その3 料理をつくらなくなった     イタリアの若者たち。
糸井 福森さんの材料の仕入れ方っていうか、
手に入れ方っていうのは
アンリさんに近いくらい、貪欲ですよ。
だから、あの建物でも、
もともとのご自分の家と、
古民家の古材といったものとか、組み合わせてる。
アンリさんが、古いビーズを探すのと同じですよね。
アンリ そう、ぼくが伝えたいのは、
おなじ工場で働いてる子たちに、
素材の選び方であったりとか、
物づくりの仕方というのが、
とても大切だということなんです。
イタリアっていうのは職人さんが
多い国ですよね。
けれども、だんだんと、みんな、
職人さん離れしてるんですよね。
だから手づくりの品は減っているし、
職人さんが少なくなってきている。
そのことに対して、
ぼくは、ちょっと信じられない。
糸井 うん。
アンリ 先進国っていうのは、
やはり大量生産っていうことになってきてる。
ぼくが教えたい、伝えたい、
それが文化だということと、
いっぽうで大量生産がよしとされている、
その平行線が、ジレンマなんです。
糸井 よくわかります。
ぼくら、作品大賞っていうのを開催したんですが、
例えば、ピカソが描いた絵っていうのは、
アートとして一点だけ、なんですけど、
誰の手に入るものではない。
いっぽうで、大量生産の物がある。
その間に、いっぱいいろんなものがあるのに、
それが、忘れられてる。
誰の手にも入らないアートと、
大量生産品の間にある物を、
ぼくらは「作品」と呼んでいるんです。
ですからアンリさんが作る物も、
福森さんが作る物も、
「作品」じゃないかと思うんですね。
だからぼくたちで
新しい作り手を、探そうとしているんです。
アンリ 進化するってことはね、
生きていくうえで、
絶対重要なことなんだとは思うんです。
ぼくは、進化するってことに反対は絶対しない。
それは通らなきゃいけない道、
なんだけれども、進化する上で、
やはり、いろんな決まりごとがあると思うんです。
そしてその決まりって、人それぞれちがうと思う。
その決まりをリスペクトしないと、
ほんとの進化とは言えないんじゃないだろうか。
糸井 ああー!
アンリ 自然を敬うこととか。
そういうリスペクトがない進化っていうのは、
あり得ない、本物じゃない。
糸井 うん。
進化って、前の物を否定しながら
進んでいくんだけど、
全部否定したところには
土台がなくなっちゃうんです。
何が一番大事なのかを
探すことが大事なんでしょうね。
アンリ Esatto!(そのとおり!)
今日の会話は残念ながら、
イタリア人とはできないですよ。
理解してもらえないと思いますので。
糸井 そうですか‥‥。
アンリ シモーネはちょっと特別だから。
一同 (笑)
シモーネ 一般のイタリア人というよりも、
特に、まぁ、イタリアの若者ですよね。
たぶん、お年寄りの方は理解すると思います。
日本人は、昔からの文化を大事にしているので、
そういう話ができるんですよね。
糸井 このあいだ、シモーネさんが
イタリア人の若い人はご飯作らないって。
ふみこ
さん
作らないですよ。
糸井 買ってくるの?
ふみこ
さん
買ってきますね。
イメージとしては、
イタリア人ってけっこう
料理を作ると思いますよね。
糸井 思う、思う。
ふみこ
さん
スーパーマーケットに行くと
よくわかるんですけど、
冷凍食品の長ーい列があるんです。
パスタも冷凍食品のね。
サルティンボッカとかも。
とくに若い人たちが、それを買っています。
イタリア料理って、
時間をかけなくても、
シンプルに、おいしくできるんですけど、
それでも、みんな買っちゃうんですよね。
レンジで3分とかのものを。
糸井 日本もそうだと思ったけど、
イタリア、もっとすごいみたいね。
ふみこ
さん
ほんとに。
(この一連のやりとりを
 アンリさんに通訳中)
アンリ ‥‥‥‥。フーム。
糸井 この沈黙はなんだ(笑)。
ふみこ
さん
納得してるんですよ。
アンリ 忘れましょう。
糸井 ほんとにねぇ。
そうとう深刻ですね。
アンリ 悲しいことですよね。
すごく衝撃的なことかもしれないんですけど、
いま、ぼくはヴィジェヴァノに
工場を持ってますよね。
で、教えたいと思いますよね。
だけど、一人として、たぶん若い子たちは、
教わりたいとは思っていないでしょう。
糸井 えっ?
アンリ 絶対、いない。
どんどんどんどん‥‥。
糸井 こうなったら、日本人を送り込もうか。
シモーネ (笑)
アンリ もしぼくが、ね、日本に来よう、
日本で教えたい、日本で受け継ぎたい、
と思ったら、たぶん、みんな‥‥。
糸井 学びたいひと、いるでしょうね。
アンリ 若い子たちも、
習いたいと思う人が
いっぱいいるんじゃないかと。
そこのちがいがあるっていうふうに、
ぼくはいっつも思う。
糸井 古くていい物って、
自然にそこに育って学べる人と、
一回文明を知ってから、
知性で選び取る人と、
2種類になると思うんですよ。
いま、両方の人が混ざってる時期で、
どっちにしても、
自然にそれを学べる環境の人は、
もう、いない。
だから、知的に他のことよりも
大事なこととして、
学び取らなきゃいけない時期に
なったんだと思いますね。
アンリ 日本では、ってことですよね。
糸井 うん、そうですね。
イタリアのことをぼくは知らなすぎますけど。
でも、ずいぶんちがうみたいだ。
ふみこさん そうですね。
あまりいないですね。
糸井 すごいねぇ。
あんな田舎でねぇ。
アンリ ま、それはイタリアの
社会問題ってことですよね。
社会がそういうメッセージを流さない、
っていうことです。
人間っていうのは、
やっぱり社会の中で生きていくので、
家族から、学校から、そういうようなものから
大事なメッセージが与えられず、
別のメッセージが来るので、
やはり、そういう子どもたちが、
どんどん増えているんだと思います。
こっち方面じゃなくて、別の方面に行くんですね。
糸井 たぶん、ぼくらだとか、アンリさんだとかが、
無意識に発信してるメッセージっていうのは、
そうじゃない道を、少しずつこう、
なんていうんだろう。
こういうところにも道があるよ、
ということなんだと思うんです。
ぼくらがつくっているのは
そういう場所だと思いますけどね。
アンリ まさにそうです。
みなさんは気がついてないかもしれないけれども、
日本の文化っていうのが、血の中にある。
ぼくには、お米の一粒が、
そのシンボルに思えます。
糸井 ああー!
アンリ お米っていうものが、
日本人の頭の中にある。
それが何かは、ぼくにはわからないんだけど。
たぶん‥‥。
糸井 うん、伝わっています。
アンリ お米っていうものが、
日本の繊細な文化のなかに
あるものなんじゃないのかな。
糸井 よく分かります。
日本の職人の話にもどるんですが、
福森さんの鍋にしても
アンリさんの作品にしても、
他のものに比べたら扱いがむずかしいし、
なおかつ値段も高い。
だけど、わかって、そこに行きたい人が
まだいっぱい探せばいるっていうのが、
やっぱり、すばらしいことだと思うんですよ。
アンリ それは、すっごく、とても、
豊かなことですよ。
糸井 そうですね。
それじゃ、豊かなご飯を食べに行きましょう。
アンリ えっ、お話、もう終わりですか?
糸井 続きは、ごはんを食べながら!
あちらの、母屋に移動しましょう。
福森さんが、お待ちですよ。

(つづきます)
2010-09-03-FRI
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN