TOBI | カリーヌは、激しく怒っていました。 |
---|---|
── | 何に‥‥ですか? |
TOBI | ガソリンスタンドに、ですよ。 ガソリンを切らしていたから。 木の葉のように揺れるクルーザーの上、 ぼくは 「それは、あなたのせいじゃなくって?」 と思いました。 |
── | ですよね。 彼女が、むやみに猛スピードを出したり、 蛇行運転とかするから。 |
TOBI | それに、エンジンがストップしたのって 陸からも遠く離れ、 まわりに、何も見えない沖だったんです。 |
── | そんなところで激怒しても‥‥と? |
TOBI | 一方で、カリーヌの恋人のラファエロは ものすごく悲観的になっていました。 |
── | さっきまで、 海に転落したMIYAさんのモノマネをするなど、 あれだけ陽気だったイタリア人が。 |
TOBI | もう世界の終わりだ、とかって言って。 ずうっと、グチグチグチグチと 「世界の終わりだ。 俺たちは、ここで死ぬんだ」と。 |
── | チリチリペッチョリの頭を抱えて。 |
TOBI | 他の人たちも、 はじめての非常事態に興奮して 鼻唄を歌い出す者、無言でうつむく者、 タバコをくわえて天を見上げる者‥‥ 流血した手首を心臓より高く上げている 濡れゾンビもいれば、 フランス語がわからず 状況を飲み込めてないDJナカムラもいて、 まあ、「役に立たない」という意味では 似たようなものだったんですが。 |
── | でも、その状況で言葉がわからないって、 ナカムラさんも、さぞ不安だったでしょうね。 |
TOBI | そう、だから ナカムラさんに「何て言ってるんですか?」 と聞かれるたびに ぼくは「通訳」をしていたんです。 「ラファエロは、世界の終わりだと嘆いています。 カリーヌは ガソリンスタンドが悪いと怒っています」と。 |
── | ははあ。 |
TOBI | そうこうするうちに、別れ話がはじまりました。 | ── | え。 |
TOBI | カリーヌとラファエロが 場の混乱に乗じて昔の話をほじくり返し、 「あんたは、あのときもそうだった。 悲観的すぎるのよ」 「いつも俺を見下しやがって!」 みたいなムードに、なっていったんです。 |
── | 突然、言い争いがはじまったら ナカムラさんも、知りたがりますよね。 |
TOBI | しかたがないので訳しました。 |
── | 漂流中の船上で 他人の別れ話を翻訳して実況中継‥‥。 |
TOBI | 「おーっと、 たったいま別れ話がはじまりました。 あんたにはほとほと愛想が尽きたわ、 今日かぎりで終わりにしましょうと カリーヌが言い、 それに対してラファエロが のぞむところだ、 ホエヅラかくなよと言ってます」みたいな。 |
── | たいへんでしたね、いろんな意味で。 |
TOBI | でね、気づくと「暑い」んですよ‥‥。 |
── | あ、その日は絶好のクルージング日和。 |
TOBI | ガス欠で漂流しているその状況には いろいろと たいへんなことがあったんですけど‥‥。 |
── | 別れ話とか、その翻訳とか。 |
TOBI | そうそう、でも、なかでも深刻なのは 「暑い」ってことだと、 だんだん、全員が気付きはじめました。 |
── |
喉の渇きに耐え切れなくなって ダメだと知りつつ 海水を飲んで死んでしまう人もいるって 何かで読んだことある‥‥。 |
TOBI | いっさい日陰のないクルーザーのうえで、 じりじり焼かれていくんです。 そのため喉がものすごく乾くんですけど 島に戻る前提で出てきたから まったく飲み物を積んでいませんでした。 |
── | わあ‥‥。 |
TOBI | 全員が、静かに、干からびていく。 |
── | セレブも庶民も、わけへだてなく。 |
TOBI | ええ、そこだけは平等でした。 上着なども無人島に置いてきてますから 海パン一丁に、カンカン照り。 みるみるうちに、日焼けしていきました。 |
── | 炭火で炙られるスルメのように。 |
TOBI | たまに漁船や客船が遠くに見えるんですが 声なんか届きませんし 男と女が別れ話とかしている時点で ぜんぜん、みんなの息が合ってないんです。 そこから2時間、漂流しました。 |
── | そんなに! |
TOBI | カリーヌたちは、いったん仲直りをして また大げんかをし、結局別れました。 暑いし喉も乾くし疲れ果ててるし、 クルーザーは木の葉のように波に翻弄されるしで 意識も朦朧となり 全員が無言になってしばらく経ったとき、 ものすごく近くを ちいさなフェリーが通りかかったんです。 |
── | おお! |
TOBI | そのとき、 はじめて全員が心をひとつに合わせました。 「助けて」という意味の 「オスクール(Au secours )! オスクール(Au secours )! オスクール(Au secours )!」 という言葉を叫び続けたんです、大声で。 |
── | ‥‥‥‥‥‥で? |
TOBI | はたしてぼくらは、ぶじ救助されました。 全員が全身、真っ黒になった状態で。 露出部分が大やけどみたいになってるし、 カップルは別れてるしで ボロボロ、ヨレヨレの状態でしたが 客船に曳航されて港へ向かったんです。 で、そこでふと、思い出したんですよ。 |
── | 何を? |
TOBI | 4人のセレブを、島に置いてきたことを。 |
── | あ! それも、満潮になると沈む島に! |
TOBI | ぼくらも相当ひどい目に遭ったけど 「あっちのほうが ぜんぜんヤバいじゃない‥‥」と。 港についてから社長の携帯に電話しても、 海の上だからか、つながらない。 |
── | もう、島と一緒に沈んでる可能性も‥‥。 |
TOBI | どうしたらいいんだろう、 はやく助けに行かなきゃと大騒ぎしてたら、 ガソリンスタンドの無線に 沖にいる漁船から連絡が入ったんです。 「4人の男女を、洋上で保護した」と‥‥。 |
── | なんと! |
TOBI | カリーヌが漁船と無線で話したんですが 受話器の向こうで、 男の人が号泣しながら激怒してるんです。 |
── | 何やってたんだ‥‥と? |
TOBI | 「おまえふざけんじゃねぇ、殺す気か!」と。 それ以外は、声が裏返っていて ほとんど聞き取れなかったんですが ともかく、保護された人たちが 置いてきた4人のセレブだって判明したので ホッと胸をなでおろしました。 |
── | よかったですねえ‥‥本当に。 |
TOBI | あとから聞くと、 4人で、楽しくお酒を飲んだりしていたら、 どんどん潮が満ちてきて 最後には「島がなくなった」そうなんです。 |
── | ‥‥そういう島に行ったんですものね。 |
TOBI | 4人は、みるみる水位が上がってゆくなか、 荷物をカバンに突っ込んで 頭の上に載せていたらしいんですが 潮が満ち、島が沈み、 ついには海水が首元にまで来てしまい もうダメだ‥‥と思ったときに 通りがかりの漁船に助けられたんだそうです。 |
── | 助けたほうの漁民も、驚いたでしょうね。 頭に荷物を載っけたセレブの生首が4つ、 海に浮かんでたわけですから。 |
TOBI | 彼らが保護されている場所へ迎えに行くと 全員、真っ白な顔で震えていました。 |
── | かたや全員、真っ黒でね。 |
TOBI | そうそう、その場で 白と黒の大ゲンカが、はじまりました。 後にも先にも あんな罵り合いは見たことがないです。 |
── | そんなにですか。 |
TOBI | 「俺たちは、島と一緒に沈むところだった」 「私たちだって死ぬところだった」 「首まで海水に浸かったことあるのか?」 「世界の終わりだったんだ!」 「あんたとは別れたんだから黙っててよ!」 みたいな‥‥。 |
── | 構図的に、敵は1人じゃなさそうですね。 別れた真っ黒い男もいれば、 海の藻屑となりかけた社長もいるし‥‥。 |
TOBI | そして、その場の流れで カリーヌが勤め先のアート・ギャラリーを クビになっていました。 激昂した社長が 「わかった、おまえなんかクビだ!」って。 |
── | 高級肉まんが、ホッカホカに。 |
TOBI | なので彼女、アルカションに着くやいなや、 車のアクセルを「ブオン!」と吹かして 「怒ってますよ」アピールをし、 サッサと、ひとりで帰っちゃったんですよ。 |
── | オカンムリであったと。 |
TOBI | みなさん、ここで、思い出してください。 カリーヌが 一流ホテルを手配してやるって言ったから パリに帰るのを延期して、 無人島ピクニックに、ついて行ったんです。 そのカリーヌがいなくなっちゃったから 上着もズボンも流されたぼくは 海パン一丁で放り出されちゃったんです。 |
── | アルカションの港に。 |
TOBI | しかたなく、そのあたりのみやげもの屋に 「ボルドー大学ラグビー部」 と書かれた LLサイズのラガーシャツ売っていたので 購入し、着用しました。 |
── | 背に腹は変えられませんもんね。 |
TOBI |
そして、これからどうしようと考えた挙句、 あのギャラリーの社長に、ダメ元で電話しました。 「カリーヌに ホテルを取ってもらう予定だったんだけど、 怒って帰ってしまった。 今夜の寝床は、どうすればよいだろうか?」 と。 |
── | ‥‥ええ。 |
TOBI | そしたら社長も、さすがに哀れに思ったのか 「そういうことなら、しかたない。 うちのギャラリーの物置で寝ていいよ。 梱包材なら、いくらでもあるから」と。 |
── | 梱包材って、あのプチプチの? |
TOBI | そう‥‥だからその夜は、 プチプチした梱包材を何重にも身体に巻いて ギャラリーの物置で寝たんです。 |
── | 「ボルドー大学ラグビー部」の ラガーシャツを着た、 まったくそうは見えない細長い男性が プチプチに包まれて寝ている‥‥。 まるで前衛芸術じゃないですか、それじゃ。 |
TOBI | そう、あたかも自分が ギャラリーの展示物になったかのような‥‥ 不思議な気持ちになりました。 ちょうど、そのギャラリー自体も コンテンポラリー・アートだったしね‥‥。 |
<これにて第2部は終了です。 第3部は夏がくるころに開始する予定です。 どうぞ、お楽しみに!> |
2014-05-30-FRI |