── | ゴミや衣類がミルフィーユ状に堆積した 自室のアパートで、 見知らぬ人の靴の跡を見つけてしまった、 当時、古本屋勤務のTOBIさん。 |
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TOBI | はい。 |
── | すぐに思い浮かぶのは「空き巣」ですが、 何か盗られたものは‥‥? |
TOBI | それが‥‥それをたしかめようにも、 部屋が部屋だけに、 何か盗られたのか盗られてないのか、 よく、わかりませんでした。 |
── | そうだった‥‥。 |
TOBI | 何か盗られたのかもしれない。 何にも盗られていないのかもしれない。 整然と積み重ねられていた 弁当のカラ容器と割り箸は盗られていない、 そのことだけは明白でした。 |
── | そうでしょう。それは。 |
TOBI | ひとつ言えるのは 「仮に、自分の仕事が空き巣だったとして、 苦労の末この部屋に侵入したとしたら 途方に暮れるだろう」ということでした。 |
── | 汚すぎて、空き巣の力量を試す部屋‥‥。 |
TOBI | あのカオスのまっただ中から 短時間で金目のものを見つけ出すのには、 おそらく、 スゴ腕の考古学者レベルの発掘スキルを 求められるはずです。 |
── | ゴッドハンドが必要、と。 |
TOBI | ともあれ、 玄関の鍵のようすも今まで通りだったので、 大家さんが 何かの確認に来て踏んづけていったのかな、 くらいにしか考えませんでした。 |
── | 警察に通報とかは? |
TOBI | していません。 なぜなら、その時点での「被害」は 「ホットパンツの股間部分を靴で踏まれた」 だけだったからです。 まともに取り合ってはくれないでしょう。 |
── | そうか‥‥。 |
TOBI | それに、万が一空き巣だったとしても、 あの部屋の状況を前にしたら まずお手上げ、 何も出来ずに出て行っただろうから、 「ま、いいか」と。 |
── | どういう自信ですか。 |
TOBI | こうしてぼくは、古本屋勤務の日常に戻り、 「靴の跡事件」など いつの間にか、忘れてしまったのです。 |
── | では‥‥真相は? |
TOBI | ええ、ますます堆積するミルフィーユに うずもれるようにして、 記憶の彼方へと、消え去っていきました。 |
── | はあ、心を失うと書いて「忙しい」とは、 よく言ったものです。 |
TOBI | 当時、部屋の汚さが、人間‥‥いや 呼吸をして生きる生命体の住む場所として 限界を超えてしまっており、 これは 本気でどうにかしなければ命さえ危ういと そのことばかりに、 気を取られていたせいもありました。 |
── | あ、やっと掃除したんですか、部屋。 |
TOBI | いえ、その同じアパートの2階に 空き室が出たので、 そちらに引っ越しすることにしたんです。 |
── | ドラスティックすぎませんか。解決法が。 |
TOBI | これは、その後の余談になりますけれど、 2階にはそれから2年、住みました。 ただ、部屋は変わっても、 そこに住む人間は変わっていませんから、 2年後にはスッカリ、 2年前と同じような状態になったのです。 |
── | まさか‥‥3階に引っ越し? |
TOBI | そのアパートは木造2階建てだったので、 さらに上へ逃げることは、不可能でした。 それで、しかたなくパリに‥‥。 |
── | は? |
TOBI | 以前「ひどい目。その5」でもお話しましたが、 その後、ゴミ入りの段ボール6箱が 数ヶ月かけて フランスまで船便で追いかけて来て、 そのことが遠因となり 音楽活動に身を捧げることになったわけですが、 ともあれ、ここで重要なのは、 増え続けるゴミに押し出されるかたちで、 パリへ渡ったことなどではなく。 |
── | はい。 |
TOBI | 例の「靴の跡事件」から‥‥ どうでしょう、 かれこれ10日くらい経ったころのこと。 |
── | それは、まだ2階へ引っ越す前ですね? |
TOBI | ええ、そうです。 忘れもしない、真夏の日曜日の朝です。 前日の深酒がタップリ残っており、 ミルフィーユの最上層にじかに寝転んで ユラユラまどろんでいると 目の前のベランダの窓が、 突然、勢いよく、ガラッと空いたんです。 |
── | ‥‥ええ。 |
TOBI | そのときは、たまたまだったんですけど、 あの、 ネイビーのホットパンツを着用していました。 |
── | それって「衣装」だと思ってたんですが‥‥ ふだん使いのアイテムなんだ。 |
TOBI | 前の晩、楽しいお酒を飲んだ名残でしょう。 上半身は、夏用のベージュのハラマキ以外、 何も身につけていませんでした。 ともかく、その人‥‥つまり、 人の家の窓を「ただいま」というくらいの 手慣れた感じで開け放った人は、 キャップを被り、 黒ブチのメガネをかけた、 どちらかというと実直そうな若い男でした。 |
── | なぜ「手慣れた感じ」と思ったんですか? |
TOBI | 鋭い質問ですね。 その窓の鍵が開いていることは、 ぼくは、気づいていなかったのですが、 「この窓の鍵は開いている」 ということを知っていなければ、 あれだけ躊躇なく、 勢いよく窓を開け放つなんてことは、 できないと感じたのです。 |
── | さすがは空き巣に心を寄り添わせる人。 空き巣が来たときの洞察が、深い。 |
TOBI | あちらとこちらで、ぼくたちは、しばし、 無言でにらみ合いました。 |
── | キャップでメガネの実直そうな若者と、 ツヤツヤした素材のホットパンツに ベージュのハラマキだけを身につけた男が、 外界と異空間を隔てる窓を挟んで。 |
TOBI | ええ。 |
── | こう書くと、どちらがが怪しい人なのか、 サッパリわからないです。 |
TOBI | ハッキリ顔を見たわけではないですが、 その人は‥‥ まだ少年と言っていいほどの年格好でした。 |
── | へえ。 |
TOBI | 「どちらさまですか?」 ぼくが、ゴミに寝転がったままの体勢で 身を固くしながら そう言おうとした瞬間、 その「少年」が、先に口を開いたんです。 |
── | 何と。 |
TOBI | 「間違えました」と。 |
── | え? |
TOBI | 何をどう間違ったら、 人の家の窓を勢い良く開けられるのかと 問い返すひまもなく、 少年は、開けた窓をピシャリと閉めて、 蒸し暑い朝のかげろうの中に すぅーっと、気配を消していったのです。 |
── | 夏の幻‥‥。 |
TOBI | あまりに瞬間的なできごとだったことと、 「間違えました」という物言いが とても丁寧に聞こえたので ぼくは 「ああ、本当に間違えたんだな、今のは」 と思うことにしたんです。 |
── | その人は‥‥それ以降は? |
TOBI | 二度と見かけることはありませんでした。 以後も、とくに不審な出来事は起こらず、 季節はめぐって冬となり、 勤務先の古本屋は「ブックオフ」となり、 今や、ぼくはブックオフの店員として、 心機一転、 出張買取や新店舗の立ち上げに、 せわしなく飛び回っていた‥‥ある晩。 |
── | はい。 |
TOBI | 仕事を終えアパートに帰ってみると、 ドアに「赤い紙」が貼ってあったんです。 |
── | 赤‥‥なんて不吉な色。 |
TOBI | あたりはぼうっとした蛍光灯が チカチカと明滅しているだけでしたから、 何が書いてあるのか、 すぐには、判読できませんでした。 |
── | ええ。 |
TOBI | そこで、部屋のなかで改めて読んでみると、 そこには ガサツな人間が書きなぐったような文字で、 こう、書いてあったんです。 「昨年8月2日の貴殿の行動について 至急、連絡されたし。成城警察某」 |
── | 警察‥‥! |
TOBI | その、文字から類推すると ガサツで岩石みたいな顔面をしているだろう 成城警察の刑事、 その刑事の直通番号が添えられていたので、 ぼくはこわごわ、電話したんです。 至急、とあったので、すぐさまにね。 |
── | ええ。岩石デカにコールバック。 |
TOBI | そう、その刑事は、たったのワンコールで 受話器を荒々しく取るなり、 「どこだ!」と、大声で怒鳴ったんです。 |
── | 「どこだ!」? |
TOBI | そう、「どこだ!」って 何だか、よくわからないじゃないですか。 でも、その勢いに気圧されて 「こちら練馬区桜台」と間抜けな返事をしたら すぐに察したようで 「先週、大阪で捕まった某連続窃盗犯が、 昨年8月2日に 貴殿の部屋に侵入したと自白した」と。 |
── | 連続窃盗犯それはつまり空き巣! |
TOBI | ぼくは、恐怖で、ガタガタ震え出しました。 8月2日、というのは‥‥ ネイビーのポリエステルのホットパンツを 踏みつけられた日か、 キャップでメガネの若い男の人と そのネイビーのホットパンツ一丁の姿で にらみ合った日か、 にわかには判断できなかったのですが、 「空き巣だ、あいつだ!」と。 |
── | やっぱり入ってたんですね‥‥空き巣。 |
TOBI | 岩石刑事は「犯人」について 心当たりがないかどうかしつこく聞き、 「よく思い出してください。 侵入当時の8月初旬、 何かなくなったものはないですか?」と。 |
── | それが、わからないわけですよね。 |
TOBI | そう、だから、正直にそう伝えたら たたみかけるように、刑事は 「では、 犯人が侵入した形跡はありますか?」 と聞いてきたんです。 |
── | それもわからない、と。 |
TOBI | ですので、 「言ってみれば、 大勢の空き巣に入られたように見えます」 と、ここ数年の ぼくの部屋の状況を説明したのです。 ようするに、部屋がものすごく汚いために、 形跡が残りにくいんです‥‥と。 |
── | はい。 |
TOBI | すると刑事は、さも納得したというように、 妙に芝居がかった、 謎解きの場面の古畑任三郎みたいな口調で こう、つぶやいたんです。 「なるほど。それでか‥‥」と。 |
── | 「それで」? |
TOBI | 「なるほど‥‥それで犯人は安心して、 あなたの部屋に、 22日間も住んでいたわけですね」 |
2016-04-14-THU |