面白くて笑ってばかりだったんですけど、
伊集院光さんと糸井重里の対談があったんです。
公開対談でね、そう、
「ほぼ日の學校」の!
テーマが一応「学校」なんですけど、
関係なさそうな話がどんどん出てくるんです。
円楽師匠の話や『粗忽長屋』の話になったり、
伊集院さんの奥さんと糸井の共通点が語られたり、
謎の旅の話をしたり、窓ガラスに鳥がぶつかったり、
だいぶ下品なたとえ話が登場したり。
‥‥でもふと気づくと、いつのまにかそれが
「学校」や「学び」の話にもなっていて。
ふたりが掛け合わさると、こんなふうに話が
広がっていくんだ!という驚きのある全15回。
ま、どうぞ、ごらんください。
- 糸井
- このごろ「寛容」って言葉が
だいぶ使われるようになってきてて、
僕は嬉しいんですけど。
多田富雄さんというアレルギーや免疫の
研究者の先生がいらっしゃって。
僕は自分が喘息だったときに、その先生の
『免疫の意味論』という本を読んだんです。
そこに書かれていたことを
単純に言うと、外部から敵が来たときに
やっつけるのが「免疫」で。
それでその「免疫」が、
外から入ってきたやつに対して、
そのままスルーさせてやればいいのに攻撃して、
攻撃しすぎたところが
荒れ地になってしまうのが「アレルギー」ですと。
- 伊集院
- はい。
- 糸井
- その先生が晩年、体が病気で
すっかりダメになってしまって、
最後は瞼の開け閉めで言葉を発してたんですけど、
亡くなるときに
「『寛容』というのがすごく大事なんだ」
というメッセージを表しているんですよね。
いまの時代ってみんな「アレルギー」で、
「あれは違うよ」っていうのが来たら
もうボコボコにやるみたいな時代で。
「どうして? そのへんちょっと、
見なければいいんじゃないの」
みたいなのが「寛容」ですよね。
- 伊集院
- きっと、何度もイヤな思いをしたんだと思うんです。
些細なことで攻撃されて、
立ち上がれなくなったような経験がある人は、
些細なことでも「攻撃されたらどうしよう」って、
まさにアレルギー的な過剰防衛をしちゃうし。
また、その過剰防衛で傷ついた人が、
次を過剰防衛していくっていう
ことでもあるんでしょうねぇ‥‥。
でも、本当ですよね。
「寛容とはなにか」みたいな。
- 糸井
- そこはすごく大事なんだと思うんです。
- 伊集院
- 僕、バリバリ江戸っ子で落語までやったから、
東京弁や関東弁や江戸弁とはべつのものとして、
「標準語」を捉えてるんですけど。
標準語にはない、
僕が関西弁でいちばん好きな言葉が、
うちのカミさんやみうらじゅんさんが言う、
「しゃあないやん」って言葉なんです。
- 糸井
- ああ、なるほど。
- 伊集院
- 江戸弁だと「仕方あんめえよ」って
あるんですけど、それはもう使わないから。
標準語の「仕方がないですね」と
「しゃあないやん」はまったく違うでしょう。
- 糸井
- 違いますね。
- 伊集院
- 「しゃあないやん」って「寛容」ですよね。
負けてるわけでもなく、
人に対して何か威嚇してるわけでも、
諦めてるわけでもない。
標準語で「しゃあないやん」に
近い言葉ないなぁって思うんです。
- 糸井
- そうですね、東側では何なんでしょうかね。
「ま、いっか」っていうの、
僕はけっこう好きですけど。
- 伊集院
- ああ、「ま、いっか」。
そうですね。
「ま、」が入ってる分だけいいですね。
- 糸井
- 「ま、」とか使うのはだいたいいいですよね。
- 会場
- (笑)
- 糸井
- 僕は自分が文章を書くときでも
「ま、」はものすごい使います。
- 伊集院
- 「ま、そういうことで」みたいなね。
そういう終わり方をしとくと、
「まだ全部じゃなくて
いっぱい面白いことあるんだけど」
の感じが出たりとか。
- 糸井
- 「ちょっと乱暴なまとめ方になるけれども」
みたいなときに
「ま、とも言えますし」と言ったり。
その「ま、」はね、じつは僕ね、
感覚で文体を覚えたんじゃなくて、パクリなんです。
コピーライターの元祖みたいな
土屋耕一さんという方がいらっしゃって、
僕はひとりで師匠だと思ってるんですけど。
彼がボディコピーの文体のなかに
「ま、」を入れてるんですよ。
- 伊集院
- へぇー。
- 糸井
- もうちょっと言うと、短い言葉をぽんと置くときに、
丸(句点)を打つのも土屋さんがやったんですよ。
「渇きに。」っていうのがあって。
「丸打つかぁ!」って若いときに思って、
自然に僕は真似をするようになったんです。
- 伊集院
- いろんな文章に「ま、」入れてみたいですね。
硬い文章に「ま、」って。
薬の効能書きとかも最後
「ま、1日3回」って書いてあると。
- 会場
- (笑)
- 糸井
- それこそ、その文章に
「ま、お元気で」って。
- 伊集院
- そういうことですよね。
入れてみたらちょっとやわらかくなったり、
間を持たせられたり。
だから今日、全体に流れてるテーマでも
ありますけど、
その「寛容」みたいなことが
「標準語にするときになくなった」って、
ちょっと奇異な気がしません?
要するに、
「情報伝達を正確にしよう」と思ったときに、
曖昧な感情表現みたいものって
ちょっと邪魔なんですよね。
- 糸井
- 標準語って「作った言葉」で、
いわゆる「人造言語」だから、
全部の意味を、ロジックで対応表みたいに
できちゃうんじゃないですか?
- 伊集院
- でたぶん、いろんなところから
いろんな価値観の人が上京してきたりとか、
いろんなことを伝達したりしてくるときに、
情報として
「なるべく正確に伝わったほうがいいだろう」
ってやるから。
- 糸井
- 間違いないように、って。
- 伊集院
- それで「しゃあないやん」がなくなって、
「仕方がないことですね」にしちゃうんでしょうね。
- 糸井
- ‥‥あの、こういう場所で喋るのも
なんですけど、
地元の言葉で猥談をすると、
ほんとにいやらしいんですよね。
地元に帰ったとき、ラーメン屋で
同級生がバイトをしてて、
先輩とそういう話をしてるのを聞いてて、
「きついなぁ‥‥」と(笑)。
- 伊集院
- あの、俺、中学校ぐらいのときに
エッチな本にあったセリフで、
「キスしてほしい」って言葉を
「キスばしちゃってんや!」
って書いてあったの。福岡弁なのかな?
もう友達の間で大流行しました(笑)。
泥臭い、「チューしてよ」より、
生々しい泥臭切実さがあって(笑)。
でも、おそらくあれは「感情」なんでしょう。
- 糸井
- そうですね。
- 伊集院
- その「感情」をダイレクトに伝えてるから、
それが過剰なときには
「わわわっ、来た!」
って感じになるんでしょうね。
- 糸井
- 心が言葉になってるんだと思うんですよ。
まあその、いつのまにか
「エッチ」って言葉が流行っちゃって、
あれに全部関連化させちゃったんで、
気軽に「エッチ」できるようになりましたよね。
- 伊集院
- そういうことか。
あ、ややこしいものを
ちょっとデオドラントしてる。
- 糸井
- そうですね。
パッケージに入れて、デオドラントでっていう。
- 伊集院
- デオドラントもどうにかしてほしいんだよな。
お高いジンギスカン食べて、
「わぁ、まったく癖がない!」って
言うときあるじゃないですか。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- それ、食べなければいいじゃんと思うんです。
じゃあ牛肉とかを食べればいいじゃん、って。
あとなんですか、
魚食って「お肉みたーい」って。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- お肉を食べればいいだろうそれは、
と思うんですけど。
でもやっぱり「癖がない」は
褒め言葉として使われてますけど。
鮮度の落ちた匂いとかとは違う、
癖はあっていいと思う。
- 糸井
- 価値の体系があるなかにそれを入れなければ、
意味づけができないからだと思うんで。
たとえば僕なんかでも、
「簡単に使わないほうがいいだろうな」
と思う言葉はたくさんあって。
たとえば「愛」って言葉があるおかげで、
いま、愛に似たもの全体を
「『愛』って言ってればいい」に
なっちゃったじゃないですか。
「愛がないからね‥‥」って
コマーシャルもありますけど。
「愛」っていう手前のところのいろんなものを、
なんとか言わないで済ませたり。
- 伊集院
- 便利じゃないですか。
「愛がある・ない」は便利だから、
漠然としたものを全部持ってっちゃうのは、
すーごいわかります。
- 糸井
- それはやっぱり、頬っぺたの渦巻きと
同じようなものなんで。
だから「1回それ使わないでいこうよ」って。
いろんな諍(いさか)いの物事のなかで
「平和が大事だ」とかも言うけど、
「平和」というのも、もう絶対価値だから、
「あえてその表現を1回使わないようにして
考えてみたらどうなるだろう」っていう。
- 伊集院
- 「ちょっと警戒したほうがいい言葉集」
「思考停止するのに便利な言葉集」って
ありますよね。
(つづきます)
2024-02-10-SAT
(C) HOBONICHI