── | 新卒で就職した会社を皮切りに、 勤務先が次々と倒産していったことは、 これまでうかがった さまざまな「ひどい目」のお話の中に たびたび出てきましたよね。 |
TOBI | はい。 |
── | ついたあだ名が、倒産請負人‥‥。 |
TOBI | それは、あなたがつけたあだ名でしょ。 |
── | 思うに、TOBIさんが 見舞われてきた「ひどい目」の根源、 おおもとには、 「勤めた会社が次々に潰れていった」 という不運の連鎖が‥‥。 |
TOBI | 陰に陽に、作用していたと思います。 |
── | ですよね。勤めた会社さえ潰れなければ、 パリで銀行強盗に 拳銃をつきつけられることもなかったし。 |
TOBI | 大西洋の真ん中で漂流することも、 部屋中に汚水が溢れてゾンビ化することも、 さかのぼって、 空き巣と生活することもなかったでしょう。 |
── | つまり、決して派手派手しさはないけど、 TOBIさんの人生に じわじわ「ひどい目」をもたらしていった すべての元凶‥‥それが倒産スパイラル。 |
TOBI | そう、言えるのかもしれません。 この話をするには、 まず大学4年生のときの自分の状況から、 はじめるのが良いでしょう。 |
── | 今日も長いストーリーになりそうですね。 どうぞ、お願いします。 |
TOBI | わかりました。では‥‥。 大学生のころ、 ぼくは「家賃2万7000円のアパート」に、 住んでいたんです。 |
── | 知らぬ間に空き巣が住みついていた、 あの練馬のアパートとは、また別の。 |
TOBI | ええ、そのふたつ前に住んでいた物件です。 日当たりゼロで、トイレは和式で、共同で。 不動ハウスという名前のアパートで、 えらい揺れるんです。ちょっとの地震でも。 |
── | 不動ハウスなのに。 |
TOBI | 築ウン十年はダテじゃない、 ぜんぜんドッシリしてない不動産でした。 今日はすこし風が強いなくらいの日でも、 当時、テレビより近所でよく見かけた 宍戸江利花さん、 つまりアジャ・コングさんが 大家さん相手に 稽古でもつけているのかな、と思うほど。 |
── | ブレーンバスターを。垂直落下式の。 |
TOBI | 五畳の部屋の南向きの窓を開けると、 そこには 隣の金属部品工場のコンクリートの壁が、 鼻先数センチのところに。 |
── | せっかく南向きなのに‥‥。 |
TOBI | 風呂なし物件でしたから、 毎晩、目黒不動尊の境内を突っ切っては、 不動浴場という湯へ通っていました。 |
── | 水かけ不動にギロリとされながらね。 |
TOBI | 結局、不動ハウス3号室には、 3年半くらい住むことになるんですけど、 一言で表現するなら、 そこは、 「ものすごくネズミの通過する部屋」で。 |
── | 通過? ネズミが? 部屋の中を? |
TOBI | そう。あれって、何ていうんでしたっけ。 長押(なげし)でしたっけ。 よくハンガーかなんかをかけておくとこ、 あるじゃないですか。 一日の終りにボーッとしてたりすると、 あそこを通過するんですよ‥‥ネズミが。 |
── | 我が物顔で。 |
TOBI | そう、とくに急ぐようすなどもなく、 ゆうゆうと、 すこし人を馬鹿にしたような感じで。 チョロッ、チョロチョロッチョロッ、 みたいな。 |
── | 地味に腹が立ちますね。それ。 |
TOBI | それも、ぼくの部屋の居心地がいいとか そういうことじゃないみたいで、 右隣の4号室から 左隣の2号室へと抜けていくだけでした。 |
── | TOBIさんの部屋は、単なる通路? |
TOBI | 4号室と2号室が、 どれだけパラダイスだったのかは わかりませんけど、 言ってみれば、わが3号室は、 ディズニーランドと ディズニーシーの間をつなぐだけの、 ただの道‥‥。 |
── | ネズミだけにね。うまい! |
TOBI | 2万7000円を払って、 自分は「道」に住んでいるのかと思うと、 複雑な気持ちになりました。 |
── | めぼしいものがなかったんでしょうか。 穴の空いた三角形のチーズとか。 |
TOBI | そんなものは、絶対なかったでしょう。 落ちていたとしたら、 商店街のアラレ屋さんでもらってきた、 クズのアラレのカスくらいです。 |
── | クズのアラレの‥‥さらにカス。 |
TOBI | アラレってもともと米だから、 お湯で戻すとオカユになるんですよね。 しょうゆ味、塩味、梅味、生姜味など、 味も豊富で飽きないんです。 |
── | へえ。 |
TOBI | 20代前半の炭水化物は、 主に、そのオカユで補給していました。 |
── | 青春ですね。 |
TOBI | ともあれ、自分の部屋は、 ネズミにさえ 見向きもされず通り過ぎられてしまう、 ただの道にすぎない。 そう思うと、もう‥‥ 小憎らしくて小憎らしくて、人として。 |
── | 退治しようとは? |
TOBI | いちど、部屋にネズミ捕りを仕掛けて 生け捕りにしたものの、 そのネズミを、 もう、どうしようもなくなっちゃって。 小憎らしいとはいえ、生きているので。 手のひらの中で、小刻みに震えながら。 |
── | それは、たしかに‥‥。 実際に捕まえたらどうしたらいいのか。 飼うわけにもいかないですし。 |
TOBI | いくらなんでも、おなじ哺乳類として、 息の根を止めるなんて無理でした。 自分のような人間に、 こいつの命を奪う権利があるのか、と。 そこで、もう捕まるんじゃないぞと、 おとなりの4号室へ通ずるトンネルへ、 そっと放してやりました。 |
── | 捕まえたのはあなたですよね? |
TOBI | そして、そのあとすぐに 金タワシで通り道のトンネルを塞いで、 4号室の住人に始末を委ねたんです。 |
── | オペレーション・ネズミ・ブロック発動。 |
TOBI | それ以降、ネズミたちの姿は、 すっかり見かけなくなったんですが‥‥。 |
── | 作戦が功を奏したんですね! |
TOBI | 漂ってくるんです‥‥台所のほうから。 |
── | それは‥‥やつらのヴァイヴスが? |
TOBI | いえ‥‥もっと邪悪な‥‥「異臭」が。 しばらくの間、 気づかないふりをしていたんですけど、 すぐに耐え切れなくなり、 台所の隅や暗がりなどを調べるうちに、 ずっと、冷蔵庫の電源コードとばかり 思っていた、 「ネズミ色をした細長いもの」が‥‥。 |
── | まさか、し、し、シッ‥‥‥‥ポ? |
TOBI | そう‥‥お亡くなりあそばされた‥‥ ネズミの、ね。 |
── | うーわ。 |
TOBI | すべてのトンネルを封鎖してしまったことで、 通過中のネズミが閉じ込められ、 わが3号室の片隅で、あわれ、ミイラに‥‥。 |
── | 裏目。作戦が。鮮やかなほどに。 |
TOBI | これはまったくの余談ですが、 次のアパートは、 「メゾン愛」という物件だったんですが、 その部屋では、 コンビニの中華丼をさあ食べようと フタを開けた瞬間、 とつぜん天井が抜けて、 屋根裏のネコが落ちてきたんですよ。 |
── | ホッカホカの、中華丼の上に? |
TOBI | フギャーとか言って猛烈に怒ってました。 熱かったんだと思います。 |
── | あ、で、次の練馬のアパートが‥‥。 |
TOBI | そう、例の「空き巣」が住んでいた部屋。 ネズミ→ネコ→空き巣と、 順調にステップアップしていったんです。 |
── | そんなステップアップなんてイヤですし、 最後、ロケットジャンプじゃないですか。 なにしろ人間で、 人間の中でも「空き巣」で、 空き巣の中でも「4億盗んだ空き巣」て。 |
TOBI | ともあれ、学生時代を通じて そのような部屋に住んでいたのですが、 とくに冬場は、寒くて寒くて。 |
── | でしょうね。 通路って、たいがい寒いですもんね。 |
TOBI | 大学4年の卒業試験の日など、 自動で点いたり消えたりする ちいさなコタツしかない極寒の部屋で 徹夜の一夜漬けをしたせいで、 目黒の駅前で原付バイクを停めた瞬間、 ギックリ腰になってしまったんです。 |
── | えーっと、それは、 スタンドをガクッと起こすときに? |
TOBI | そう、おのれの腰も一緒にギクッとね。 人生初のギックリ腰だったもので、 一瞬、何が起きたのか‥‥ なにしろ、原付を停めたと思った瞬間、 右の頬が、 真冬の冷え切った都会のアスファルトに バチーンと叩きつけられていたんです。 |
── | 重力とは、何とも非情です。 チリひとつ、逃しはしない。 |
TOBI | チリ‥‥そうですね、当時のぼくは ネズミにさえ見下された チリに等しい人間だったわけですが、 重力ってやつは、 見逃しはしてくれませんでしたね。 結果として、 二本足で立ちあがることができなくなり、 でも、その日、 卒業試験が5つもあったので‥‥。 |
── | そんなに? |
TOBI | 単位がギリギリだったんです。 だから絶対に遅刻できず、 四つん這いのまま、目黒から田町まで、 通勤ラッシュの山手線に乗りました。 |
── | 正気ですか。 |
TOBI | そのときです。 「満員電車の中で、 四つん這いをしているようなやつは、 人間扱いしてもらえない」 という、都会の掟を学んだのは。 |
── | そのお姿を想像するに、 本当にすみませんが笑ってしまいます。 |
TOBI | でしょうね。今となっては自分でもね。 さらには 「四つん這いでも、 どうにか階段を登ることはできるが、 階段を降りるのがむつかしい」 という人生の真実にも、直面しました。 |
── | さらに田町から慶應大学まで‥‥って、 決して近くはないですよね。 少なくとも、這っていく距離じゃない。 |
TOBI | そうです、あの日ぼくは、あの距離を、 四つん這いで進んだのです。 こんな厳しい人生の試練を乗り越えれば、 きっと自分は大きくなれる、 きっと、 二度とひどい目に遭わずに済むと信じて。 |
── | その願いとは、 真逆の人生が待ち受けているなんてね。 |
TOBI | 何人かの顔見知りが、 顔をあからさまに真横に逸らしながら、 何人かのクラスメイトが 「何やってるの」と冷たく言い放ちながら、 四つん這いの男の傍らを、 足早に、通り過ぎていきました。 |
── | 誰も助けてくれなかったんですか? |
TOBI | なにせ卒業のかかった試験ですから。 時間に遅れてはまずいし、 彼らのあのよそよそしさからすると、 アート的な行為か何かだと、 思われていたのかもしれないです。 |
── | そうか‥‥卒業試験というものに対する、 アピールというか、ボイコットというか。 ハンガーストライキみたいな感じで、 四つん這い通学。わかりにくい! |
TOBI | さいわいなことに 教室の椅子に座ることはできたので、 ひとつの試験が終わったら、 そのまま直に床に降り、 四つん這いで、次の教室に移動して、 何とか5つの試験をこなして。 |
── | TOBIさん‥‥。 |
TOBI | 人間、死ぬ気になれば何とかなるもの。 結果的には、ぶじに 大学卒業のお免状を勝ち取ったんです。 そして、学生時代から たびたび単発のアルバイトをしていた イベント制作の トレジャー・アイランドという会社に、 就職することになるんですが‥‥。 |
── | つまり、その会社が、 長く険しい「倒産スパイラル」の‥‥。 |
TOBI | そう、はじまりだったんです。 |
つづきます |
2017-10-18-WED |