ひどい目☆その1  武装した銀行強盗の一味と 密室に閉じ込められ 拳銃を突きつけられた件。
── アンニュイなパリの午後に
二丁の拳銃を向けられるという「ひどい目」から
たったの3日後、
TOBIさんの身にさらなる「ひどい目」が?
TOBI そうなんです。

語学学校で待ち合わせをしていた知人から
「肉ジャガ余ったから食べに来ない?」
と、夜の11時半にお誘いがあったんです。
── そんな遅くに‥‥?
TOBI そう、でも友だちなんかほとんどいないし
パリに来たばかりで
硬いパン以外ろくなもん食ってなかったから
そのお誘い自体が、すごくうれしくてね。

食べに行ったんです、肉ジャガを。

それも「あたたかいうちに」って言うから
すぐに支度をして、家を出ました。
── 近いんですか、その人んちは。
TOBI 地下鉄で「5駅」でした。
ドア・ツー・ドアで30分かからない距離。

そんな「すぐそこ」という気軽さもあって、
のこのこ出かけて行ったんです。
── 真夜中にも関わらず。
TOBI ぼくは、市内を南北に走る地下鉄4番線の
最後部の車両に乗り込みました。

かなり遅い時間だったこともあり、
乗客はまばらで、
ぼくを含めて「7人」しかいませんでした。
── 少ない。
TOBI というか乗客は
ぼくと、
「ぼく以外の若い男6人組」だったんです。

その人たちは、まわりも気にせず、
あまり上品とは言えない声で
「ヒャッホーゥ!」とか叫んで、
大騒ぎをしていました。
── ちょっと嫌な予感がします。
TOBI ぼくは、絡まれたりしたら大変だし
その方向を見ないようにしていたんですが
そう思えば思うほど
どうしても目が行ってしまうというか、
チラチラ見てしまっていたんです。

そしたら、その6人組の集団のなかでも
リーダー格の、ポマードべったりの男性と
うっかり目が合ってしまった。
── ‥‥ええ。
TOBI すると、そのポマードさんは
何ごとか、とても大きな声で叫びました。

フランス語で。
── フランス語で。
TOBI ぜんぜん聞き取れないんですよ。
── またですか。
TOBI だって、銀行強盗の事件から3日ですよ?
ヒアリング能力が
そんな急にアップするわけもないんです。

だから、まったく聞き取れませんでした。
しかたがないから‥‥。
── 例の、得意のフレーズを?
TOBI そうですよ。よくわかりましたね。

ぼくは、やや大きな声で
「ジュ・ヌ・パルル・パ・フランセ」と
その人たちに告げました。
── 「わたしはフランス語が話せません」と。
TOBI 彼らは一瞬ポカーンとした顔をしたあと、
不気味なニヤニヤ笑いを浮かべながら
ぼくのほうへノシノシ歩いてきたんです。

ポマードさんを先頭に、6人全員でね。
── ‥‥はい。
TOBI いやに肩で風を切って、いやにガニ股で、
なんでしょう、
いかにも「我々はワルである」という感じで。

あたりには、かすかに
「アルコールの匂い」が漂っていました。
── 嫌な予感が的中しつつありますね。
TOBI 彼らは、そのニヤニヤ笑いを浮かべながら
ぼくのまわりを取り囲みました。

そして、リーダー格のポマードさんが
ぼくの胸を「チョン」と小突いたんです。
── はあ、TOBIさんの胸を。
TOBI そのときぼくは体操着を着てたんですが‥‥。
── はい?
TOBI 時間も時間でもう寝る体勢に入っていたので
肉ジャガのお誘いを受けたときは
高校のときの体操のジャージを着ていました。

で、「肉ジャガが冷める」ということで、
着替えもせず、そのまま家を出てきたんです。
── つまり「ナントカ高校」みたいな。
TOBI ええ、まさにそんなやつです。

胸には、ぼくの苗字の「石飛」という漢字が
刺繍されていました。

で、そのあたりを小突かれたものだから
とっさに
「あ、この漢字の読みかたを
 教えてもらいたいのかな?」と思ったんです。
── たしかに、世界のニュースで
「若者の間に漢字ブーム到来」みたいなこと、
たまにありますけど‥‥。
TOBI そうそう、だから礼儀を知らない若者だけど
日本文化に興味あるのかな、
いやむしろ、
そういうことであってほしいなという願いを込めて
彼らがどういう人間か、
うすうす感づいてはいたんですが
「お・も・て・な・し」
みたいな感じで、
「イ・シ・ト・ビ」と教えてあげたんです。
── なるほど。
TOBI これ以上ないというほどていねいな口調で
「イ・シ・ト・ビ」と。

でも、ポマード以下6人のガニ股さんは
「へえー、そうなんだ」とか
「いいね!」とか言ってる感じではなくて
むしろというか案の定というか、
明らかに気分を害しているようなんです。
── もう完全にヤバい展開ですね。
TOBI すると、ぼくの脳は
「もしかすると、読みかたじゃなくて
 意味を知りたいんじゃない?」
という方向へ打開策を見出そうとしました。

一縷の望みを託したかったのかもしれない。

だから気の立っているみなさんへ向かって
こんどは
「フライング・ストーン」と言ったんです。
── 「石が飛ぶ」で「フライング・ストーン」。
TOBI そしたら、リーダー格のポマードさんに
ものすごい早業で
「グイッ!」と胸ぐらをつかまれました。

そして、例のごとく
わけわからないフランス語を浴びせかけられ、
またもや「いまオレ危険」よりも
「まったく理解できなかった」ことのほうに
ヘコミかけたんですが‥‥。
── ええ。
TOBI パリ生活10日目の成果か、
一言だけ、聞き取ることができたんです。
── おお! その一言とは?
TOBI 「ダルジャン」
── 「ダルジャン」
TOBI 「お金」という意味です。
── やっぱりその要件でしたか。
TOBI ぼくは、自分を取り繕うのをやめました。

いま、ぼくは、
目付きの悪い6人のチンピラ集団に囲まれ、
なかでも凶暴そうなリーダー格の男に
ものすごい力で胸ぐらをつかまれており、
「ダルジャン」の言葉を聞いた。

ここでぼくは「ピン!」ときたんです。
── 遅い‥‥。
TOBI 「これはカツアゲだ!」と。

フランス語で何て言うかはわからないけど
日本語で言う「カツアゲ」に遭ってる、と。
── 助けもなく、逃げ場もないという意味では
銀行強盗のときと同じような状況ですね。
TOBI 恐ろしくなりました。
6人のチンピラに囲まれて、地下鉄車内で。

その間にも、席に座っていたぼくの身体は、
グイグイ斜め上方へ持ち上げられて
「中腰」になり、
ついには、まるで「バレリーナ」のように
「爪先立ち」になってしまいました。
── 胸ぐらをつかまれているから。
TOBI でもぼくは、たった3日前に
「言ってることがわかっていない」おかげで
生き延びたという経験をしていたので、
「お金」って単語が聞き取れたということを
こいつらに悟られてはならないと思いました。

そこで、ずっと「フライング・ストーン」と
言い続ける陽動作戦に出たんです。
── 「フライング・ストーン」
「フライング・ストーン」
「フライング・ストーン」

‥‥うまくいくような気がしません。
TOBI でも、時間を稼ぐことはできました。

いつのまにか、東京で言う「新宿駅」みたいな、
シャトレという中央駅のホームに
地下鉄4番線の車両がすべり込んでいたんです。
── ははあ。
TOBI その間にも、きつく胸ぐらをつかまれ
「ダルジャン、ダルジャン、あり金を出せ」と
要求されている。

ぼくは、馬鹿みたいに
「フライング・ストーン」と言い続け、
心のなかでは
「はやく駅に着け、はやく駅に着け」と
念じ続けました。

そして、地下鉄4番線の車両が
永遠のような時間をかけて停車しきった、
そのとき。
── ‥‥はい。
TOBI 目の前のリーダー格の顔面へ向けて
思い切り「ペェッ!」と唾をひっかけました。

そして、相手がひるんでいる隙に
手を振りほどき、手動扉を力任せにこじあけて
地下鉄から飛び出し全速力で逃げたんです。
── 凶悪なチンピラ・リーダーの顔に唾を吐くって、
そんなこと、よくできましたね‥‥。
TOBI 人間、死ぬかもしれないって思うと、
わりに何でもできるもんなんですね。

そして、駅の自動改札をバッと飛び越えて
隣のレ・アールという駅まで
一度も後ろを振り返らずに走り抜けました。
── 刑事ドラマみたい。
TOBI 背後から、駅員さんやパトロール中の警備員が
何か言っているのが聞こえましたが
それでもぼくは、一度も振り返りませんでした。

「逃げ足」というのはすごいもんで、
当時すでに身体能力は衰え始めていましたが、
人生でいちばん速く走った自信があります。
── で、その後は?
TOBI そのまま、歩いて知人の家までたどり着き、
肉ジャガをごちそうになりました。

肉ジャガは、少し冷めていました。
── はー‥‥ちなみになんですけど、
TOBIさん、
「銀行強盗団の一味に
 3日後の地下鉄の車内で出くわした」
とおっしゃってましたが、
つまり、銀行事件と同一犯だったんですか?
TOBI いえ、そのときは、わかりませんでした。

でも、それからだいぶあとになって、
つまり、
この「地下鉄カツアゲ未遂事件」から半年後、
パリの郊外で
銃撃戦に巻き込まれたときに‥‥。
── え?
TOBI この夜の出来事から半年後、
パリ郊外で銃撃戦に巻き込まれたときに、
そのことが判明したんです。
── この話‥‥まだ続くんですか。
<つづきます>
2014-03-30-SUN

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