ゴミが地層化した練馬のアパートで空き巣と22日間同居した件。
不意の来訪者。
── ゴミや衣類がミルフィーユ状に堆積した
自室のアパートで、
見知らぬ人の靴の跡を見つけてしまった、
当時、古本屋勤務のTOBIさん。
TOBI はい。
── すぐに思い浮かぶのは「空き巣」ですが、
何か盗られたものは‥‥?
TOBI それが‥‥それをたしかめようにも、
部屋が部屋だけに、
何か盗られたのか盗られてないのか、
よく、わかりませんでした。
── そうだった‥‥。
TOBI 何か盗られたのかもしれない。
何にも盗られていないのかもしれない。

整然と積み重ねられていた
弁当のカラ容器と割り箸は盗られていない、
そのことだけは明白でした。
── そうでしょう。それは。
TOBI ひとつ言えるのは
「仮に、自分の仕事が空き巣だったとして、
 苦労の末この部屋に侵入したとしたら
 途方に暮れるだろう」ということでした。
── 汚すぎて、空き巣の力量を試す部屋‥‥。
TOBI あのカオスのまっただ中から
短時間で金目のものを見つけ出すのには、
おそらく、
スゴ腕の考古学者レベルの発掘スキルを
求められるはずです。
── ゴッドハンドが必要、と。
TOBI ともあれ、
玄関の鍵のようすも今まで通りだったので、
大家さんが
何かの確認に来て踏んづけていったのかな、
くらいにしか考えませんでした。
── 警察に通報とかは?
TOBI していません。

なぜなら、その時点での「被害」は
「ホットパンツの股間部分を靴で踏まれた」
だけだったからです。
まともに取り合ってはくれないでしょう。
── そうか‥‥。
TOBI それに、万が一空き巣だったとしても、
あの部屋の状況を前にしたら
まずお手上げ、
何も出来ずに出て行っただろうから、
「ま、いいか」と。
── どういう自信ですか。
TOBI こうしてぼくは、古本屋勤務の日常に戻り、
「靴の跡事件」など
いつの間にか、忘れてしまったのです。
── では‥‥真相は?
TOBI ええ、ますます堆積するミルフィーユに
うずもれるようにして、
記憶の彼方へと、消え去っていきました。
── はあ、心を失うと書いて「忙しい」とは、
よく言ったものです。
TOBI 当時、部屋の汚さが、人間‥‥いや
呼吸をして生きる生命体の住む場所として
限界を超えてしまっており、
これは
本気でどうにかしなければ命さえ危ういと
そのことばかりに、
気を取られていたせいもありました。
── あ、やっと掃除したんですか、部屋。
TOBI いえ、その同じアパートの2階に
空き室が出たので、
そちらに引っ越しすることにしたんです。
── ドラスティックすぎませんか。解決法が。
TOBI これは、その後の余談になりますけれど、
2階にはそれから2年、住みました。

ただ、部屋は変わっても、
そこに住む人間は変わっていませんから、
2年後にはスッカリ、
2年前と同じような状態になったのです。
── まさか‥‥3階に引っ越し?
TOBI そのアパートは木造2階建てだったので、
さらに上へ逃げることは、不可能でした。

それで、しかたなくパリに‥‥。
── は?
TOBI 以前「ひどい目。その5」でもお話しましたが、
その後、ゴミ入りの段ボール6箱が
数ヶ月かけて
フランスまで船便で追いかけて来て、
そのことが遠因となり
音楽活動に身を捧げることになったわけですが、
ともあれ、ここで重要なのは、
増え続けるゴミに押し出されるかたちで、
パリへ渡ったことなどではなく。
── はい。
TOBI 例の「靴の跡事件」から‥‥
どうでしょう、
かれこれ10日くらい経ったころのこと。
── それは、まだ2階へ引っ越す前ですね?
TOBI ええ、そうです。
忘れもしない、真夏の日曜日の朝です。

前日の深酒がタップリ残っており、
ミルフィーユの最上層にじかに寝転んで
ユラユラまどろんでいると
目の前のベランダの窓が、
突然、勢いよく、ガラッと空いたんです。
── ‥‥ええ。
TOBI そのときは、たまたまだったんですけど、
あの、
ネイビーのホットパンツを着用していました。
── それって「衣装」だと思ってたんですが‥‥
ふだん使いのアイテムなんだ。
TOBI 前の晩、楽しいお酒を飲んだ名残でしょう。
上半身は、夏用のベージュのハラマキ以外、
何も身につけていませんでした。

ともかく、その人‥‥つまり、
人の家の窓を「ただいま」というくらいの
手慣れた感じで開け放った人は、
キャップを被り、
黒ブチのメガネをかけた、
どちらかというと実直そうな若い男でした。
── なぜ「手慣れた感じ」と思ったんですか?
TOBI 鋭い質問ですね。

その窓の鍵が開いていることは、
ぼくは、気づいていなかったのですが、
「この窓の鍵は開いている」
ということを知っていなければ、
あれだけ躊躇なく、
勢いよく窓を開け放つなんてことは、
できないと感じたのです。
── さすがは空き巣に心を寄り添わせる人。
空き巣が来たときの洞察が、深い。
TOBI あちらとこちらで、ぼくたちは、しばし、
無言でにらみ合いました。
── キャップでメガネの実直そうな若者と、
ツヤツヤした素材のホットパンツに
ベージュのハラマキだけを身につけた男が、
外界と異空間を隔てる窓を挟んで。
TOBI ええ。
── こう書くと、どちらがが怪しい人なのか、
サッパリわからないです。
TOBI ハッキリ顔を見たわけではないですが、
その人は‥‥
まだ少年と言っていいほどの年格好でした。
── へえ。
TOBI 「どちらさまですか?」

ぼくが、ゴミに寝転がったままの体勢で
身を固くしながら
そう言おうとした瞬間、
その「少年」が、先に口を開いたんです。
── 何と。
TOBI 「間違えました」と。
── え?
TOBI 何をどう間違ったら、
人の家の窓を勢い良く開けられるのかと
問い返すひまもなく、
少年は、開けた窓をピシャリと閉めて、
蒸し暑い朝のかげろうの中に
すぅーっと、気配を消していったのです。
── 夏の幻‥‥。
TOBI あまりに瞬間的なできごとだったことと、
「間違えました」という物言いが
とても丁寧に聞こえたので
ぼくは
「ああ、本当に間違えたんだな、今のは」
と思うことにしたんです。
── その人は‥‥それ以降は?
TOBI 二度と見かけることはありませんでした。

以後も、とくに不審な出来事は起こらず、
季節はめぐって冬となり、
勤務先の古本屋は「ブックオフ」となり、
今や、ぼくはブックオフの店員として、
心機一転、
出張買取や新店舗の立ち上げに、
せわしなく飛び回っていた‥‥ある晩。
── はい。
TOBI 仕事を終えアパートに帰ってみると、
ドアに「赤い紙」が貼ってあったんです。
── 赤‥‥なんて不吉な色。
TOBI あたりはぼうっとした蛍光灯が
チカチカと明滅しているだけでしたから、
何が書いてあるのか、
すぐには、判読できませんでした。
── ええ。
TOBI そこで、部屋のなかで改めて読んでみると、
そこには
ガサツな人間が書きなぐったような文字で、
こう、書いてあったんです。

「昨年8月2日の貴殿の行動について
 至急、連絡されたし。成城警察某」
── 警察‥‥!
TOBI その、文字から類推すると
ガサツで岩石みたいな顔面をしているだろう
成城警察の刑事、
その刑事の直通番号が添えられていたので、
ぼくはこわごわ、電話したんです。

至急、とあったので、すぐさまにね。
── ええ。岩石デカにコールバック。
TOBI そう、その刑事は、たったのワンコールで
受話器を荒々しく取るなり、
「どこだ!」と、大声で怒鳴ったんです。
── 「どこだ!」?
TOBI そう、「どこだ!」って
何だか、よくわからないじゃないですか。

でも、その勢いに気圧されて
「こちら練馬区桜台」と間抜けな返事をしたら
すぐに察したようで
「先週、大阪で捕まった某連続窃盗犯が、
 昨年8月2日に
 貴殿の部屋に侵入したと自白した」と。
── 連続窃盗犯それはつまり空き巣!
TOBI ぼくは、恐怖で、ガタガタ震え出しました。

8月2日、というのは‥‥
ネイビーのポリエステルのホットパンツを
踏みつけられた日か、
キャップでメガネの若い男の人と
そのネイビーのホットパンツ一丁の姿で
にらみ合った日か、
にわかには判断できなかったのですが、
「空き巣だ、あいつだ!」と。
── やっぱり入ってたんですね‥‥空き巣。
TOBI 岩石刑事は「犯人」について
心当たりがないかどうかしつこく聞き、
「よく思い出してください。
 侵入当時の8月初旬、
 何かなくなったものはないですか?」と。
── それが、わからないわけですよね。
TOBI そう、だから、正直にそう伝えたら
たたみかけるように、刑事は
「では、
 犯人が侵入した形跡はありますか?」
と聞いてきたんです。
── それもわからない、と。
TOBI ですので、
「言ってみれば、
 大勢の空き巣に入られたように見えます」
と、ここ数年の
ぼくの部屋の状況を説明したのです。

ようするに、部屋がものすごく汚いために、
形跡が残りにくいんです‥‥と。
── はい。
TOBI すると刑事は、さも納得したというように、
妙に芝居がかった、
謎解きの場面の古畑任三郎みたいな口調で
こう、つぶやいたんです。

「なるほど。それでか‥‥」と。
── 「それで」?
TOBI 「なるほど‥‥それで犯人は安心して、
 あなたの部屋に、
 22日間も住んでいたわけですね」
2016-04-14-THU

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