池谷 | 糸井さんのおっしゃる、 40歳、50歳、60歳のそれぞれの話が、 いま、わかればいいんでしょうけどね。 |
糸井 | それはね、絶対わかんない(笑)。 頭ではわかっても、 ほんとには、きっとわかんない。 で、自分がそうなったときに、 「あれ?」って思いながらわかる。 |
池谷 | ああー、やっぱりそうですよね。 |
糸井 | オレもいちいち先輩に訊いてたんですよ。 10歳くらい上の人がいつも言うことを、 へぇー、ほんとかなーって聞きながら、 ちょっとおもしろがってたんですよ。 で、自分がそうなってみて、 「ああ、ほんとだ」って(笑)。 |
池谷 | ははは。 だから「後づけ(あとづけ)」で わかっていくしかないんですね。 |
糸井 | そう、後づけ、後づけ。 |
池谷 | あの、少し話題が変わりますけど、 自由意志すらも、後づけじゃないですか。 私たちの「自由」って、よく考えると、 つねに「後づけ」なんですよ。 ふつう、みんな自由っていうイメージを 未来に対して抱くと思うんですけど、 ほんとは違うんですよ。 行動してみて、思い通りであったら、 後からそこに自由を、 はじめて感じるんであって、 けっきょく、後づけなんですよね。 |
糸井 | ああ、たしかにそうですね。 自由は後づけなんだ。 |
池谷 | 自由は過去にしかないんです。 |
糸井 | ‥‥いや、まったく。まったくそうだ。 だから、自分というのは、やっぱり、どっかで、 自分が肯定してあげたい存在なんでしょうね。 自分が肯定してあげたい典型的な人が、自分。 |
池谷 | ああー、なるほど。 |
糸井 | 自分にとって、 もっともティピカルな人間なんでしょうね。 自分って。 |
池谷 | もっとも参照しやすいのが自分ですものね。 つまり、俗な言い方ですけど、自己愛。 |
糸井 | そうですね、そうですね。 支えてますよ、やっぱり。 というか、それがないときついですよねぇ。 |
池谷 | 根源的なものでしょうか。 |
糸井 | どうもそのあたりのことは、 人間がもともと持ってる欲望とか 生き物としての本能に近い気がして。 それと、近代社会が要請する、 最近加わったようなロジックがぶつかって、 そこの交差点でいろんな悩みが 生まれているような気がするなぁ。 |
池谷 | なるほど。 |
糸井 | だから、その悩みを冷静に分析して、 ロジックでとらえて対処しようとすると、 ますますぎくしゃくしていくというか、 へたをすると逆に泥沼化して、 取りかえしのつかないところまで行くというか。 じゃあ見過ごすのか、ごまかすのか、 って言われると困るんだけど、 なんていうんだろう、 近代のロジックで覆える範囲って、 じつはとっても少ないんだと思うなぁ。 |
池谷 | それはよく私も思うことです。 研究を続けていると、 しばしばそこに行き着いちゃうんですよね。 なんか意識の表層にのぼってることで、 整理できてることって、非常に少ない。 じつは意識って、ぜんぜん整理できてない。 私はよく「暗黙知」ということばを使うんですが。 |
糸井 | はい。 |
池谷 | つまり、 無意識のうちに知っていることや、 無意識のうちに整理されていること、 人間の行動においては それらがものすごく強烈に作用していて、 だから矛盾も多いし、けっきょく、 ロジックで説明しなくてもいい。 いや、してはいけないんだと。 |
糸井 | うん。 |
池谷 | ただ、いまの社会って、 理路整然とした説明を求められるんですね。 たとえば企画会議なんかで 「なぜ、あなたの提案がいいのですか?」と訊かれて 「ただなんとなく」では済まされない。 |
糸井 | そうですね。 |
池谷 | だから、いまの世の中において、 「上手に説明できる人」≒「頭がいい人」 っていうことになってる。 だから、ロジックというのは 重要とされているんだけど、 でも、ほんとは、ロジックは表層的で 後づけ的な説明だと思っています。 |
糸井 | うん。それについてはぼくもずっと考えてる。 けっきょく、説明できる人のことを 頭がいい人っていう時代って、 不幸だと思うんですよ。 |
池谷 | はい。 |
糸井 | つまり、説明できるってことは、 説明されるべき現象なり、 事実なりがあるっていうのが前提で、 ほんとうに大事なのはそれ自体のはずなのに、 それを説明できる人が拍手されるっていうのは、 それはなんか、順番が違うだろう。 |
池谷 | そう思います。 サイエンスでも同じなんです。 自然現象を記述することならできますが、 その現象の意味を問うことはできないんです。 だから、後者の路線を推し進めれば 屁理屈が得意な人が増えていくだけなんです。 |
糸井 | そうですよね(笑)。 |
(つづきます) |
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2010-09-28-TUE |