 糸井
- はぁーー、訳者の方にいく(笑)!
- 河野
- 二葉亭が言文一致の新しい
日本近代文学を模索しているときに
参考にしたのがロシア文学でした。
国文学者は二葉亭しか読んでいなくて、
ロシア語のテキストをどうも読んでいないらしい。
そのスキ間に目をつけました。
ですから、まぁ、編集者としては当時から
冴えてたんじゃないかと思うんです(笑)。
- 糸井
- なんというか‥‥できることをしてますね。
- 河野
- それしかできなかったんです(笑)。
結果的には主任教授が
「いやぁ、おもしろかった」
と言ってくれましたが‥‥。
いや‥‥やり直したいですね。
- 糸井
- 河野さんがロシア文学について
語らないのは気づいてましたが、
そういうことでしたか(笑)。
- 河野
- 初恋を告白したような気持ちです。
(とても小さな声で)はー、すっきりした。
- 糸井
- 「ほぼ日の学校」のテーマとして
ロシア文学もあり得るというのは確かですね。
この前、チェーホフの芝居を見たんですけど、
ただ読むよりも、演劇との組み合わせで、
ぐっと奥行きが出たりもしますよね。
- 河野
- チェーホフはぼくも好きです。
何も起こらないし、どうということのない
話が切り取られている短編小説が多いのですが、
それがだんだんおもしろくなる。
そういう意味では、ぼく自身、チェーホフを
もう一回、読み直したいと思いますね。
- 糸井
- 「チェーホフを5回読む」
みたいな講座もあり得ますね。
- 河野
- ああ、おもしろそうです。
他に古典というと、
ヘンリー・ソローの『森の生活』とか
読み直したいなあと思います。
自然派の聖典みたいな色がつき過ぎて
避けていたところがあるけれど、
素の気持ちでいま読んだら
おもしろいと思いますね。
- 糸井
- その意味では「親鸞」もできますね。
- 河野
- いいですね。ああいうものこそ、
若い人は若い人なりに疑問をもつだろうし、
その疑問をどう表現するかが
大事なレッスンになると思うんです。
- 糸井
- 古典は年齢を問わない。
- 河野
- 年齢差を軽々と超えていくのが
古典というものの懐の深さだと思います。
だから、みんながどこからでも参加できる。
- 糸井
- どこまででもできそうですね。
いや、ひとまず、はじまりの話としては
このくらいにしておきましょうか。
どうもありがとうございました。
- 河野
- これからがほんとうにたのしみです。
ありがとうございました。
(はじまりの対談はこれで終わりです。
ありがとうございました。)
2017-10-13-FRI
ほぼ日の学校がはじまります。
詳しいお知らせの前の予告です。
ほぼ日の学校は、古典を学ぶ場です。
古くて難しいと敬遠されがちな古典ですが、
触れてみれば、奥深い魅力にあふれています。
それを、おもしろく、たのしく学べたら。
この想いを「ほぼ日の学校」と共有してくださる
いろんな分野で活躍中の講師の先生たちと一緒に
古典の醍醐味を味わいつくす学校をはじめます。
まずは2018年1月から、毎月2回、平日の夜に
「ほぼ日」オフィスに集って学ぶ通学クラスを
スタートします。
講義あり、朗読や鑑賞のワークショップあり、
質疑応答も懇談もありの、盛りだくさんの内容です。
クラスの概要や講師のみなさんの顔ぶれ、
定員、料金など、学校についての詳細は、
来週からお知らせできる予定です。
今しばし、楽しみにお待ちくださいね。
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