ほぼ日刊イトイ新聞が、学校をはじめます。
「古典を学ぶ学校」です。
最初のテーマは「シェイクスピア」です。
糸井重里が長くあたためていて、
ようやくかたちにすることができました。
そこには、河野通和との出会いが
なくてはなりませんでした。
それにしても、どうして「ほぼ日」が古典を?
「ほぼ日」がつくる学校って、どんなところ?
糸井重里と、ほぼ日の学校長・河野通和が、
「ほぼ日の学校」について語りました。
- 糸井
- ぼくが急に「古典」をやりたいんです、
シェイクスピアをやりたいんです、
と言ったとき、意外でしたか?
- 河野
- 意外な感じはなかったけれど、
聞いた瞬間はハードルが高いなと思いました。
というのも、世間的にはちょうど、
人文系の学問を大学の教科から
はずそうという動きがさかんでしたから。
シェイクスピアを教えている
大学の英文科なんていうのは、
社会の役に立たない無用な存在の
代表のように言われていて。
- 糸井
- あー、そうですね。
- 河野
- 目は最先端のことに向けられて、
みんなの意識のなかで古典はあとまわしというか、
脇に追いやられている状況でした。
一見、迂回路に見えるけれども、
古典はいまなお宝の山であって、
ずっと先でつながるんだよ、
というのは理屈ではわかっても、
はたしてどこまでそれが人に伝わるんだろう、
という疑問が浮かびました。
- 糸井
- なるほど。
- 河野
- でもぼくは、やりようはあるはずだと思った。
- 糸井
- やりようはある。その考え方は、
たとえば「古典」を雑誌で特集するとしたらどうか、
という発想ですよね。
- 河野
- そうです、そうです。
シェイクスピアを特集したらどうだろう?
万葉集ならどうだろう? と考える。
おそらくハードルは高いだろう。
では無理かと考えると、
やりようはあるはずだと思えるんです。
むしろ、オーソドックスな方法で。
誰かに新作を書いてもらったり、
現代思想の知見を披露してもらうより、
むしろ古典そのものにフォーカスして、
おもしろい光を当てた方が
骨太の特集ができるのではないか。
そんなふうに考えていくと、
「あ、いけるんじゃないかな」と思えてきました。
ただ、私自身、古典が得意かというと‥‥(笑)。
- 糸井
- 河野さんは、当然、そういうことを
しっかり学んでいる人だと思ってましたが(笑)。
- 河野
- あの、高校時代の古文や漢文の先生とは、
ほんとうに不幸なめぐり合わせしかなくて‥‥。
- 糸井
- たしかに、そのあたりのつらいことを
誰しも思い出しちゃうのが
古典というものなのかもしれませんね。
おれは小島先生だったなー(笑)。
- 河野
- あれがそれこそ江藤淳さんだったらとか、
詩吟をうなるようなおもしろいおじいちゃん先生が
漢文を教えてくれたら違っただろうな、
なんて思うんですけど、実際には受験対策用の
こざかしいテクニックを教えるような授業ばかりで。
『徒然草』がなんたらかんたらといっても、
自分にはおもしろさがわからん、
と思っていたのが高校時代なんですよ。
- 糸井
- 河野さんでさえ、
そこにアレルギーが残ってるんですね。
- 河野
- たっぷりあります(笑)。
不幸な出会いばかりで、ずっと古典ぎらいでした。
吉本隆明さんが『古代歌謡論』とかやっているときも、
「うーん、つきつめて勉強するとこうなるんだよなー」
とか思っていたわけです。
「源氏物語おもしろいよ」と言われても、
「そうですか。ヒマができたらいつか」と応じていた。
- 糸井
- おもしろいなー。
河野さんが古典ぎらいだったというのは、
それは逆に、すごくいいですね!
- 河野
- うーん(笑)。
- 糸井
- だって古典の申し子みたいな人だったら、
「どうして君たちはわからないんだ!」
となっちゃうでしょう。
ぼくは、ちっとも古典を勉強していないくせに、
古典に対する関心はずっとあったんです。
「学校やるぞ、古典だぞ」と思いついて以来、
どうやって人に伝えようかと
少しずつ考えるようになったんですけど、
たとえば本屋さんの棚をみると、
リベラルアーツ入門の本はけっこうあるんです。
『「全世界史」講義』の出口治明さん
(ライフネット生命保険創業者)のブームが
あったことが影響していると思うんですが、
出口さんが歴史の本を読み尽くして、
「世界の歴史をちゃんと読むと
いまのことがわかるんだよ」ということを
しゃべってくれたおかげで、
みんながああそうかと思ったわけです。
そういうことをもっと立体化したいな、と。
ただ、リベラルアーツがビジネスに役に立つぞ、
っていう切り口だけから打ち出したくはない。
受験勉強みたいに「勉強できる」と
簡単に思い込まれちゃうとちょっと困る。
- 河野
- そうですね。
- 糸井
- だけど、古典を媒介にすると、短い時間で
魂の受け渡しができるかもしれないとも思う。
非常に矛盾しているけれど、
そうしたことをいろんな人に話しました。
すると、みんな「学校はいい」って言うんです。
ただ、どうやるかというところまでは
当たり前ですけど踏み込んで考えないから、
「そりゃあ、いいんじゃないっすかー」
ってわりと気軽に言うんですよ(笑)。
- 河野
- うん、うん(笑)。
- 糸井
- どうやれば成立するか、
どうやれば存続する形でできるか。
ここ1年くらい、ずっと考えながら、
世の中のいろんな学校や
教育のかたちを見てきました。
いろんな学校がいろんなかたちで
成り立っていることを知って、
教育っておもしろいもんだなと
あらためて思えるようになりました。
そして、簡単に「これです」という
答えが出たわけじゃありませんけど、
少なくとも「ほぼ日」が関わることで
おもしろくなることはあるな、
という自信がでてきました。
ふだんぼくがやっているような
急ぎ方ではいけないんだろうと思いつつも、
何と何が大事なのかは、
だいたい見つけ終わったという感があります。
ほぼ日の学校がはじまります。
詳しいお知らせの前の予告です。
ほぼ日の学校は、古典を学ぶ場です。
古くて難しいと敬遠されがちな古典ですが、
触れてみれば、奥深い魅力にあふれています。
それを、おもしろく、たのしく学べたら。
この想いを「ほぼ日の学校」と共有してくださる
いろんな分野で活躍中の講師の先生たちと一緒に
古典の醍醐味を味わいつくす学校をはじめます。
まずは2018年1月から、毎月2回、平日の夜に
「ほぼ日」オフィスに集って学ぶ通学クラスを
スタートします。
講義あり、朗読や鑑賞のワークショップあり、
質疑応答も懇談もありの、盛りだくさんの内容です。
クラスの概要や講師のみなさんの顔ぶれ、
定員、料金など、学校についての詳細は、
来週からお知らせできる予定です。
今しばし、楽しみにお待ちくださいね。
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