この展覧会のご紹介をする前に、
タイトルの「鳥肌」について
すこしお話させてください。
高校時代の吹奏楽部で
わたしが書いた抱負としての書き初めは
「鳥肌」の2文字でした。
自分が演奏しているとき、
演奏を聴いているときに大好きな瞬間が
「鳥肌が立つとき」
だったからです。
大人数で奏でる音楽がぴたっと合ったり、
音程がそろったり。
すばらしい曲そのものが存在することと、
良く演奏することの両方があってこそ、です。
それがやめられなくて、
大学ではオーケストラにのめり込みました。
その後、大学時代には
展覧会を好きになりました。
「なんで展覧会が好きなの?」
と訊かれたら、
きっと同じ答えをすると思います。
作家のつくった作品と、
それを展示する構成、ストーリーが、
ぴたっと組み合わさった展覧会では、
鳥肌が立つ。
ちょっと違和感のある言葉遣いですが、
「ぞくぞくする」「肌が粟立つ」
では表現できなくて、
「鳥肌が立つときが好き」と思っています。
これが、やめられない理由です。
アーティゾン美術館で観た
森村泰昌さんの展覧会が、
まさにそうでした。
この展覧会では、森村泰昌さんが、
アーティゾン美術館の所蔵品である
青木繁さんの作品《海の幸》を
とことん突き詰めて研究して、
つくった作品を展示しています。
この《海の幸》は約5年前まで、
福岡県久留米市の旧石橋美術館にありました。
私は福岡に住んでいたときに
美術館の主役でもあった《海の幸》を
5~6回は目にしていて、
好きな作品のひとつでした。
ですが、この展覧会で
森村さんの目を通して見たあとには、
まるでちがう作品に変わりました。
はじめには、お二人の肖像画が並びます。
森村さんが青木さんになり変わって。
この展覧会が、
時代を超えたセッションであることを
感じながら進みます。
次の部屋では、
青木繁さんの作品が展示され、
森村さんの文章が添えられています。
青木さんの作品群を、
森村さんはどう見ているのか。
気になったここは、
やはり最後までだいじなところでした。
そして、青木繁《海の幸》。
早くも主役の登場です。
《海の幸》を3Dで読み解くための
ジオラマがありました。
ここまでするのか、と驚きます。
作品からインスピレーションを受けた
あたらしい世界も生まれています。
森村ワールドはさらに爆発していきます。
M式《海の幸》をつくるにあたって、
練られた構想がみられます。
スケッチ、資料、映像など、
ものすごい痕跡です。
構想を先に見せられながら、
このあと何が出てくるんだろう、と、
おそるおそる、そしてワクワクしてきます。
作品のために作られた衣装。
やっぱり森村さんだから!
演じるのですね!!
そして入った、つぎの展示室に。
10の大作がぐるり。
森村さんが、
「《海の幸》になって」います。
この10連作は、
《海の幸》が描かれた明治時代から、
大正・昭和・平成の時代を象徴する場面が、
森村さん本人が実際に、
衣装を着てヘアメイクをして演じた85人(!)で
描かれていました。
そのすべての人は、
《海の幸》に登場する10人の生まれ変わり
という想定です。
そして、最後の部屋には、
本物の映画館の椅子が並んでいます。
きっと腰が痛くなるような
長めの映像なんだな、と思いました。
眠くならないかな、と心配になりました。
しかし、さっきの大作が
クライマックスだと思っていた私は
見事に裏切られます。
クライマックスは、この映像でした。
森村さんが青木さんに扮装して、
森村泰昌として、
青木繁に向かって語ります。
アオキになったモリムラが
亡きアオキに話しかけます。
「アオキさん、あんた、なかなかうまい絵を描きはる。
一瞬のことやったけど。
あとは、すんません‥‥
アカンかった、残念やけど。
きっちりしすぎはったんちゃうかな」
「アオキさんはなんで《海の幸》描きたかったんかな。
きっと、これや! て思わはったんやろなあ。
絵には理屈もなんもあらへん。
直感で描いたらええこっちゃ」
というように。
どうして森村さんがこんなにも、
ここまでして、青木繁さん自身や
《海の幸》という作品に気持ちを寄せるのか。
紐解かれていきます。
森村さん、お芝居上手だなぁ
どんどん引き込まれていくなぁ
でもこのお話どうやって終わるんだろう。
と思っていたら、
想像していたのと違う結論に。
そこに森村さんの
「心」がたっぷりとこもっていて、
この展覧会の最後の最後、
みごとに完結した内容に
鳥肌が立って泣きそうになりました。
いえ、涙は、滲みました。
この展覧会を作り上げた森村泰昌さんと、
アーティゾン美術館さんに拍手喝采です。
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌
M式『海の幸』 ―森村泰昌 ワタシガタリの神話」は、
2022年1月10日まで開催されます。