パリで名高い日本人ポップ・デュオ、 レ・ロマネスクのTOBIさん(細長いほう)は、
    これまでの人生において ピンクなときも、さほどピンクでないときも、 幾多の「ひどい目」に遭ってきました。
    はじめは飲みの席で「ははは。ひどいスね」と 笑って聞いていたのですが つぎつぎ出てくる、 その、質・量ともに稀有な「ひどい目」体験に
    よくわからないけど 「これは、伝えなければ」と思いました。 聞けば聞くほど、笑っちゃう。 よくもまあ、そんなにいろんな「ひどい目」に。
    不定期連載のかたちで、お届けしていきます。 MIYAさん(丸いほう)も、 たまーに、出てくる可能性があります。 お相手は「ほぼ日」奥野です。
ひどい目☆その9

── しかし、世にも稀なる「ひどい目」人生の
幕開けとなった会社の名が、
トレジャー・アイランド‥‥宝の島だとは。
TOBI のちの展開を考えると、
「どこが宝の島なのかな」と思ったことも、
一度や二度ではありません。

トレジャー・アイランドの倒産を皮切りに、
多くの「ひどい目」に見舞われましたが、
でもこうして、めぐりめぐって
「ひどい目」で取材してもらっていますし、
やっぱり「宝の島」だったのかも。
── なんて前向きなシンキング‥‥。

話を戻しますが、その会社で、
学生時代に、バイトをされていたんですね。
TOBI ええ、神宮球場で
客席にファウルボールが飛んできたときに、
「気をつけて!」という意味で、
「ピィ!」とフエを吹くバイトと掛持ちで。
── 業務内容は?
TOBI テレビや舞台などのイベント制作全般。
── 卒業後、そのまま就職するパターンで入社。
TOBI そう、代々木から参宮橋へ向かう途中に
小田急の高架があるんですが、
当時、そこを越えてすぐのビルの2階に、
トレジャー・アイランドはありました。
── あー、あるある。高架ある。
代ゼミの道を下ってきたところですよね。
TOBI あの日は‥‥新社会人気分もすっかり抜け、
5月病にかかるヒマもないほど、
日々に忙殺されていた、6月の梅雨どき。

もう、何日も何日も雨降りだったんですが、
なぜかその日だけは晴れて、
すこし蒸し暑いくらいの、水曜の朝でした。
── ええ。
TOBI 久しぶりの晴れ間に、ふだんより、
すこしだけ気分よく会社へ向かっていると。
── 四つん這いで。
TOBI いえ、二本足で。
さすがにギックリ腰は治ってましたので。
── それはそれは。

TOBI 人間らしく二本足でしっかり大地を踏みしめ、
会社への道を歩いていると
前方の高架下の暗がりの中から、白い服を着た、
まるで亡霊のような女性が、
フラフラ‥‥と‥‥あらわれたんですよ。
── ほう‥‥。
TOBI その女性は、
すっかり魂の抜けたような雰囲気で、
足取りもおぼつかず、
なんだか、うわ言をつぶやきながら、
こちらへ歩いてくるんです。

よく見ると、それは、
社長秘書のシライシさん‥‥でした。
── はい。
TOBI その、あまりの異様なようすに、
ぼくは、声をかけられずにいたんですが、
シライシさん、すれちがうときに、
ブツブツと、こうつぶやいていたんです。

「会社がない‥‥会社がない‥‥
 会社がないのよ‥‥はは、ははは‥‥」
── ない?
TOBI ぼくは、シライシさんが、
どうにかなってしまったんだと思い、
会社への道を急ぎました。
── ええ、みんなに知らせようと思って。
TOBI 遠ざかっていくシライシさんを
気にかけながらも、
高架の暗がりを抜け、
ビルにたどり着き、
年季の入ったエレベーターのトビラを
こじ開けるようにして開けて、
「大変だ、みんな、シライシさんが!」
と叫ぼうとしたら‥‥。
── はい。
TOBI 目の前には、何にもなかった‥‥
いや、何もない空っぽの空間が、あった。
── つまり。
TOBI 亡霊と化したシライシさんの言うとおり、
トレジャー・アイランドが、
跡形もなく消え去っていたんですよ。

── 消え去る、というのは「物理的な消滅」?
TOBI そう、トレジャー・アイランドのM社長が、
前の晩のうちに、
すべてを持ち去って夜逃げしていたんです。
── 最初の倒産は、夜逃げのスタイル‥‥。
TOBI そのとき生まれてはじめて夜逃げの現場を
目の当たりにしたわけですが、
「もぬけの殻」とは、まさにこのこと。
── そんなにも、何にも?
TOBI なくなっていました。

社員のデスクや椅子、棚などの家具類、
冷蔵庫やコピー機、パソコンなどの
電化製品はもちろん、
じゅうたんはきれいに剥がされ、
キッチンのシンクも持ち去られていたし、
ウォシュレットや便座を含めて、
トイレは無残にも便器だけの丸裸となり、
ティッシュも、ゴミ箱も、灰皿も、
トイレットペーパーも、
蛍光灯から、小さな豆電球にいたるまで、
金に替えられそうなものは、ことごとく。
── その大仕事を、M社長はたったひとりで?
TOBI どうでしょう、わかりません。
そのような「専門業者」に依頼したのか、
夜逃げを察知した街の金融業者が、
われさきにと、
金目のものを奪ったのかもしれません。

どっちにしろ、たった一晩でここまで
会社というものの全存在を
跡形もなく消し去ることができるのかと。
── 大人の仕事です。
前の晩の、M社長のようすは?
TOBI 制作会社ですから、社長以下、
みんな遅い時間まで仕事していました。

不自然なやさしさもなく、
逆に、ふだんより機嫌悪そうでもなく、
たんたんと、いつもどおりに。
── M社長‥‥役者ですね。
TOBI 前触れなど、一切なかったんですけど、
いま思えば、涼しい顔をして、
夜逃げの計画を練っていたんです。

── 無職が、突然、降ってきたわけですが、
そのとき、どんな気分でしたか。
TOBI 4月のあたまに入社して
夜逃げが6月の末のできごとですから、
3ヶ月で職を失ったんですよ?

預貯金もまったくありませんでしたし、
なんだか、丸裸で、
大海原を漂流するような心細さでした。
── 数年後、実際に大西洋で漂流しますがね。

でもそうか、お給料と言っても、
まだ、1回か2回、もらっただけだから。
TOBI それが、もらってないんです。
── ええっ、一度も?
TOBI はい。
── 入社して、いきなり給料滞納?
TOBI そうです。
── それ思いっきり前触れじゃないでしょうか。
夜逃げの。
TOBI いま思えばね。

「正社員として雇う手続きが整うまで、
 ちょっと待って」
という社長の言葉を信じていたんです。
── 入社から3ヶ月もの間、タダばたらきとは。
TOBI 社会に出るのははじめてでしたから、
4月にはたらいた分が
6月の末くらいに入るっていうのは、
まあ、そういうことなのかな、
社会ではたらくって厳しいんだなあって。

ともあれ、そのようなわけで、
ただの一度もお給料をもらわないうちに、
最初の会社がなくなったんです。
── こうして「倒産スパイラル」が‥‥。
TOBI 静かに、回転しはじめたのです。

── その後の「倒産状況」を、
ざっと教えていただけませんでしょうか。
TOBI いいでしょう。まず、ふたつめの仕事は、
化粧品販売の「ワゴンDJ」でした。
── DJ‥‥ってディスク・ジョッキーのこと?
TOBI 郊外のショッピングモールの
エスカレーターの前などに派遣されて、
化粧品のワゴン脇に陣取り、
「ただ今より、タイムセーーーーール!
 奥さん、今だけ! 今だけですよ!
 落ちない口紅、
 ふだん1500円のところ、
 今なら特別特価、たったの1000円!
 さらに、
 口紅の試供品を2つおつけします!」
みたいなことを、
あれこれと身振り手振りを交えながら、
マイクで叫ぶ係です。
── それって「DJ」なんですか。
TOBI そうやって呼ばれるんです。

BGMとかマイク・パフォーマンスは
すべて任されているし、
うまいことお客さんがノッてくれたら、
次の指名が掛かるので、
いわゆる「DJ」と同じ感じなんです。
相手は全員、おばちゃんですけど。
── 世の中には、
まだまだ知らない仕事があるなあ!
TOBI 半年くらい続けていたら、
東北や北陸に泊りがけで呼ばれたり、
DJとして、
じょじょに人気も出てきたんですが。
── 才能あったんだ。
TOBI 大崎にあった派遣元の会社が潰れました。
── 売れっ子DJ、路頭に迷う‥‥。

TOBI そこでこんどは、2週間の研修を経て、
ツアコンとして尾瀬を案内しはじめた矢先に
バスツアー会社が倒産し、
パソコン本の編集部に潜り込んだと思ったら
社長が朝礼で「明日で会社を潰す」と。
── ある意味‥‥順調に。
TOBI 坂道を転がるように。

その後は、
おじさま向けフーゾク店のもぎたて情報紙の
三行広告を取る仕事、
ベランダのラン栽培専門の温室製作業、
葬儀専門の花屋、
牛乳しか飲めない下戸の極道さんが
2000万くらい「集金」した帰りに寄っていく
バーのバーテン、
出版社の下請け会社で芸能ゴシップの裏取り、
冷たい地下室で
半透明のビニールシートを
50センチ平方の正方形に
えんえんカッティングする不気味な仕事‥‥。
── それらが、すべて、倒産したんですか。
TOBI 中には、倒産してない会社もありますよ。

空き巣と暮らしていた時代に勤めていた
古本屋は
ブックオフに吸収されただけだし、
以前にお話した
北海道のK牧場も、規模は縮小したけど、
まだ経営しているはずです。
おそろしくて、確認していませんが‥‥。
── 倒産をまぬかれた物件もあると。
なるほど。
TOBI ただ、入る前に倒産するケースもありました。

吉田日出子さん、笹野高史さん、
小日向文世さんなどがいらっしゃった劇団の
劇団員の試験を受けてみたところ、
合格してしまったのですが、
一週間くらい後に何気なくテレビをつけたら、
「オンシアター自由劇場が解散」
というニュースが流れて、「えっ?」と。
── は、激しい‥‥倒産スパイラルというより、
いっそ倒産ハリケーン。

TOBI ともあれ、その後は、そのような暴風雨に
飲み込まれていくんですが、
トレジャー・アイランドの社長が
夜逃げした日に、すこし話を戻しますとね。
── ええ。
TOBI 亡霊秘書のシライシさんと同じように
呆然としながら、
空っぽのオフィスにたたずんでいたら、
社員がポツポツ出社してきて。
── いまや、何にもなくなった「宝の島」に。
TOBI 社員全員がそろったくらいのところで、
どこで正気に返ったのか、
シライシさんも、
人間に戻って帰ってきました。

そこで
「これは社長が夜逃げした跡であって、
 ゆえに会社は倒産した」
ということを、全社員で確認したんです。
── やはり、誰も知らなかったんですか。
昨晩、社長が夜逃げ寸前だったこと。
TOBI はい、そのようでした。

ほどなく、シライシさんはじめ、
会社のメインどころを担う先輩たちは
テレビ局をはじめ、
取引先との電話対応に追われはじめて。
── ええ。
TOBI といっても、
会社の固定電話もなくなっていたので、
道端の公衆電話から、ですが。

そして、下っ端のぼくたちは
「ひとまず、
 今日は自宅に戻ってください」と。
── やることないですもんね。 
TOBI デスクも椅子もないし、
もう、床に座っているしかないんです。

なので、これからどうなるんだろうと、
明日も床に座るためだけに
出社するのかなとか、
不安に駆られながら家路につきました。
── 揺れる不動ハウス、3号室へ。
TOBI あんな部屋でも、どんなに揺れても‥‥、
自宅は自宅。

はやく心と身体を休ませたいと、
寄り道もせず、まっすぐ部屋へ帰ると、
待ち構えていたかのように、
コンコンと、扉を叩く人がいるんです。
── まさか、夜逃げしたM社長!?
TOBI いいえ、不動ハウスの大家さんでした。

2万7000円の毎月の家賃も
滞納してませんでしたし、
大家さんが部屋を訪ねてくることなんて
めったにないので‥‥。
── イヤな予感がしますね。
TOBI 何の用事かと思って解錠すると、
木製の扉をギィ‥‥と開けた隙間から
能面のような顔を半分だけ出した大家さんが、
機械みたいな抑揚のなさで、こう言ったんですよ。
── はい。
TOBI 「こんど、このアパートをつぶして
 墓にするから、出ていってください」
── えっ!?
TOBI 「こんど、このアパートをつぶして
 墓にするから、出ていってください」
── 家まで!?
TOBI 家まで。
── 会社がなくなったのと、同じ日に?
TOBI 同じ日に。

つづきます
2017-10-19-THU

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