パリで名高い日本人ポップ・デュオ、 レ・ロマネスクのTOBIさん(細長いほう)は、
    これまでの人生において ピンクなときも、さほどピンクでないときも、 幾多の「ひどい目」に遭ってきました。
    はじめは飲みの席で「ははは。ひどいスね」と 笑って聞いていたのですが つぎつぎ出てくる、 その、質・量ともに稀有な「ひどい目」体験に
    よくわからないけど 「これは、伝えなければ」と思いました。 聞けば聞くほど、笑っちゃう。 よくもまあ、そんなにいろんな「ひどい目」に。
    不定期連載のかたちで、お届けしていきます。 MIYAさん(丸いほう)も、 たまーに、出てくる可能性があります。 お相手は「ほぼ日」奥野です。
ひどい目☆その9

── 新卒で就職した会社を皮切りに、
勤務先が次々と倒産していったことは、
これまでうかがった
さまざまな「ひどい目」のお話の中に
たびたび出てきましたよね。
TOBI はい。
── ついたあだ名が、倒産請負人‥‥。
TOBI それは、あなたがつけたあだ名でしょ。
── 思うに、TOBIさんが
見舞われてきた「ひどい目」の根源、
おおもとには、
「勤めた会社が次々に潰れていった」
という不運の連鎖が‥‥。
TOBI 陰に陽に、作用していたと思います。
── ですよね。勤めた会社さえ潰れなければ、
パリで銀行強盗に
拳銃をつきつけられることもなかったし。
TOBI 大西洋の真ん中で漂流することも、
部屋中に汚水が溢れてゾンビ化することも、
さかのぼって、
空き巣と生活することもなかったでしょう。
── つまり、決して派手派手しさはないけど、
TOBIさんの人生に
じわじわ「ひどい目」をもたらしていった
すべての元凶‥‥それが倒産スパイラル。
TOBI そう、言えるのかもしれません。

この話をするには、
まず大学4年生のときの自分の状況から、
はじめるのが良いでしょう。
── 今日も長いストーリーになりそうですね。
どうぞ、お願いします。

TOBI わかりました。では‥‥。

大学生のころ、
ぼくは「家賃2万7000円のアパート」に、
住んでいたんです。
── 知らぬ間に空き巣が住みついていた、
あの練馬のアパートとは、また別の。
TOBI ええ、そのふたつ前に住んでいた物件です。

日当たりゼロで、トイレは和式で、共同で。
不動ハウスという名前のアパートで、
えらい揺れるんです。ちょっとの地震でも。
── 不動ハウスなのに。
TOBI 築ウン十年はダテじゃない、
ぜんぜんドッシリしてない不動産でした。

今日はすこし風が強いなくらいの日でも、
当時、テレビより近所でよく見かけた
宍戸江利花さん、
つまりアジャ・コングさんが
大家さん相手に
稽古でもつけているのかな、と思うほど。
── ブレーンバスターを。垂直落下式の。
TOBI 五畳の部屋の南向きの窓を開けると、
そこには
隣の金属部品工場のコンクリートの壁が、
鼻先数センチのところに。
── せっかく南向きなのに‥‥。
TOBI 風呂なし物件でしたから、
毎晩、目黒不動尊の境内を突っ切っては、
不動浴場という湯へ通っていました。
── 水かけ不動にギロリとされながらね。

TOBI 結局、不動ハウス3号室には、
3年半くらい住むことになるんですけど、
一言で表現するなら、
そこは、
「ものすごくネズミの通過する部屋」で。
── 通過? ネズミが? 部屋の中を?
TOBI そう。あれって、何ていうんでしたっけ。
長押(なげし)でしたっけ。

よくハンガーかなんかをかけておくとこ、
あるじゃないですか。
一日の終りにボーッとしてたりすると、
あそこを通過するんですよ‥‥ネズミが。
── 我が物顔で。
TOBI そう、とくに急ぐようすなどもなく、
ゆうゆうと、
すこし人を馬鹿にしたような感じで。

チョロッ、チョロチョロッチョロッ、
みたいな。
── 地味に腹が立ちますね。それ。
TOBI それも、ぼくの部屋の居心地がいいとか
そういうことじゃないみたいで、
右隣の4号室から
左隣の2号室へと抜けていくだけでした。
── TOBIさんの部屋は、単なる通路?
TOBI 4号室と2号室が、
どれだけパラダイスだったのかは
わかりませんけど、
言ってみれば、わが3号室は、
ディズニーランドと
ディズニーシーの間をつなぐだけの、
ただの道‥‥。
── ネズミだけにね。うまい!
TOBI 2万7000円を払って、
自分は「道」に住んでいるのかと思うと、
複雑な気持ちになりました。
── めぼしいものがなかったんでしょうか。
穴の空いた三角形のチーズとか。
TOBI そんなものは、絶対なかったでしょう。

落ちていたとしたら、
商店街のアラレ屋さんでもらってきた、
クズのアラレのカスくらいです。
── クズのアラレの‥‥さらにカス。
TOBI アラレってもともと米だから、
お湯で戻すとオカユになるんですよね。

しょうゆ味、塩味、梅味、生姜味など、
味も豊富で飽きないんです。
── へえ。
TOBI 20代前半の炭水化物は、
主に、そのオカユで補給していました。
── 青春ですね。

TOBI ともあれ、自分の部屋は、
ネズミにさえ
見向きもされず通り過ぎられてしまう、
ただの道にすぎない。

そう思うと、もう‥‥
小憎らしくて小憎らしくて、人として。
── 退治しようとは?
TOBI いちど、部屋にネズミ捕りを仕掛けて
生け捕りにしたものの、
そのネズミを、
もう、どうしようもなくなっちゃって。

小憎らしいとはいえ、生きているので。
手のひらの中で、小刻みに震えながら。
── それは、たしかに‥‥。

実際に捕まえたらどうしたらいいのか。
飼うわけにもいかないですし。
TOBI いくらなんでも、おなじ哺乳類として、
息の根を止めるなんて無理でした。
自分のような人間に、
こいつの命を奪う権利があるのか、と。

そこで、もう捕まるんじゃないぞと、
おとなりの4号室へ通ずるトンネルへ、
そっと放してやりました。
── 捕まえたのはあなたですよね?
TOBI そして、そのあとすぐに
金タワシで通り道のトンネルを塞いで、
4号室の住人に始末を委ねたんです。
── オペレーション・ネズミ・ブロック発動。
TOBI それ以降、ネズミたちの姿は、
すっかり見かけなくなったんですが‥‥。
── 作戦が功を奏したんですね!
TOBI 漂ってくるんです‥‥台所のほうから。
── それは‥‥やつらのヴァイヴスが?
TOBI いえ‥‥もっと邪悪な‥‥「異臭」が。

しばらくの間、
気づかないふりをしていたんですけど、
すぐに耐え切れなくなり、
台所の隅や暗がりなどを調べるうちに、
ずっと、冷蔵庫の電源コードとばかり
思っていた、
「ネズミ色をした細長いもの」が‥‥。
── まさか、し、し、シッ‥‥‥‥ポ?
TOBI そう‥‥お亡くなりあそばされた‥‥
ネズミの、ね。
── うーわ。
TOBI すべてのトンネルを封鎖してしまったことで、
通過中のネズミが閉じ込められ、
わが3号室の片隅で、あわれ、ミイラに‥‥。
── 裏目。作戦が。鮮やかなほどに。


TOBI これはまったくの余談ですが、
次のアパートは、
「メゾン愛」という物件だったんですが、
その部屋では、
コンビニの中華丼をさあ食べようと
フタを開けた瞬間、
とつぜん天井が抜けて、
屋根裏のネコが落ちてきたんですよ。
── ホッカホカの、中華丼の上に?
TOBI フギャーとか言って猛烈に怒ってました。
熱かったんだと思います。
── あ、で、次の練馬のアパートが‥‥。
TOBI そう、例の「空き巣」が住んでいた部屋。

ネズミ→ネコ→空き巣と、
順調にステップアップしていったんです。
── そんなステップアップなんてイヤですし、
最後、ロケットジャンプじゃないですか。

なにしろ人間で、
人間の中でも「空き巣」で、
空き巣の中でも「4億盗んだ空き巣」て。
TOBI ともあれ、学生時代を通じて
そのような部屋に住んでいたのですが、
とくに冬場は、寒くて寒くて。

── でしょうね。
通路って、たいがい寒いですもんね。
TOBI 大学4年の卒業試験の日など、
自動で点いたり消えたりする
ちいさなコタツしかない極寒の部屋で
徹夜の一夜漬けをしたせいで、
目黒の駅前で原付バイクを停めた瞬間、
ギックリ腰になってしまったんです。
── えーっと、それは、
スタンドをガクッと起こすときに?
TOBI そう、おのれの腰も一緒にギクッとね。

人生初のギックリ腰だったもので、
一瞬、何が起きたのか‥‥
なにしろ、原付を停めたと思った瞬間、
右の頬が、
真冬の冷え切った都会のアスファルトに
バチーンと叩きつけられていたんです。
── 重力とは、何とも非情です。
チリひとつ、逃しはしない。
TOBI チリ‥‥そうですね、当時のぼくは
ネズミにさえ見下された
チリに等しい人間だったわけですが、
重力ってやつは、
見逃しはしてくれませんでしたね。

結果として、
二本足で立ちあがることができなくなり、
でも、その日、
卒業試験が5つもあったので‥‥。
── そんなに?
TOBI 単位がギリギリだったんです。

だから絶対に遅刻できず、
四つん這いのまま、目黒から田町まで、
通勤ラッシュの山手線に乗りました。
── 正気ですか。
TOBI そのときです。

「満員電車の中で、
 四つん這いをしているようなやつは、
 人間扱いしてもらえない」
という、都会の掟を学んだのは。

── そのお姿を想像するに、
本当にすみませんが笑ってしまいます。
TOBI でしょうね。今となっては自分でもね。

さらには
「四つん這いでも、
 どうにか階段を登ることはできるが、
 階段を降りるのがむつかしい」
という人生の真実にも、直面しました。
── さらに田町から慶應大学まで‥‥って、
決して近くはないですよね。

少なくとも、這っていく距離じゃない。
TOBI そうです、あの日ぼくは、あの距離を、
四つん這いで進んだのです。

こんな厳しい人生の試練を乗り越えれば、
きっと自分は大きくなれる、
きっと、
二度とひどい目に遭わずに済むと信じて。
── その願いとは、
真逆の人生が待ち受けているなんてね。
TOBI 何人かの顔見知りが、
顔をあからさまに真横に逸らしながら、
何人かのクラスメイトが
「何やってるの」と冷たく言い放ちながら、
四つん這いの男の傍らを、
足早に、通り過ぎていきました。
── 誰も助けてくれなかったんですか?
TOBI なにせ卒業のかかった試験ですから。

時間に遅れてはまずいし、
彼らのあのよそよそしさからすると、
アート的な行為か何かだと、
思われていたのかもしれないです。

── そうか‥‥卒業試験というものに対する、
アピールというか、ボイコットというか。

ハンガーストライキみたいな感じで、
四つん這い通学。わかりにくい!
TOBI さいわいなことに
教室の椅子に座ることはできたので、
ひとつの試験が終わったら、
そのまま直に床に降り、
四つん這いで、次の教室に移動して、
何とか5つの試験をこなして。
── TOBIさん‥‥。
TOBI 人間、死ぬ気になれば何とかなるもの。
結果的には、ぶじに
大学卒業のお免状を勝ち取ったんです。

そして、学生時代から
たびたび単発のアルバイトをしていた
イベント制作の
トレジャー・アイランドという会社に、
就職することになるんですが‥‥。
── つまり、その会社が、
長く険しい「倒産スパイラル」の‥‥。
TOBI そう、はじまりだったんです。

つづきます
2017-10-18-WED

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