TOBI | その日は、絶好のクルージング日和でした。 リゾート地ならではの抜けるような青空に ダイナミックな白い雲。 目の前の大西洋は、どこまでも広く雄大で キラキラ輝いている‥‥。 |
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── | 天国かよと。 |
TOBI | そう、そんな「あの世みたいなこの世」を ヨーロッパの本気のセレブ9人に混じった ぼくら日本人3名が 豪華なクルーザー船で疾走していきました。 |
── | さぞかし気持ちよかったことでしょう。 |
TOBI | いいえ。 貴族の末裔だというカリーナは お嬢様らしからぬ猛スピードを出すため、 そのせいで 船体が海面をピョンピョン跳ねるんです。 乗ってるぼくらは ドッカンドッカン床に全身を打ちつけられ、 前後左右にも揺さぶられて これは、 振り落とされたら死ぬだろうなと思ったら なぜだか笑いが止まらなくなりました。 |
── | 恐怖で笑いが止まらない‥‥。 極限状態に置かれた人間の心理とは なんとも、パラドキシカルなものですね。 |
TOBI | そんな感じでどのくらい走ったでしょう、 おもむろに、カリーヌが「着いたよ」と。 それまでずっと、まわりは海ばっかりで 陸なんて見えてませんでしたから 「え? どこどこ?」と、 首の長い鳥みたいにキョロキョロしていると 目の前に、ポッカリ浮かんでいたんです。 |
── | 無人島‥‥が? |
TOBI | そう、それは木も草もなーんにも生えてない、 ただの、ちいさな「砂浜」でした。 これ以上ないってほど真っ白い砂でできた島、 満潮になると沈んでしまう島、だったんです。 |
── | へええ! |
TOBI | 砂浜は信じられないほど白く、 海は完全に透き通っています。 裸足ではしゃぐぼくの足元に 見たこともないような小魚がじゃれてきます。 本当に、夢のような場所だったんです。 ましてや、 こんなところで「ピクニック」だなんて‥‥。 |
── | どれだけお金を積んでも、 何時間か後には消えてなくなってしまう‥‥。 そんな儚さが セレブたちを惹きつけるのかもしれませんね。 |
TOBI | もっとも、彼らにとっては 「いつもの島」なので みんな、じつに落ちついたもんでしたが ぼくは「ヒャッホー!」とか大声で叫びながら、 ちいさな島を駆け回りました。 |
── | うらやましい! |
TOBI | 目に入るものすべてが、まぶしかったです。 異様にでっかいパラソルの下では、 セレブたちが シャンパンやヴィンテージ・ワインの栓を 惜しげもなく、ポンポン抜いていきます。 いくらするのかわかんないような高い酒を 「あ、こぼれた」とか言いながら。 |
── | そんな世界が本当にあるんですね。 |
TOBI | 冷蔵庫からは、クルーザー型をした器に エビやサザエやつぶ貝など 大西洋のとれたての幸を載せた盛り合わせが ゴッソリ出てきました。 |
── | 豪華クルーザー盛り‥‥。 |
TOBI | 牡蠣なんか、チョッとレモンを絞ったら キュッと身が縮こまるんですよ? エビの目なんかも、キラキラしていて‥‥。 |
── | 楽園とは、死んだエビの目まで輝かせるのですね。 |
TOBI | カリーヌのおばさんのフォアグラ工場から 塊のまま持ってきたフォアグラ、 メス豚がほじくり当てたばかりのトリュフ‥‥。 突然、人生のクライマックスが訪れたみたいな、 そんな気分になりました。 |
── | 庶民の「ピクニック」という概念からは 相当かけ離れてますもんね。 |
TOBI | そう、ぼくのピクニックに出てくるのは 梅干しのおにぎりとか ツナのサンドイッチですからね。イモとか。 |
── | タコのソーセージとか、ミートボールとか。 |
TOBI | そんなの、ひとつも出てきません。 これまで自分はなんとちっぽけなレベルで 「ピクニック」を把握していたのか、 無限に広がる「ピクニック」の可能性を 自分の手の届く範囲に収めてはならない‥‥。 そう、猛省したんです。 |
── | 砂浜でね。 |
TOBI | そして20年もののワインを一気に飲み干し、 「さあ、海の幸を存分に楽しむぞ」と思ったとき、 カリーヌが 「クルーザーに、ガソリンを入れてこなきゃ」 と言い出したんです。 |
── | え。ごちそうは、おあずけ? |
TOBI | セレブたちにとっては いわば「のり弁」みたいなものでしょうから ぜんぜん、執着がないんですよ。 カリーヌの恋人のラファエロはもちろんですけど 他のセレブたちも 「あ、タバコが切れたし俺も行こうかな」 みたいな雰囲気になったので ぼくもしぶしぶ、ついていくことにしました。 |
── | ははあ。 |
TOBI | ただまあ、しぶしぶとは言いましたけど 「あの、死と隣り合わせのスリルを、 もういちど味わいたい」 という気持ちが ぼくのなかになかったと言えば、嘘になります。 |
── | 「タナトス」ってやつですか、いわゆる。 |
TOBI | そして、そんなスリルは必要ないという 比較的お年を召した アート・ギャラリーのオーナーをはじめ、 4人のセレブが 無人島で留守番することになったんです。 |
── | でも、ガソリンって、どこまで? |
TOBI | 港に、ガソリンスタンドがあるんですよ。 クルーザー用の。 |
── | へえ。 |
TOBI | しかし、いざ出発してみると カリーヌがめちゃくちゃ酒に酔っていて 例の猛スピードに加え ありえない蛇行運転をしはじめました。 「フーーーウッ!」みたいな奇声を発して 8の字を描く感じで 田舎の不良のパラリラパラリラ~みたいな。 |
── | 海の暴走族‥‥。 |
TOBI | フランスのセレブも日本のツッパリ少年も 人というのはみな 「調子に乗ると蛇行する」っていうことが そのとき、わかりました。 ガソリンが切れそうだって言ってるのに おなじところを むやみにグルグル回ったりするんです。 |
── | 狂気の沙汰です。 |
TOBI | さすがに、もういい加減にしてくれと思いました。 で、さんざん時間とガソリンを無駄遣いして ようやくスタンドについたんですが、 なんと、週末で、そこらへんのセレブが こぞって給油したらしく、 スタンドのガソリンが、切れてたんですよ。 |
── | え、ガソリンスタンドがガス欠? |
TOBI | そう。 |
── | そんなこともあるんだ。 |
TOBI | しかたがないから 別のスタンドに行くことになったんですけど ラファエロたちが 「俺たちタバコを買ってくるから きみたち、船を押さえててくれない?」 とかいって、 みんなでスタスタ上陸しちゃったんです。 |
── | 「押さえてて」というのは? |
TOBI | いや、ふつう船ってロープかなんかで 固定すると思うんですけど、 やつら、めんどくさいからなのかなんなのか、 ぼくたち日本人3人に 「お前たちが 岸壁をしっかりつかんで待ってろ」と。 |
── | 船が離れないように? |
TOBI | そう。 |
── | 雑‥‥。 |
TOBI | ぼくら3人の日本人は、3カ所にわかれ、 ラファエロに言われるがままに 素手で、必死に岸壁をつかんでいました。 船が、岸から離れないように‥‥。 |
── | でも、そんなことって可能なんですか? 手こぎボートならいざしらず、 でっかい豪華クルーザー‥‥ですよね? |
TOBI | 不可能でした。 ちょっとずつ、船が、離れていったから。 |
── | わあ‥‥。 |
TOBI | 何分もしないうちに、ぼくら3人の身体は ピーンと張り詰めた状態になってしまいました。 |
── | 笑っちゃ悪いけど‥‥わ、笑える。 |
TOBI | おそるおそる下をのぞくと 薄暗い海水の奥に藻がユラユラ揺れていて まるで ブラックホールに吸い込まれるような気分。 そんな、言い知れない恐怖を覚えていたら 「あ、あ、もうダメ‥‥」という、 ため息のような声が、聞こえてきたんです。 |
── | は。 |
TOBI | 見ると、力尽きたMIYAさんが 真っ逆さまに海へ落ちて行くところでした。 |
── | なんと。 |
TOBI | 1〜2秒後、 下のほうから「とっぽーん」という音がして MIYAさんは、見えなくなりました。 そりゃあ心配ではあったんですけど ひとり減った ぼくら「ロープ代わり」の日本人2人の指に クルーザーの全重量がのしかかってきます。 |
── | 手を離すわけにもいかないしね。 |
TOBI | ぼくもDJのナカムラさんも ギリギリ、震える指先で耐えていたんですけど もう、ほとんど限界でした。 次は、ぼくが海に落ちる番だ、 MIYAさんみたいに 大西洋の藻くずと消えてしまうんだ‥‥と。 |
── | ‥‥ええ。 |
TOBI | それまでの人生が脳裏を駆けめぐりかけたとき、 いちゃつくカリーヌとラファエロを先頭に 酒に酔ったセレブたちが MIYAさんが海に落ちていったようすを おもしろおかしくモノマネしながら、 みんなでヘラヘラ笑いながら戻って来たんですよ。 |
── | おお! |
TOBI | そして、ドヤドヤとクルーザーに乗り込み 「あ、もう手を離していいよ」と ぼくらの足を、ガッチリと押さえたんです。 そのとき、ぼくとナカムラさんは はたから見たら パリのノートルダム寺院の屋根から飛び出ている 怪物の石像みたいになっていたはずです。 |
参考:ノートルダム寺院の屋根から飛び出ている怪物。 |
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── | MIYAさんは‥‥? |
TOBI | 彼女は、落ちていくとき、 岸壁にびっしり貼りついていたフジツボで 右腕を負傷、激しく流血しながらも 自力で暗い海から這い上がってきました。 |
── | うわあ。 |
TOBI | そして、クルーザーによじ登ってくるとき、 照れ隠しなのか 彼女はうすく笑みを浮かべていたのですが それが、濡れたゾンビのようでね。 |
── | こわい‥‥! |
TOBI | ぼくが その海の藻にまみれた女を救出するのを待って クルーザーは 別のガソリンスタンドへ向けて、出発しました。 |
── | ええ。 |
TOBI | そして‥‥ほんの10分くらい 猛スピードの蛇行運転などをしたところで 切れてしまったんですよ。 クルーザーのガソリンが。 大西洋の‥‥ど真ん中で。 |
<つづきます> |
2014-05-29-THU |