面白くて笑ってばかりだったんですけど、
伊集院光さんと糸井重里の対談があったんです。
公開対談でね、そう、
「ほぼ日の學校」の!
テーマが一応「学校」なんですけど、
関係なさそうな話がどんどん出てくるんです。
円楽師匠の話や『粗忽長屋』の話になったり、
伊集院さんの奥さんと糸井の共通点が語られたり、
謎の旅の話をしたり、窓ガラスに鳥がぶつかったり、
だいぶ下品なたとえ話が登場したり。
‥‥でもふと気づくと、いつのまにかそれが
「学校」や「学び」の話にもなっていて。
ふたりが掛け合わさると、こんなふうに話が
広がっていくんだ!という驚きのある全15回。
ま、どうぞ、ごらんください。
- 伊集院
- 僕は昔から理屈で考えてきたほうだから、
なんだかずっと
「感覚的な人」に対する憧れと、
なにか軽蔑と、両方あると思うんです。
「俺みたいなちゃんとやってる人がいるから、
世の中回ってんだろ」
っていうのも半分あって。
- 糸井
- はい。
- 伊集院
- それでいまは結論的に、
「もう理屈をすっごい突き詰めていくと、
逆に間抜けな感じになっていくはずだから、
これを突き詰めよう」
ってことがいっこと。
- 糸井
- ええ(笑)。
- 伊集院
- あと、自分が年をとって、
ちょっといい感じに
ポンコツになってきたんですよ。
理屈で追いきれないことが出てくるんだけど、
そういうとき、昔感じていた
「自分が理屈からはずれちゃう恐怖」
みたいなものはちょっと減ってきてて。
そこを突っ込まれてるときは、
「あ、自分もなんか目指してた、
理屈じゃないところにも入ってきてるのかな?」
とかって。
‥‥これも理屈っぽいな(笑)。
わかんないんだけど。
- 糸井
- それは、そのあたりのところに、
ずーっといるんじゃないでしょうかね。
つまり、理屈で埋められない部分を
どんどんどんどん少なくしていきたい人たちも、
じつはその外側の、
広大な「無理屈の海」に浮かんでいるから。
- 伊集院
- ん? どういうことですか?
- 糸井
- 世界というのは、
もともと理屈のなにもないところで
構成されてるのに、
「全部理屈で説明できるはずだ」って人は、
どんどんその理屈の円を広げていくわけです。
だけど「縮まったなー」と思ったら、
もっと外側があるっていう。
- 伊集院
- ‥‥うわー、もう実際のところ、
僕が高校を辞めた理由、それなんだよな。
「勉強すればするほど
わからないものが多くなる」
っていう。
勉強するまでは外の海を見てないから、
「いつか100点に到達すると、全部のことがわかる」
と思ってたら、
「‥‥待てよ?」っていう。
日本史をずいぶん勉強したところで、
「世界史ぃ?」
って言われたときの、あの感じ。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- 全部理屈で割り切れるのを目指してたら、
「いや、そういうことではどうもないらしい」
っていう。
- 糸井
- それで辞めたんだ。
- 伊集院
- 辞めました。
ほんとにノイローゼみたいになりました。
「あれ、おかしい‥‥」って。
勉強はわりとずっとしてたのに、
どんどん点が下がっていくとき、
「ヤロウ、ゴールをすり替えてるな」と思った。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- だけどゴールなんかないんですよ。
- 糸井
- そうですよね。
そういうことをずっと考えていったら、
「(古今亭)志ん生がいいな」
みたいになるじゃないですか。
- 伊集院
- なります。
- 糸井
- 志ん生さんが、落語がちゃんと
できない高座を、
みんなが見て応援してきたっていう。
舌、もつれてますからね。
- 伊集院
- 高座で寝ちゃってんですから(笑)。
すごいんですよ。
だけどそれがまたいい感じで。
なんですかね、あの共同作業。
「志ん生は俺が理解する」
みたいな感じになっていく。
- 糸井
- 「それがいいんだ」の理由ってやっぱり、
僕が最近よくいろんな場面で言ってる
「歌だから」っていう。
つまり、外国語の歌って、何を言ってるかが
わからなくても感動するじゃないですか。
英語ができない人も、意味がわからないままに
みんな英語の歌を聴いていて。
たとえば昔から名曲と言われている
『ホテル・カリフォルニア』って、
暗い、とんでもない歌詞なんですよね。
- 伊集院
- あ、そうなんだ。
- 糸井
- だけどみんなそんなの関係なく、
いい歌だなぁって思ってますよね。
- 伊集院
- 素敵なホテルを思い浮かべてますよね。
- 糸井
- たとえばね。
- 伊集院
- なかにし礼さんが日本語訳した
「さぁどうぞいらっしゃい、ホテル・カリフォルニア」
ってサビを聞いて、
「急に場末感出たなぁ」と思ったけど。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- そもそも僕ら、もともとの
『ホテル・カリフォルニア』知らないんですよ。
カリフォルニアにすら行ってもないし。
- 糸井
- そんなのばっかりなわけですよ。
で、それでもなにか心が動いてるっていうのは、
「関係」と「歌」ですよね。
その「歌」がいいから、
志ん生さんはみんなを喜ばせてるんだと。
- 伊集院
- あぁー。
- 糸井
- 僕は1回、志ん生さんの、
もう何を言ってるかわからない高座を
聞いたことがあるんですよ。
お正月特番で、最後の
「なかでネズミがチュー」っていう
オチだけがわかったんですけど(笑)。
それ、息してるだけですよね。
- 伊集院
- ああ、その域行くんだよなぁー。
永六輔さんが、亡くなる手前で
もうそうとう滑舌悪くなっちゃってて、
永さんのラジオのはずなんだけど、
永さんがもう喋ってないんですよ。
アナウンサーの外山(惠理)さんが
ほとんどひとりでずっと喋ってるんです。
だけど、俺らのなかでは
「永さんが怒ってないから大丈夫なんだろう」
ってなんか安心感がすごくて。
「ことによると、永さんはもう
30年前に死んでても、
大丈夫なんじゃねえか」って。
これは永さん本人にも言ったんだけど。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- きっと永さん自身は滑舌悪いのを
すごく気にしてたけど、あんまり関係ない気がする。
- 糸井
- そうですね。
- 伊集院
- たぶん、滑舌悪かろうがなんだろうが、
永さんが許せないようなことが
世の中で起きてたら、ずーっと大きい声で
「フガフガフガッ!」て話すだろうし。
で、永さんがもう亡くなっちゃったから
番組終わっちゃったけど、それだって
「これもうずっとやってればいいのに」っていう。
「骨壺にひびが入らなければ大丈夫」
ってことで、いいんじゃないの? みたいな。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- そのあたりのことを理屈臭く言うと、
またうちの師匠の話ですけど、
「落語は長文解釈なんだから、最終的に
『なんとなく面白かった』でいいんだよ」
って言うんです。
たぶんその究極の長文解釈が、
志ん生師匠なんでしょうね。
- 糸井
- たとえばどこかの居酒屋のカウンターで
志ん生師匠と隣り合わせに座ったら、
酒頼んでる様子だけでも、オッケーですよね。
- 伊集院
- そう思います。
- 糸井
- それは赤ん坊のときに、
お母さんに抱かれてるだけで
機嫌よくしてるのと同じだと思う。
- 伊集院
- うわ、面白えな。
「志ん生がいるんだから、もう大丈夫。
今は平和だ」っていう。
- 糸井
- そう、気持ちいいんだと思うんですよね。
意味にとらわれる人は
「何を言ってるから感動したんだ」とか、
どんどん全部分析していくけど、
結局、事実が先にあるじゃないですか。
「お前が言ってるように感動しなかったぞ」
もあるし。
人と人の関係とか、感動みたいなものって、
事実婚みたいなところがあって。
- 伊集院
- 「好きなんだからしょうがない」だし、
「笑ったんだからしょうがない」で、
「だって寒いんだもん」だ。
そういうこと。
- 糸井
- そう、そこで「寒いんだもの」って、
理屈のかたちをとってるんですよね。
(つづきます)
2024-02-05-MON
(C) HOBONICHI