藤原 |
アメリカのギャング映画だったかな、
デンゼル・ワシントンがアフリカ系のギャングで、
そのギャング仲間って結構下品なわけ。
そのギャング仲間が
冷えたコップをドカンと置いたところに
デンゼル・ワシントンが、
そっとコースターを下に敷く。 |
糸井 |
ああ、いいですね。 |
藤原 |
これでデンゼル・ワシントンが
どういう人物か、もうわかっちゃうわけね。
うまいんですよ。 |
糸井 |
「サタディ・ナイト・フィーバー」
っていう古い映画があって。
あそこで労働者階級の恋人と
ジョン・トラボルタが
ご飯を食べるシーンがあるんですよ。 |
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藤原 |
ああ、ありますあります。 |
糸井 |
それがすごくよくて。女の子の恋人は今、
ハイクラス志向になってるの。
つまり、この労働者階級の中に
私はちょっといたくないかな、っていうような。
いつものように会って、
トラボルタが口の中にこんなに頬張って、
こまわり君みたいにご飯食べてるの。
そうすると女の子の方は
「私、紅茶」って言うんですよね。
コーヒーに決まってたんですよ、2人とも。
なのに「コーヒー!」って言うと
「私は紅茶」って言うんですよ。
トラボルタは「どうしたの」って言う。
そこはね、もう若くて見たから
そういうことを表現してるんだなっていうのは、
今みたいには思えないんだけど、
すげえなあ、ここ、と思ったの。
娯楽映画なんだけどね。よかったなあ。 |
藤原 |
ね。 |
糸井 |
飯島さん、この『シネマ食堂』をつくるには
そうとうな数の映画を観たでしょう? |
AERA |
たぶん掲載レシピの3倍ぐらい観てますよね。 |
飯島 |
もう4倍、5倍、6倍!
さらっと観ようと思うんですけど、
「タンポポ」でチャーハンを作るシーンとか、
3回くらい巻き戻して見ちゃったりとか。
瀕死のお母さんに、あれ作れとかって言って。 |
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藤原 |
「母ちゃんの最後の飯だ」ってね。 |
糸井 |
映画の文法からいったら、
なんで入れたんだっていうようなところですよね。
あの映画全体がすごい乱暴してますよね。
それが、見事。 |
藤原 |
見事ですよ。
あれ、伊丹さんの中でも傑作だと思うんです。 |
糸井 |
あの思い切りはできないですよね。
映画のなかの料理を探すだけで
大変っていうことはわかるんだけど、
撮った側も“思い入れる”わけですよね。
きっとね。
あれじゃなくてこれにするっていう理由が、
何かあるわけで。 |
飯島 |
そうですね。 |
糸井 |
そこは撮った人に1個ずつ聞いてみたいですよね。
なんで? って。 |
藤原 |
飯島さんが仕事をしてきた監督さんの中で、
「これはこの料理なんだ」って
具体的なイメージでリクエストしてくる人って、
やっぱりいらっしゃいますか。 |
飯島 |
はい。決まってるところと
決まっていないところがあったりします。
「美味しそうな朝食」
「美味しそうなちらし寿司」
って書かれてたり。 |
糸井 |
食い物って、やっぱり直接、
音楽みたいに訴えかけるところがあるね。
日常の食べ物について、
やっぱり監督がしょっちゅう考えてないと
撮れないですね。 |
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藤原 |
撮れないでしょうね。
ディテールに感受性がないとだめでしょうね。 |
糸井 |
骨のある物の骨の取り方、出し方、
どこに置くかみたいなのだけで
全部性格違いますよね。
どこに置くの? その汚れは、みたいな。 |
飯島 |
ありますね。 |
糸井 |
台湾料理なんかで食卓の上をどんどん汚してくる。 |
藤原 |
うん、わかるわかる。 |
糸井 |
あれをやれるかやれないかだけで、
全部違いますもんね。 |
── |
きょうはたくさんお話しいただいて‥‥。 |
藤原 |
いや、ほんとうにありがとうございました。
きょうは、お茶漬けでした。
これがお茶漬けだったのかって、
ほんとうに驚きました。
映画を観てね、「これが映画なのか」って
びっくりする瞬間が人生に1桁ぐらいあるんですよ。
映画の観念が変わっちゃうようなね。
ぼくは、きょうはお茶漬けの観念が変わりました。
はっきり言って、
今日、私は永谷園から独立した(笑)。
お茶漬けのお茶って、貧乏な先祖のように
ずっと駆逐されてきたものが、
今ちゃんとね、王様の帰還という感じで。 |
糸井 |
完全に昔庶民が飲んでいたお茶って、
何煎も淹れてるじゃないですか。
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飯島 |
ああ、そうです。出がらしです。 |
糸井 |
だからお湯に色がついてたみたいなのを
お茶って言ってたから、
あの時代とはもう全然違うんじゃないかな。 |
飯島 |
違いますね。 |
藤原 |
きょうはありがとうございました。
記念すべき日になりました。 |
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(おしまい) |