── | 今回は、ぼくたち庶民の憧れの避暑地、 北海道での「ひどい目。」とのこと。 |
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TOBI | ウィ。 |
── | 一面のラベンダー畑、白銀のゲレンデ、 ホッケ定食の巨大なホッケ、 夕張メロン、毛ガニ、ジンギスカン‥‥ そんな、みんな大好き北海道で、 どんな「ひどい目。」に遭うとでも? |
TOBI | 楽園のバラにもトゲはあるもの。 油断は禁物です。 不意に襲いかかる「ひどい目。」に、 国や地域など関係ありません。 言葉や宗教、お肌の色などもね‥‥。 |
── | 世界はひとつ‥‥と言うわけですね。 肝に銘じたいと思います。 それではさっそく、お話しください。 |
TOBI | あれは‥‥もう、ずいぶん昔のこと。 まだ20代だったぼくは、 少し前にお話した「倒産スパイラル」に 人生を翻弄されており、 そのときは 葬式専門の花屋でバイトをしていました。 |
── | 専門‥‥があるんだ。 |
TOBI | ええ、まだ家に空き巣が入る前ですが、 夜中に仕事が入ることも多く、 夜を徹して、 えんえん、祭壇の仏花を仕込む仕事で。 |
── | なるほど。 |
TOBI | 日中は死んだように眠り、 夜のとばりが降りるころに起きだして 仏花に群がる‥‥ まるで、自分が蛾にでもなったような 気分でした。 |
── | それが今では、 逆に、蛾が寄ってくるようなお姿に。 |
TOBI | そんな、ある日のこと。 聞き覚えのない男性の声で、 電話がかかってきたんです、早朝に。 |
── | 早朝。蛾ならまだ寝ている時間ですね。 |
TOBI | 「もしもし、ベツカイチョウのKです」 と、受話器の向こうの声は言いました。 寝ボケ頭で 「Kって誰? ベツカイチョウって何?」 とモゴモゴしていると、 その「ベツカイチョウのK」なる人物は 「いやあ、助かった、助かった。 あなたが来てくれるっていうんで、 本当に助かりました」と、言うんです。 |
── | はあ。 |
TOBI | そして、このように、続けたんです。 「いやあ、あなたを紹介してくれた イシモトくんにも感謝だな。 なんでも、 勤める会社が次々に倒産して 路頭に迷っている知り合いがひとり、 こっちにいるから」って。 |
── | ‥‥ええ。 |
TOBI | ベツカイチョウのK氏は、さらに 「そればかりか、 酪農にとても興味を持っているとか?」 などと。 |
── | 持ってるんですか、興味? |
TOBI | いいえ、まったく持っていません。 ただ、牛乳が好きだっただけです。 |
── | それが「酪農に興味を持ってる」と。 |
TOBI | K氏は、かまわず、続けます。 「こちらとしては、 早ければ早いほどいいんですがね。 東京からの飛行機は1日1便、 今日の1時半発の便に 乗ってもらっても大丈夫ですから」 |
── | つまり、誰とも知らぬ牧場主が 「早く来てくれ、今日でもいい」と? |
TOBI | とりあえず 「いや、たしかにイシモトは友人ですが、 少し考えさせていただけませんか」 と、お伝えしたら 「作業着は貸すから平気だ」とか何とか。 |
── | よくわからない話にもかかわらず、 電話を切らず付き合ってしまうところに TOBIさんの 断り切れない性格がにじみ出ています。 |
TOBI | そこで「牧場の仕事をした経験はない」 とお伝えすると、今度は 「牛が好きなら大丈夫、心配ない」と。 |
── | 好きなんですか、牛? |
TOBI | いや、好きもなにも、 触れ合った経験などありませんでした。 「ドナドナ」を 口ずさんだことがあるくらいです。 なので、K氏には 「いや、好きかどうかは、まだ‥‥ まずは会ってみないと」 とお答えするより、ありませんでした。 |
── | もっともなお返事ですね。 |
TOBI | するとK氏は 「あー、そう。なら明日でいいや。 明日、根室中標津空港で待ってるから! じゃ!」 と言ってガチャンと電話を切ったんです。 調べてみると、 K氏の言っていた「ベツカイチョウ」とは、 北海道の「別海町」のことでした。 |
── | その‥‥北海道の別海町の牧場主から、 なぜだかわからないけど、 「明日から、うちにはたらきにこい」と。 |
TOBI | 寝入りばなのボンヤリした頭で 「どうしたものかなぁ」と思っていたら、 K氏にぼくのことを話した イシモトくんから、電話がきたんですよ。 「北海道の牧場で、 しばらく、はたらいてみない?」って。 |
── | 逆ですよね。順番が。完全に。 |
TOBI | イシモトくん的にも、すでに K氏からのオファーの電話が来ているとは 思っていなかったようで、 「ちょっと俺、 いいアイディア思いついちゃってない?」 みたいな雰囲気を醸し出しながら 「親戚が北海道で酪農やってるんだけど、 近所のKさんが 糖尿病の検査入院をするから、 その間、 乳しぼりの手伝いをしてくれる若者を 探してるらしいんだよね」と。 |
── | そういうことでしたか。 |
TOBI | で「キミ、牛乳好きだったじゃん?」と。 |
── | なるほど‥‥そこで「ただの牛乳好き」が 「酪農に興味アリ」にすり替わるのか! |
TOBI | ただ、急な話だとは思いながらも ぼくは、その時点でもう、 K氏の牧場へ行くことに決めていました。 |
── | え? |
TOBI | だって、北海道の牧場ですよ? どこまでも続く地平線、満天の星空、 澄んだ空気、 感動的なキタキツネとのエピソード、 丼からこぼれ落ちそうなイクラ、 しぼりたての、おいしい牛乳‥‥。 むちゃくちゃ楽しそうじゃないですか。 |
── | そりゃあ、そう聞けば、まあ。 |
TOBI | それまでの冴えない生活とくらべたら、 まるで夢のようにも思えました。 そして、気づけば 「自分以外に誰があの牧場へ行くんだ?」 「北海道を救うのは俺だ!」 くらいのテンションになっていたんです。 |
── | 乳しぼりで、北海道全体を助ける‥‥。 |
TOBI | もうスッカリ次の日の1時半の飛行機に 乗ることに決め、 お葬式専門の花屋さんも辞めました。 そしてその晩は、 いつもより早めに床についたのです。 |
── | ‥‥ええ。 |
TOBI | すると、真夜中、下のアゴが‥‥ 正確には下アゴに残っていた親知らずが、 猛烈に痛みだしたんです。 北海道での楽しい暮らしを想像しても、 鎮痛剤を余分に飲んでも、 痛みはごまかせず、むしろ増すばかり。 このままでは K氏の期待に応えられないと思いました。 |
── | 乳しぼりの期待に。 |
TOBI | そのまま痛みで一睡もできずに夜は明け、 池袋にあった 朝7時から診察している歯医者さんへと 駆け込みました。 |
── | スタート早すぎないですか、その歯医者。 |
TOBI | 診てくれた先生は 「では、まず今日のところは神経を抜いて、 1週間くらいようすを見て‥‥」 とか、やたら悠長なことを言っているので、 「いいえ、本日これから、 ぼくは北海道へ行かなければならない! なぜなら、そこに、 ぼくの助けを待っている人がいるから!」 と言って無理やり抜いてもらいました。 |
── | 親知らずを。 |
TOBI | 歯医者の次には、床屋へ散髪に行きました。 そのときのぼくは、なぜか、 未開の地に行くような気持ちになっていて。 「しばらくは髪も切れないだろうから ドライヤーや整髪料の必要ない ヘアースタイルにしなければならない」 と、「角刈り」をオーダーしたんです。 |
── | また、ずいぶん極端な髪型に‥‥。 |
TOBI | 朝7時から歯医者で親知らずを抜き、 顔面をしびれさせながら角刈りにして、 そのあと、 チケットショップで航空券を手に入れ、 いちど自宅に帰ってから スーパーで、歯ブラシや髭剃りなどの 生活雑貨を買い込み、 パッキングして冷蔵庫の中身を捨てて、 洗濯物をひとまとめにして‥‥。 |
── | その時点では、 北海道に何日くらい滞在するとかは? |
TOBI | わかっていませんでした。 が、糖尿病の検査入院ってことなので、 ま、長くても1週間くらいかな、と。 |
── | なるほど。 |
TOBI | 最後、ブレーカーを落として部屋を出、 電車とモノレールを乗り継ぎ、 羽田に着いたら「13時25分」でした。 |
── | 5分前じゃないですか。フライトの。 |
TOBI | そう、一睡もせず、朝から何も食べずに、 歯を抜き、角刈りにし、 身の回りを整理して荷造りをしていたら、 そんな時間になっていたんです。 |
── | それ‥‥間に合ったんですか? |
TOBI | カウンターのお姉さんに泣きつきました。 「お願いします! 北海道の別海町で ぼくの助けを待ってる人がいるんです! お願いします!」 と、たぶん必死の形相で。 実際、本当に泣いていたかもしれません。 |
── | 顔面を半分だけ腫らした角刈りの男が 必死の形相で、 ほとんど泣きながら訴えかけてくる恐怖。 |
TOBI | さぞかし、恐ろしかったことでしょう。 お姉さんはおびえながら、 震える指で ピポパと何かの電話番号をプッシュしました。 結果として、飛行機は、 ぼくを待ってくれることになったんです。 |
── | おお、すごい。すごかったのは「顔」か。 |
TOBI | すると、どこからか、 紺色のブレザーを着てインカムをつけた 屈強な男性職員が現れ、 「急いでください!」と、急かすんです。 |
── | そうでしょうね、それは。 |
TOBI | 「急いでください! 走ってください!」 そう言われても、 ぼくは一睡もしてない、何も食ってない、 歯は抜いたばかりで顔面はしびれてる。 |
── | そのうえ、角刈りで。 |
TOBI | 急き立てられて、あわれなロバのように 口をパクパクさせながら 走らされているのですが、 田舎へ行く飛行機なんで、 搭乗口が、ものすごく遠いんですよ。 ついに、何個目かの「動く歩道」の上で 足をもつれさせて転び、 そこから立ち上がる気力もなく、 しばらくの間、 うなだれながら流されていきました。 |
── | 回転寿司の店内を何周も回転し、 くたびれ、乾ききった寿司ネタのように。 |
TOBI | すると、紺ブレが何人も集まってきて 流されゆくぼくの横を、 まるで競歩のオリンピック代表のように 力強く前進しながら 「急いでください! 走ってください! 立ち上がってください!」と。 |
── | 怖い‥‥。 |
TOBI | 全身ボロ雑巾のようになりながら やっとの思いで搭乗口へとたどり着き、 紺ブレ全員に 「よいフライトを!」と言われた瞬間、 ハッチが閉じたんです。 |
── | そうして一路、根室中標津空港へ。 |
TOBI | そう‥‥それが、自分史上、 最も長い一日のはじまりとも知らずに。 |
<つづきます> |
2016-07-25-MON |