HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

「すごいお母さん」の挑戦、第2弾。瀬戸内海を元気にしたい。「すごいお母さん」の挑戦、第2弾。瀬戸内海を元気にしたい。

【広島編】
青木石で
有名な島へ。

2016年9月。
この日、尾崎さんに丸亀市沖の
塩飽諸島(しわくしょとう)を
案内していただくことになりました。

▲今回訪れるのは、これらの島々です。

東京から岡山まで、新幹線で3時間30分。
岡山からは瀬戸大橋を通って四国に向かいます。
瀬戸大橋には電車が通っていて、特急電車だと
岡山駅から約40分で香川の丸亀駅に着きます。

丸亀駅から徒歩10分のところにある丸亀港で
尾崎さんと待ち合わせることにしました。

▲丸亀港に「しわく丸」というフェリーが停まっていました。
これに乗るのでしょうか。

まもなくして尾崎さんが現れました。
開口一番、
「どうもどうも、おはようございます。
今日は我々のバカンスですね!」
と、元気いっぱいです。

▲自らを「還暦ギャル」と名乗る尾崎さん。
9月ですが、半袖&短パン姿です。

さきほど停まっていたフェリーに乗ると40分ほどかかるため、
今回はもっと速く行ける快速艇に乗るとのこと。
ということで、それを待ちます。

船を待っていると、
尾崎さんの携帯電話が鳴りました。

「はい、はい、ありがとうございます。
では、月曜におうかがいいたします」

▲着信音は『情熱大陸』のオープニングテーマ曲。
尾崎さんにぴったりです。

「今の電話、『志満秀』の会長さんでした」

地元で有名な海老せんべい屋さんの名前を、
さらりと口にする尾崎さん。

「今度パリで講演するときに、
フランスの人々に瀬戸内海のおせんべいを配りたいから、
提供してくださいませんかって
頭を下げて頼みに行ってたんだけど、
会長さんからOKのお返事をいただきました~!」

尾崎さんの幅広い活動ぶりを、
また少しのぞいたような気分です。

快速艇が到着し、船に乗り込みます。

▲快速艇はフェリーよりも小さい。でも、速い!

▲船のなかでも、ずーっと、四国をどう欧州にPRするか、
熱い思いを語り続ける尾崎さん。

20分ほどで
広島の江の浦港に到着しました。

▲もう見えてきた! ほんとうに近いです。

▲慣れた様子で港を歩きます。

港に着くなり、
尾崎さんに気づいた島の人達が
次々と声をかけてくださいました。
何度もこの島を訪れ、
島の人達と対話を重ねているうちに、
みなさんと親しくなったのだそう。

そのなかに、
「たこ焼きいるか?」と言って、
たこ焼きをくださった男性がいました。

尾崎さんが言います。

「信じられないですよね。
こんにちは、と挨拶しただけで、
たこ焼きをくれるんですよ。
この島は、コンビニエンスストアも、お店も、
レストランもないんです。
つまり、自分たちがたこ焼きを食べるには、
わざわざ船に乗って本土で買うしかないわけです。
そんなふうにして買ってきた大事なたこ焼きを、
通りすがりの私たちにくれる。
この方たちをいい人と言わずに、
一体、だれをいい人と言ったらいいでしょうか。
こんな素朴な島が他にあるのかと‥‥」

尾崎さんのテンションがどんどん上がっていきます。

この「広島」には、茂浦という集落があり、
広島、手島、小手島の3島を管理している
自治会長さんが住んでいます。
さらに、島の復興プロジェクトの一貫で、
空家を改装した宿泊施設もあるそうで、
まずはそこに向かうことになりました。

車を運転してくださったのは、島の住人の木下さん。
自治会長さんと一緒に、
島の復興プロジェクトに参加していて、
島に通い続ける尾崎さんを
サポートしてくださっているそうです。

▲この男性が木下さん。

▲途中、景色のいい場所で車を停めてくださいました。

茂浦にある
「ひるねこ」というゲストハウスに到着しました。

▲空家をそのまま宿泊施設にした
ゲストハウス「ひるねこ」。1泊3,000円で泊まれます。

▲和室もあります。
キッチンもついていて、本土から
持ち込んだ食材を調理することができます。

▲元は民家なので、
納屋にはさまざまなものが残されていました。
これは、江戸時代のものだそう。

尾崎さんが言います。
「この家は、もともと空家だったのを、
持ち主の方がもう管理できないというので、
自治会長さんたちが、
島の活性化のために、住めるように改装したんです。
それまで、泊まるところが1軒もなかったんです」

▲近くに住む、自治会長の平井さんと奥様。
ゲストハウスの管理をなさっています。

尾崎さんが、庭も案内してくださいました。

「庭には家庭菜園があって、
野菜も自由に採っていいんです。
ほら、トマトも美味しいから食べてみて。
食べなかったら地面に落ちてしまうだけだから」

▲宿泊者が「好きに採って食べていい」畑。

家のなかを一通り見終えると、
尾崎さんが言いました。

「そして、今日はこれから、
木場さんという、すごいおじさんが来てくださいます」

‥‥すごいおじさん?
それはどんな方でしょう。

「高松沖に男木島という島があるんですけど、
そこの活性化に尽力されて、
休校していた小中学校を再開させた方なんです。
私が以前この島に来ているとき、
自治会の会合に誘われて行ってみたら、
その方がいらしたんです。
私と同じで、しがらみが何もない方だったので、
すぐに意気投合しました。
しかも家も近所だったので、
一緒に塩飽諸島を元気にしましょう! ということで
ときどきお会いしているんですよ。
今日は、我々よりも早い便でこの島に
先に来てくださっているんです」

そんな話をしていたら、
「こんにちは~!」と、
タイミングよく、すごいおじさんがやってきました。

▲この方が「男木島」の
再生プロジェクトにかかわった木場さん。

「はじめまして。
尾崎さんとは、この島で
偶然会ったとうかがいましたけど‥‥」

「そうそう、そうなんです。
男木島の成功事例を話してほしい、と言われて、
この島に講演に呼ばれて来てみたら、
尾崎さんに出会ったんです。
尾崎さんもこの島の過疎化を
くいとめたいと言っていたんで、
いっしょにやらせていただくことになりまして」

▲「すごいおじさん」こと、木場さん。

男木島は地域猫が多く、
NHKの番組『岩合光昭の世界ネコ歩き』で
取り上げられたこともある島だそう。
木場さんは、地域猫に避妊手術を施す活動も
手伝っているそうです。
ところで、木場さんが「すごいおじさん」と
呼ばれるような活動をはじめたのは、
何がきっかけだったのでしょうか。
訊ねると、意外な答えが返ってきました。

「私はもともと民間企業に勤めていたんですけど、
定年を迎えて、家にいたんですよ。
そしたら、ある日、妻に言われたんです。
『あなたが近所をぶらぶらしてたら
変質者に思われるといけないから何かしたら?』
って」

▲奥さまのひとことをきっかけに‥‥。

「それで、ちょうど生まれ故郷である男木島の
過疎化が問題になっていることを知って、
そこを無人島にするにはしのびない、
と思って活動をはじめたんです。
島の側からみても、ぼくが適任だったんですよね。
なぜかというと、島に住んでいないから。
住んでいる者が何かをはじめて失敗したら、
もうそこには二度と住めなくなります。
だから、誰も手を最初に挙げない。
ぼくのように、島を故郷のように思っているけど、
住んでいない人間というのが、
いちばん思い切ったことをやりやすいんです」

 木場さんが続けます。

「男木島のほうで小中学校も再開できて、
実績を残せたもんだから、
今回、塩飽諸島の自治会長さんから、
話を聞かせてほしいと呼ばれまして、
今度はこっちも手伝うことになりました。
どうも、瀬戸内海というところは、
温暖な気候のせいか、こせこせした人がいないんですよね。
年金をもらって、自分たちで野菜作って、
魚は漁師さんが捕ってきて、
それでなんとか生きていけるからいい、
という具合になってしまう。
でも、無人島になってしまうことには
みんなが危機感を抱いています。
まずは島の住民の意識を高めていくことが大事ですね」

尾崎さんが言います。
「木場さんの計画は島民重視で綿密なんですよ。
私ができるのはメディア対応と海外対応なので、
いっしょに組もう、ということになったんです」

▲木場さんが作った島の再生計画資料を手に、
熱く熱く語る2人。

「すごいお母さん」と「すごいおじさん」。
タッグを組んだら、よりすごいことになりそうです。
ふたりは、さっそく島おこしの重要な話を、
県の担当者とすることになったそうで、
翌日、高松にある県庁の前で待ち合わせをする
約束を交わしていました。

▲ごきげんな尾崎さんと
島を散歩することに。

▲「こういう立派な家々のほとんどが空家なんです。」
と尾崎さん。

▲「広島のフロリダ」と呼ばれる
美しいビーチ。波がほとんどありません。
夜は海ぼたるに会えるそうです。

▲内陸部は緑がいっぱいです。

▲ここも、空家となった民家に泊まれる
体験型宿泊施設「旅ねこ」です。

この島の特産である青木石の発掘現場にも
特別に案内していただきました。

▲ここが発掘現場です。
山から石を切り出します。

▲大阪城にも使われている青木石。
下から眺めると、すさまじい迫力!
石を切り出す作業は危険が伴い、大変な作業だそうです。

ほかにも、島の人が、
いろいろな場所を案内してくださいました。

▲竹林の中を探検します。
尾崎さんいわく「四国のジュラシック・パーク」。

▲いちじくをくださいました。
島には移動販売車が定期的に来る以外、
基本、自給自足の暮らしです。

▲神社を案内していただきました。
「せっかく来てくれた人たちに
島が持っているものを全部見せないとな」と、木下さん。

▲歴史ある絵がたくさん残っています。
惜しげもなく、すべて見せてくださいます。

▲島の敬老会にも呼んでいただきました。

訪れた人たちに、これらの1つ1つを案内できるよう、
島の人達は、過去をさかのぼって
資料を掘り起こして、勉強なさっていました。

その日の夜。
自治会長のお宅に、近所のみなさんが集まってきました。

フランス人アーテストを広島に招き、
島民参加で制作した島のドキュメンタリーフィルム
(英仏語対応版)を鑑賞します。

▲猫もいっしょに見ます。

▲真剣に鑑賞するみなさん。

ビデオが終わると、自然と拍手がおこりました。
尾崎さんは、それに応えるように、熱い思いを語っていました。

「みなさんのご協力のおかげで、
いい動画ができました。
私はすぐに妄想を抱く人間ですけれど、
妄想がなければ何もはじまりませんので、
みなさんとともに、この瀬戸内海をキャンバスにして
みなさんの夢を描けたらと思っています」

夜、誰よりもスピーディに布団を敷いて、
蚊取り線香を設置してくれる尾崎さんを見ていたら、
そういえば尾崎さんは、
主婦であり、母であり、
いまや3人のお孫さんもいるということに
改めて気付かされました。
こんなに忙しい毎日のなかで、
お孫さんに会う時間はあるのでしょうか。
訊いてみると、こんな答えが返ってきました。

「私は自分のことに夢中だから、
全然、孫と会うような時間がなくて、
どうぞどうぞそちらで勝手に
やっててくださいな、という感じです。
孫たちも元気にしてるってわかってるから、
それでいいんです。
娘からも
『ママは東京に来ても、
ぜんぜん孫に会いに来ない』
って言われるんですよ。
でもね、たまに段ボールいっぱい、
孫の服とか、地元の食べ物とか、
いろんなものを詰めて送るんです。
それが、罪滅ぼしですね」

うーん、すごい。
子どもがなかなか孫の顔を見せに来ない、
と親の側が嘆いている話はよく聞きますが、
尾崎さんの場合は、
「親が孫に会いに来ない」と
娘さんに言われている‥‥。
なんというか、やっぱりさすがです。

その夜は、鳴き始めた鈴虫の声を聞きながら、
尾崎さんと一緒に川の字になって眠りました。

(つづきます)

2017-01-25-WED