【手島編】
幻の唐辛子が
残る島。
翌朝。
この日は、塩飽諸島の「手島(てしま)」に向かいます。
昨日、車で広島のあちこちを
案内してくださった木下さんは、
本業が漁師さんなんです。
手島へはフェリーで行くのが普通ですが、
「このほうが速いから」と、
とくべつに漁船に乗せてもらうことになりました。
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▲この漁船で、手島へ向かいます。
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▲かっこいい木下さん。
尾崎さんいわく「瀬戸内海の加山雄三」!
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▲波がおだやかな瀬戸内海。
とても気持ちがいいです。
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▲15分で手島に到着!
ここは、人口が30人にも満たない島です。
港に着くと、
ひとりの男性が自転車で迎えに来てくれました。
尾崎さんが紹介してくださいます。
「幻の唐辛子といわれる
『香川本鷹』を生産されている高田さんです」
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▲この方が高田さん。
まずは、高田さんが作っている
香川本鷹を見せていただくことに。
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▲近くの畑へと向かいます。
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▲唐辛子畑に到着!
高田さんが説明してくださいました。
「ふつうの鷹の爪というのは、
1つの茎に、バナナのように
5~6つ重なって実がつきます。
でもこれは、1つの茎に1つだけしか実がつきません。
大きさも7~8センチにもなるんです」
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▲これが香川本鷹。たしかに、ものすごく大きいです。
尾崎さんも続けます。
「朝鮮出兵のとき、塩飽諸島の水夫さんたちが
秀吉の命を受けて朝鮮へ行き、
そのときに秀吉が褒美として
この唐辛子を彼らに渡したと伝えられています。
もう作る人がいなくなって、
塩飽諸島では高田さんが最後の一人なんです。
私は、この唐辛子を作ることができる
若者を島に呼びたいんです。
農業といっても、やみくもに
島で菜っ葉やキュウリを作る人を
呼んだってしかたがないけど、
この唐辛子は、この島の自然風土と
ぴったり合っているうえに、
品質がいいものだから、
韓国に持っていけばかなり高額で売れるんです」
ここでしか作れない唐辛子。
作るのは大変なんでしょうか。
「けっこう手間暇がかかりますね。
あと、刺激物だから、
世話をしていると、
鼻や目がものすごく痛いんです。
それが辛いっていう人が多くてね」と高田さん。
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島には民家が多いです。
そのどれもが、広島と同じく、
空家になってしまっているとのこと。
尾崎さんが言います。
「高田さんは、すごい方なんですよ。
島に廃校になった小・中学校があって、
いまキャンプ施設になっているんですけど、
そこも高田さんが管理されているんです」
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このあたり一帯は、
夏には一面がひまわり畑になるそう。
ひまわり畑は、
高田さんとそのご家族が、
「島に来てくださる方に喜んでほしい」と、
個人的に作られているそうです。
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▲高田さんが植えた夏のひまわり畑。
写真提供:丸亀市役所
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▲美しい街並みが残る手島。
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▲ここもビーチが美しいです。
次に、すでに廃校となり、
いまでは「自然学習センター」として
使用されている学校へ向かいます。
尾崎さんが説明をしてくださいました。
「廃校になった小中学校の教室に
畳を敷きつめてあって、
一泊千円で泊まれるようになっています。
もともと学校には立派な給食の調理場がついてますから、
本土から持ってきた食材や、
島でとれた野菜や魚を料理できます。
調理場とは別に、外にも
バーベキューができるところもあります。
立派なお風呂も作ってます。
学校だから、グラウンドもあるし、
サッカーだって野球だってできるし、
しかもね、千円で泊まれるんです。
1ヶ月いても、3万円ですよ!」
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▲高田さんが、この学校の管理も任されています。
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▲教室に和室が敷き詰めてあります。
布団もあり、ここで宿泊ができます。
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▲立派な体育館。
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▲お風呂もあります。
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▲調理室もあるので、持ち込んだ食材を自由に調理可能。
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▲キャンプ施設も併設しています。
学校の、かつては校長室だった部屋で、
尾崎さんは資料を取り出しました。
この島でやりたいこと、
香川本鷹の後継者を見つけたいことなど、
説明をはじめました。
「まずはこの学校を全国の大学の同好会、
例えば吹奏楽やスポーツ系サークルの
合宿所として使ってもらいましょう。
更には外国のバックパッカ―達にも
使ってほしいんです。
彼らには、空いた時間に、
おじいちゃんやおばあちゃんの
農作業を手伝ってもらって、
かわりにその収穫物をあげて‥‥。
塩飽諸島のあらゆる可能性を、
日本の若者だけでなく、
外国の人にも情報発信していく。
そんなふうに、みんなで知恵を出し合って、
この島を盛り上げていきましょう」
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ひととおり、話が盛り上がったところで
尾崎さんが言いました。
「私、これから、丸亀市長とお会いしてきます。
そして、今回のプロジェクトについてお話してきます」
「ええ、市長と!?」
驚くお二人。
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実は、この取材が決まった際に、
尾崎さんから
丸亀市長とお会いしたいという話を
いただいていたのです。
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▲見送ってくださるみなさん。
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尾崎さんの自宅に着き、しばらくすると、
市長がいらっしゃいました。
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▲丸亀市の梶正治市長です。
緊張気味の尾崎さん、
まずは製作したばかりの
島民参加の島のドキュメンタリーフィルムを
お見せすることにしました。
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▲真剣に見てくださる市長。
ここで、気になっていたことを聞いてみました。
「梶市長は、尾崎さんのことを
いつからご存知だったんですか?」
「10年くらい前からかな。
ただね、尾崎さんは、
我々のイメージとは違う次元にいらっしゃるから(笑)、
別世界の人という感じがあって、
市長になって、ようやくお話を
していただけるかなという感じですよ。」
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▲「いえいえいえ、何をおっしゃいますか!」
と恐縮する尾崎さん。
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▲今回のプロモーション事業を報告します。
「尾崎さんは国際人だし、活動も幅広いから、
いったい何をしているんだろう、
と不思議だったんですよ。
いまもビジネスでやってるわけでないし、
なぜここまでのことが
個人でできるんだろうと思っています。
今回、『島』という拠点がはっきりしたことで、
ぼくらも協力しやすくなりましたから、
一緒に何かしていけたらと思っています。
まずは地元の人に、自分たちがどうしたいのか
考えてもらうことが大事ですよね。
課題は多いですけど、いつでも相談してくださいね」
そして市長が私たちに聞きました。
「ところで、みなさんは小手島は行きましたか?」
小手島(おてしま)は、手島の隣にある島です。
行ったことがない、と伝えると、
市長がおっしゃいました。
「ぜひ、いつか行くといいですよ。
あの島には生徒がひとりしかいない学校があって、
ぼくも入学式に行って挨拶しました。
運動会では本土からその子のために
他の小学校の先生たちが駆けつけて応援するんです」
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生徒がたったひとりの運動会‥‥?
尾崎さんも、その島の運動会に
強く興味を持ったようです。
(つづきます。
次回、その「運動会」に参加してきましたよ)
2017-01-26-THU