…ま、それも「学校」の話。伊集院光✕糸井重里 …ま、それも「学校」の話。伊集院光✕糸井重里
面白くて笑ってばかりだったんですけど、
伊集院光さんと糸井重里の対談があったんです。
公開対談でね、そう、「ほぼ日の學校」の!

テーマが一応「学校」なんですけど、
関係なさそうな話がどんどん出てくるんです。
円楽師匠の話や『粗忽長屋』の話になったり、
伊集院さんの奥さんと糸井の共通点が語られたり、
謎の旅の話をしたり、窓ガラスに鳥がぶつかったり、
だいぶ下品なたとえ話が登場したり。
‥‥でもふと気づくと、いつのまにかそれが
「学校」や「学び」の話にもなっていて。

ふたりが掛け合わさると、こんなふうに話が
広がっていくんだ!という驚きのある全15回。
ま、どうぞ、ごらんください。
7.『粗忽長屋』に『頭山』。
写真
伊集院
でも‥‥なんで自分は「もう自分が笑った」って
事実があっても、
理屈にしないと怖いんだろう?


たとえば
「自分が映画館帰りに泣いている」
という事実があっても、
僕なんかは、
「なぜ泣いたんだろう?」
「あ、なるほど、ここがこうなってて、
こうだから泣いたんだ」って作業を、
昔よりはずいぶん薄めてきたけど、
いまだやめられないし。


‥‥あの、
「好きな映画なんですか?」って言われるときの
恐怖ってあるじゃないですか。
糸井
イヤですよねぇ。
会場
(笑)
伊集院
「なんかこいつテストしてるな」
「何できますか? 伊集院さん」
みたいな(笑)。


ああいうのと一緒で、
「だって泣いたから」だと納得してもらえないし、
自分も納得できなかったり。
糸井
それは逃げ方があって、さっきの
「顔に描いたうずまき」みたいなものを、
勝手に作っちゃうんですよ。


1回そこでべつの話ができれば、
「壁のあいだをパテで埋める」みたいなことで、
壁そのものじゃないけど、埋められれば防げるから。


なんかもう、穴が空いてたら
ミカンで埋めてもよくて。
伊集院
それでいいんですよね。
糸井
うん、そこで話ができれば。
写真
伊集院
うちのカミさんの言う、
映画がどれだけ面白かったかの表現って
「だってね、ポップコーンがね、
2口しか食べてなかったんだよ!」
っていう。
会場
(笑)
伊集院
「あ、それはそうとう面白いね」
っていう。


「もうアクションの連続でさ、
ポップコーンが全然減らないの!」
なんつって、聴いてるこっちには、
誰が出てるかもわかんないんだけど、
「ああ、なんかそれは僕も行くよ」
ってなるんですよ。
糸井
そこ、大きいですよ。
伊集院
大っきいんですよ。
会場
(笑)
伊集院
一方で、
「自分はなんかちゃんと理屈化できるから、
多少ニーズもあるのかな」
って部分があって、これは誇りでもあるんだけど。
糸井
「仕事」ってことで言えば。
伊集院
そうですそうです。


でも「生きる」ってことで言えば、
なにか損をしてたりとか、
窮屈なことをしてるなってのはありますね。
写真
糸井
前に、山本益弘さんっていう
料理評論家で落語評論家の人が、
「中華料理だけは書かない」
って言ってたんですよ。
伊集院
ほぉ。
糸井
つまり、ひとつぐらい書かないジャンルがないと
個人的に楽しめなくなるからと。
これはね、名作だと思いました。
伊集院
はぁー。いいですね、それ。
何も考えたくない日は中華料理を食べるという。


たしかに自分の趣味をどんどん仕事にしていくと、
ちょっと行き詰まるときありますからね。
糸井
それと、
「人に言いやすい見方」をするようになると、
感じる前に見方が考えられちゃうから、
つまんなくなる。


だから「なにかに詳しくなればなるほど、
羨ましくなくなる」っていうのが、
僕の人生後半戦の勉強の姿なんですよ。
伊集院
なるほど。
糸井
だから、僕は自分について、
ものすごい野球ファンだと思うんですよ。
でも‥‥なんにも覚えてないんです。
伊集院
ハハハハハ。
糸井
どのくらいファンかを争ってる人同士が、
「何年のあの試合でさ、あのとき
なんでアウトコース低めにキャッチャーが‥‥」
とか言うと、ものすごく覚えてるから
カッコいいんですけど、
自分はどうでもいいんですよ(笑)。
伊集院
なんですかね。
気の毒な感じすらする‥‥。自分もそっち側なのに‥‥。
糸井
「感動したときの喜びを、いつでも誰かに
表現してなければいけない」って、
自分がいなくなってるじゃないですか。
伊集院
写真撮るのもそうで。


僕、ひとり旅ばっかりだから
「どこどこ行ってきたんですよ」って言うと、
必ずテレビで
「そのときの写真ありますか?」って
聞かれるんですけど、
「おいおい、あるわけねえじゃん。
ひとりで行ってんだから」
って思うのと一緒で。
会場
(笑)
伊集院
ほんとに一度衝撃だったのは、
友だちが
「どこどこ行って、滝がすごいきれいでさ、
そのときの写真があるんだよ」
って言うわけです。


で、写真を出してきたんだけど
「‥‥あれ? あれあれ?
あんまりきれいに写ってねえな。
あんまりきれいじゃなかったのかな!」
って言ったの。
いやいやいや、そこ違うよねっていう。
会場
(笑)
写真
伊集院
何なのそれ、って思うんですけど。
糸井
落語にしたいですね。
伊集院
ありそうだな、ちょっと探してみようかな。
糸井
「ここで死んでるのは、じゃ誰だ?」
というのがありますね。
伊集院
ああ、ええっとー、
『粗忽長屋』。
糸井
『粗忽長屋』。
伊集院
(会場に向けて)『粗忽長屋』って、
「土左衛門(どざえもん)が揚がりました」つって
野次馬に行ったら、
「おおっ、ともだち死んでるじゃん!
仲良しのやつ死んでるじゃん!」って。


で、やっと身元が判明したと思ったら、
「ちょっとあいつに注意してくる!」
って、帰っちゃう。


そして帰ると、ここからダイナミックで。
‥‥いるんですよ、そいつが。
いたから勘違いじゃないですか、
「お前死んでるぞ」って話になってくる。
会場
(笑)
糸井
大好きです。
伊集院
で、そいつも他者の説得で
「そうかぁ‥‥可哀想だな」って思い出して、
「俺が死んでるんだったら、
引き取ってやらなきゃダメだ!」つって
引き取りに行くっていう、謎の噺。
糸井
「ちゃんと本人、俺が見つけてきたから」
っていうね。
伊集院
「あの、ちょっと遠い親戚だって
親身になって考えてくれるのに、
俺が、俺の死体を運ばないでどうする」
ってなっちゃうの。
糸井
いい話ですよね。
写真
伊集院
あいつ、他者にやられちゃうんですよね。きっと。
糸井
だからあのへんの落語を作った人たちが
考えてるようなことって、
いま僕らが喋ってることを、その時代に
喋ってたんじゃないかと思うんですよね。
伊集院
だし、あと理屈として
「笑いとしてはこうあるべき」
みたいなことじゃなくて、
「こういうやつ、よくいるじゃん。
ああいうやつが度が過ぎたら
こうなっちゃうじゃん」っていう。
糸井
「バカだよね」って。
伊集院
で、しかも、あんまり面白くない話は
淘汰されちゃうから。
残ってるやつがすげぇのは、
ま、そういうことなんでしょうね。
糸井
だからあの、いまだとシュールと言われる
『頭山』とか。
伊集院
『頭山』もすごいですよね。
意味わかんない。
糸井
「自分の頭の上で花見をする」っていう。
伊集院
(会場に向けて)『頭山』は、ケチなやつがいて、
何やるのでも「もったいないから」つって、
「さくらんぼの種を出すのがもったいない」
って食べてたら、
つむじから桜の木が生えてくるの。


で、そのつむじの桜の木に対して、
いっぱい花見客が来て、
うるせえから、抜いちゃうの。


抜いたら穴ぼこがあいちゃって、
そこに水が溜まって、池ができる。


したら、今度は釣り客が
すごいいっぱい来るようになって、
うるさくてノイローゼになっちゃって、
「この池に飛び込んで、死んでしまいましたとさ」
で終わるの。


最後は「おあとがよろしいようで」って。
全然よろしくありませんけど、っていう。
会場
(笑)
伊集院
あれもすごい世界なんですよね。
わけがわからない。
糸井
最高ですよね。


しかも僕はいま、
『頭山』って言葉しか言ってないんですよ。
中身ほとんど覚えてないから。
伊集院
「あれはすごかったな」っていう。
糸井
「構図はそんなもんだったな」くらいしか
覚えてなくて。


でも伊集院さんは、全部その面白いところを
再現できるわけです。
伊集院
あ、落語ちょっとたしなみまして。
写真
会場
(笑)
糸井
もちろんそうなんですけど。
伊集院
いや、でもそうですね。


自分はそこで
「あ、わからない人にちゃんと話さなきゃ」みたいな
理屈のほうがちょっと立って。
たからこれもまあ、仕事では役に立つ。
糸井
そういう人がいないと
建築ひとつできないですから。
「なんかいいのを作ろうよ」と言って、
そのままになっちゃうから。
(つづきます)
2024-02-06-TUE