── | 驚愕です。驚愕の「ひどい目。」です。 ゴミや衣類がミルフィーユ状に堆積した TOBIさんのアパート、 空き巣に「入られた」だけでなく、 空き巣が「住んでいた」だなんて‥‥! |
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TOBI | ええ。 |
── | それも1日2日じゃなく「22日間」とは。 いくら形跡が残りにくいからといっても、 3週間以上も気づかれないって、 どれだけ注意深い空き巣だったのか、 はたまた、どれだけ汚い部屋だったのか。 |
TOBI | まあ、その両方‥‥だったんでしょう。 少なくとも、犯人が 「全体的にはものすごく汚いけれど、 細部は案外整然としている」 というぼくの生活習慣を敏感に察知し、 それを頑なに厳守していたことは、 まちがいないです。 |
── | 便器の前の「ふたつの丸」に きちんと両足を置いて、用を足したり。 |
TOBI | おそらく。 |
── | 思わずトイレットペーパーの端を 三角に折ってしまっただけでも‥‥アウトだ。 |
TOBI | ネイビーのポリエステルのホットパンツの 股間につけた靴の跡は、 彼が唯一、犯した「失態」だったんですよ。 |
── | しかし「22日間、住んでいた」というのも、 いまいち、うまく理解できません。 弁当のカラ容器のタワーの陰に 身を潜めていた‥‥わけもないでしょうし。 |
TOBI | ぼくもその点、不思議に思ったので 受話器の向こうの岩石刑事に聞いたのです。 「いったい、どういうことですか」と。 |
── | すると? |
TOBI | 岩石が説明するには、こうでした。 「犯人はまだ10代の少年である、 高校3年の夏休みに 西日本の実家を家出して東京に住み着き、 すぐに食い詰め、 ほどなく空き巣稼業に手を染めた‥‥」 |
── | え、高校生? |
TOBI | そして 「その犯人の記念すべき1軒目の侵入先が 他ならぬ、あんたの部屋だったのだ」と。 |
── | 東京都内に 賃貸アパートが何部屋あるか知りませんが、 数万いや数十万という中から TOBIさんの部屋が選ばれたわけですよね。 何という‥‥鬼のような引きの強さ。 |
TOBI | 受話器の向こうで、岩が、 燃える溶岩のように どんどん真っ赤になっていくのがわかります。 「あんたねえ、ダメだよ、ダメダメ! そんなね、郵便ポストの内側なんかに セロハンテープで 部屋の合鍵を貼り付けたりしてちゃ! わかりやすすぎるでしょうが!」 |
── | 空き巣にとっては 模範解答のような隠し場所だった‥‥と。 |
TOBI | 「とにかく、こいつが1軒目に選んだのが、 運の悪いことに、あんたの部屋だった」 |
── | こいつ‥‥え、すぐそばに犯人が? |
TOBI | 「で、あんたの、恐ろしく汚い部屋を前に、 こいつは深く絶望した、ハハハッ‥‥」 |
── | 余計なお世話ですよね。 |
TOBI | 「しかし、そこからが こいつの油断ならないところで 金目のものはまったく期待できないけれど ここまで汚ない部屋なら、 東京で盗みを重ねる拠点としては 十分に使えそうだと悪知恵をはたらかせた」 |
── | お金もなく、知り合いもいない未成年が もっとも手に入れにくいもの、 それは、雨風のしのげる「根城」‥‥。 |
TOBI | 「そう決めた犯人は、 侵入当日の8月2日から8月24日までの 22日間にわたって、 あんたの部屋で、人知れず、 昼夜逆転の空き巣生活を続けていたのだ」 |
── | つまり、TOBIさんが 古本屋でアルバイトしている日中の間は 部屋で過ごし、 夕方以降、TOBIさんが帰ってくる前に 夜の街へ「仕事」に出かける‥‥。 |
TOBI | そうなんです。 「そして朝、 あんたが仕事に出かけるのを見計らって、 ポストで見つけた合鍵を使い、 堂々と玄関から部屋に侵入し、 エアコンをつけ、 ポテトチップスでもつまみながら マンガを読み漁り、 眠くなったら、あなたの布団で寝て‥‥」 |
── | うわー‥‥人間が一晩で出す寝汗の量って、 コップ一杯分とか言いますもんね。 |
TOBI | ‥‥‥‥‥。 |
── | あ、すいません、気持ち悪いこと言って。 |
TOBI | いいんですよ、もう過ぎ去ったことです。 熱くなった岩の解説を続けますと、 「俺の推理によれば お昼すぎからは 各局のワイドショーをチェックしたり、 仕事の前には きちんとシャワーを浴びたりするなど、 昼夜逆転とはいえ、 規則正しい生活をしていたのだろう」 |
── | で、夜に、仕事という名の犯行を重ねていた。 |
TOBI | 「犯人は、軽い気持ちで侵入を試みたら 1軒目で、余りにやすやすと入れてしまい、 しかも 住人つまりあんたにまったくバレなかった。 そして、あんたの部屋を拠点に、 世田谷の成城や田園調布など高級住宅地の あきらかな豪邸、 どう見ても大金持ちという家だけを狙って、 空き巣犯罪を繰り返していたのだ」 |
── | 侵入された挙句に、 空き巣に手を貸したかのような言われよう。 |
TOBI | そんなこちらの気持ちなど一向にかまわず、 刑事は、さらに説明を続けます。 「こいつは、 そうやって都内の豪邸で荒稼ぎしたあと、 8月24日に いったんあんたのアパートを出て 八王子へ移動、 また同じように、住めるほど汚い部屋を 拠点にしながら空き巣を繰り返し、 その後は、名古屋から岐阜へと 場所を転々としながら豪邸荒らしを続け、 ようやく 大阪の大富豪宅で現行犯逮捕されたのだ」 |
── | あ、大阪でドジ踏んだんですか。 でも、めでたくお縄頂戴でヨカッタですね。 |
TOBI | 被害総額は、4億円。 |
── | よ、4億!? 空き巣というか、大泥棒じゃないですか! |
TOBI | そうなんです。 ついこの間まで田舎の高校生が、ですよ。 |
── | つまり「その才能」があったんですかね? 将来は 怪人二十面相か、アルセーヌ・ルパンか、 というほどの「天賦の才」が。 |
TOBI | ぼくは、一日の仕事の疲れも忘れ、 ここまでの話を ポカーンとしながら聞いていたのですが、 最終的に刑事は 「被害届を作成しなければならないので 明日、職場に行かせてもらう。 勤務先の名称と住所を、教えてほしい」 と言ったのです。 |
── | え、じゃ、来たんですか、ブックオフに? |
TOBI | はい。来ました、次の日。 ちょうど、カウンターで 古本の買い取りの受付をしていたときに、 柔道かラグビーか、 そういう競技を愛好していそうな体つきの、 血色の良い、 つるつるの肌ツヤの顔をした男性が。 |
── | 岩は岩でも、大理石でしたか。 |
TOBI | そういう見た目の大男が、 ダークなスーツにゴツゴツした身を包み、 入り口から真っ直ぐ、 カウンター方向へ突進してくるわけです。 どう見ても古本の買い取りではないので、 ああ、この人が例の刑事かと思って 「あ、どうも」と挨拶したら、 その人、異常に大きな声を張り上げて 警察手帳を高らかに掲げ、 「こういう者です」と言ったんです。 |
── | ‥‥はい。 |
TOBI | 店内に響き渡るほどの大きな声でね。 そんな大声を出すなら、 最初から「警察です」と言えばいいのにと 思いました。 |
── | 身分を隠すための「こういう者です」なのに。 |
TOBI | お客さんがチラチラこっちを見たりとか、 「あの人、何したのかしら」 みたいな感じでザワついてしまったので、 ぼくはあわてて 大理石刑事に奥の部屋へ入ってもらいました。 |
── | そこで、取り調べがスタートした‥‥と。 どんなことを聞かれたんですか? |
TOBI | 大理石は、いきなりタメ口で 「本当、犯人、憎らしいよなあ‥‥」と こちらに同意を求めてきました。 でも、そのときのぼくは、 まったく犯人に憎しみを感じておらず、 むしろ、 「友だちになれるかもしれないな」と 思っていたくらいなんです。 |
── | え、どうしてですか。 |
TOBI | だって、本当の友だちですら 土足でドカドカ上がってくるような部屋、 「足の裏から病気がうつる」 とまで言われた、あの汚すぎる部屋に、 その彼‥‥空き巣犯は 「22日間」も暮らしていたんですよ。 ともすれば、リラックスまでして。 |
── | ‥‥‥‥‥。 |
TOBI | 思えば、あの部屋に きちんと靴を脱いで上がってくれたのは、 彼だけだったんです。 |
── | そうかもしれませんけど。 |
TOBI | 前の晩に、一部始終を聞いてから、 ぼくの頭の中は、 そのことでいっぱいになりました。 一晩で、その犯人に対して、 シンパシーすら抱いてしまっていたんです。 |
── | 監禁事件のような特異な状況に置かれると、 人質が、犯人に対して、 「同情」や「好意」を抱いてしまうという 「ストックホルム症候群」のことは、 耳にしたことがありますが‥‥。 じつに興味深い、被害者心理ですね。 |
TOBI | 神妙な顔つきの大理石は、さらに続けます。 「現在、犯人が自供した盗難品の中で 金のロレックスの時計が宙に浮いている。 つまり、 犯人がどこから盗ったか覚えておらず、 被害者の中にも、 ロレックスの時計を盗られたという人は、 ひとりもいない」 |
── | へえ、そんなことあるんですかね。 |
TOBI | 「だから、その金のロレックスは、 あんたの部屋から盗まれたものだろう」と。 |
── | え、そんなわけ‥‥ないと思う。 |
TOBI | ええ、ロレックスの時計を買えるような人が 5万1千円の家賃を払うために ゴミも出せずにバイトしながら 毎晩毎晩、就職採用の履歴書を書きますか? だからぼくは、ピシャリと言ってやりました。 |
── | お願いします。 |
TOBI | 「いいえ刑事、その金のロレックスは 断じて、ぼくのものではありません」 |
── | たとえそれが、 「銀のロレックス」だったとしても‥‥。 |
TOBI | そうです。錆びた鉄のロレックスでもです。 きっと刑事は、もうめんどくさかったので 犯人がぼくのところから盗った、 ということにしたかったのかもしれません。 でも、ぼくには、 盗られてもいないものを盗られただなんて、 そんな、友だちを売り飛ばすようなマネは‥‥。 |
── | 友だち‥‥。 すっかり空き巣の心に寄り添ってる。 さすがは、幼いころから「空き巣側」の人。 |
TOBI | ともあれ、今回の「ひどい目。」を通じて、 ぼくが、みなさんに伝えたいことは。 |
── | 何でしょう。 |
TOBI | あなたが今、この連載を読んでいる場所、 仮にそこがアパートの一室なら ちょっと、まわりを見渡したほうがいい。 |
── | あ‥‥。 |
TOBI | ほんのわずかな「違和感」でも構わない、 いつもとちがうところはないか。 クローゼットの裏、 ソファの下、物置と化したロフトの物陰。 |
── | つまり、振り向けばそこに‥‥。 |
TOBI | そう、知らないうちに、見知らぬ誰かが、 住みついているかもしれません。 |
── | 怖い! |
TOBI | なにせ、八王子と名古屋と岐阜と大阪には、 ぼく同様、犯人と同居したことに まったく気づかなかった 4人の被害者が存在するわけですから‥‥。 |
<終わります> |
2016-04-15-FRI |