ほぼ日 |
スタッフのかたがた、役者さんが
全員でつくりあげた映画だったんですね。 |
石原 |
これが、独裁者みたいな
監督だったらこうはできない。
李監督は
もっともっと最善はないかと
一生懸命悩んでいるから、
みんなからもアイディアが出る。
映画って毎回アプローチが違うんです。
おもしろいんですよ。 |
ほぼ日 |
フラダンスもチームワークですものね。
そういうのが、映画を作るときにも、
同じようにあるんですね。 |
石原 |
そうですね。
かと言って、
仲良しこよしというわけじゃないんですよ。
やっぱり、ものすごく戦っていたんです。
みんな、いいものにしたいから
こうした方が良いのではないか
という気持ちがものすごくあって戦うんですよ。 |
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ほぼ日 |
フラガールのキャンペーンというのは、
どういうふうに組み立てていかれたんですか。 |
石原 |
『フラガール』は、ちょうど、
しずちゃんがTV、メディア的に
登り調子でしたから、
パブ(広報活動)に
いろいろと協力していただきました。
これはもう
プロデューサーの勘でしかないんですけれど、
しずちゃんは、女性に好かれる。
これは、とっても大事なことなんですよ。
おばさまにも嫌われないキャラって。
それでこの映画の好感度が
すごく上がったんですよね。
それから、まだ本を書いてるころに
宣伝部と一緒に、
フラダンスのイベントを視察して回りました。
遠くは、伊香保まで回って。
長い時間をかけて、
そういうイベントに参加して、
どこへいっても夏の間中、
『フラガール』というのが出るように考えました。 |
ほぼ日 |
フラのイベントに行くと、
『フラガール』ののぼりとテントがあって、
フラガールたちが踊ってましたものね。 |
石原 |
それがひとつありましたね。
必ず誰かが、
フラのイベントでキャンペーンをする。
テレビスポットを大量出向できない映画って、
長い間宣伝しないと
浸透しないんです。
口こみで広げるためにも
撮影時期からで言うと、
9ヶ月くらい宣伝をしていたんですよ。
映画によって違うと思いますが、
この映画はそうしたほうが
いいなと思ったんですね。 |
ほぼ日 |
フラのイベントに出ていた子たちが
やっぱり思いが強かったからなのか、
とてもパワーを感じました。 |
石原 |
キャンペーンが終るときに、
みんな、泣いていたんです。
「石原さん、まだ踊りたいのに、
もう踊る機会はないんですか」
と。
大阪と神戸の最後のキャンペーンに
しずちゃんと2人で行ったときもそうでした。
「なんか寂しいです。
もうキャンペーンないんですか」
って、彼女が泣きそうになって。
「しずちゃん、青春の1ページになった?」
って聞いたら、
「もう10ページも、100ページもです」
って言ってくれて。
‥‥10年に1本くらい、
こういう映画が、あるんですよね。 |
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(続きます!) |