「やりはじめないと、やる気は出ません」という、 脳科学者、池谷裕二さんの名言は、 いまだに多くの方の心に響き続けています。 気づけば、『海馬』から10年。 久々に、糸井重里と池谷裕二さんが向かい合い、 「脳」や「やる気」や「年齢」などの話をしました。 随所に「うわ!」という発見のある対談です。 1回1回を、どうぞおたのしみに。
池谷裕二さんのプロフィール
最終回 
それが「しあわせ」なのかもしれません。<
糸井 最後に、もう一度テーマに帰りますが、
「やりはじめないとやる気は出ない」というのも、
思えば、今日、くり返し出てきている
「まず事実が先にある」という話ですよね。
池谷 そうですね。身体事実がまずある。
そこにあとから脳が
そこへ適応していくというか、
事実への解釈が「後づけ」で起こる。
糸井 それを知ってるだけで
ずいぶんいろんなことがやりやすくなりますよね。
池谷 たとえば、朝、
眠いのに起きなきゃいけないとかね、
そういう葛藤もなくなるんです。
横になってたらいつまで経っても眠いんです。
体のスイッチが入ったら、脳は追随する。
つまり起きる。
そうすると目が覚めるじゃないですか。
そういうことで、面倒なことが
だいぶ楽になるんですよね。
やる気にならなくても、
やりはじめればそのうち気分乗ってやるでしょ、
みたいな感じを持ってると、
たぶんすごく楽になるんです。
糸井 うん。それは、勇気づけられる。
池谷 けっきょく、身体しか
スイッチないよなぁっていう。
糸井 「脳の気持ちになって考えれば」。
池谷 「脳の気持ちになって考えれば」(笑)。
ぼくらは脳に手を突っ込んで、
ぐるぐる探りまわして
やる気のボタンを押すわけにいかないんです。
脳も外が見えないかもしれないけど、
我々も脳にアクセスできないんですよ。
身体を動かさないかぎり。
糸井 そのとおりですね。
池谷 だって、私自身、
自分の生活態度が変わりましたもの、やっぱり。
糸井 ぼくも、笑顔や明るさの話は
自分で実感できてるしね。
人が先に笑顔になってくれると
相手がうれしいから、笑顔が返しやすくなる。
もう、当たり前のことですよね。
あのね、ちょっと前に、フィギュアスケートの
ジョニー・ウィアーがここに来たんですよ。

ジョニー・ウィアーってご存じですか。
バンクーバー五輪のときに、
男子のフィギュアスケートの選手で、
6位になった人なんですけど、
スケーティングも、美意識も、独特で、
覚えてないかな、バンクーバー五輪で、
メダルをとれなかったんだけど、
真っ赤なバラの冠をファンからもらって
ニコニコしながら手を振ってた人。
その人のスケートがぼくは大好きで。

ジョニー・ウィアー選手
池谷 ああ、いまわかりました。あの方ですね。
決勝の放送を観てましたよ。
糸井 そう、そのジョニーが、縁がつながって、
ここに来てくれることになったんです。
もちろん、ぼくらはウェルカムなんですけど、
そのときやって来た彼が、なんていうか、
ぼくらのウェルカムを上回るような、
すごくいい笑顔をしてたんですよ。
池谷 ああー。
糸井 ぼくらはぼくらなりに、
大事な人が来てくれるっていうときの
緊張感がありますから、
彼がそれをぜんぶ超えちゃうような
笑顔を見せてくれたときに、
その緊張感がいい方向に弾けて、
ほんとにいい場所ができたんですよね。
池谷 つまり、笑顔という事実ひとつだけで、
あっという間にファンになることができる。
糸井 そう、素敵でしたねぇ、あれは。
ほんと、みんな、ファンになっちゃった。
わざとらしくなくて、ほんとうに
気持ちのいい笑顔だったんですよ。
「泣いてるときも、笑顔で」って
ジョニーは言うんです。
で、実際、「あなたもそうでしょ?」って言って
その場でニコッと微笑むんですよ。
するとね、ロジックなんかなくても、
みんなに笑顔がうつっちゃうんです。
池谷 それはすごい。
糸井 素敵ですよねぇ。
その、精神論ではなく、
事実としての「笑顔の力」というか。
皮肉といえば皮肉なことですけど、
たぶん、その事実としての「笑顔の力」を、
不幸な人ほど信じられなくなるんですよね。
そんなことをしてなんになるんだ、って。
池谷 どっちが先か、わからないですけどね。
不幸だから信じられないのか、
信じられないから不幸に感じるのか。
糸井 そうですねぇ。
思えば、「しあわせ」っていうのも、
「後づけ」の概念ですよね。
池谷 まったくそうですね。
過ごしてきた過去に向かって名前をつけてる。
糸井 あのね、ぼくが、たまに、
身内の結婚式のスピーチを頼まれたとき
結婚する男女に贈ることばがあってね。
それは「しあわせになる義務はない」っていうの。
池谷 なんだかおもしろいですね(笑)。
糸井 こうやって、
親戚や友だちが大勢集まったりすると、
お二人は、しあわせでならねばならぬ、という
義務を背負ったつもりになってるでしょう。
でも、それは義務じゃないですよ。
しあわせになんかなんなくったって、
いいんですよ、っていうのが、
ぼくのお祝いのことばになってます、最近。
だって、そんなことに追われちゃダメだよ。
しあわせになんなきゃと思ってたら、
人に見せるしあわせになっちゃうからね。
池谷 ああー。
糸井 見えやすいしあわせなんか追っかけたって、
ありっこないんだから。
あとで振り返って、ああ仲よくできたね
っていうくらいで十分だから。
まぁ、そんなようなことをしゃべってるとね、
一同、狐につままれたような表情になって、
うやむやのままスピーチが終わるんですけど。
池谷 ははははは。
糸井 しあわせになろうと思ってた人が、
どう不幸になったかって歴史は
結婚にかぎらず、いっぱい見てますからね。
自分でも、小さくたくさんやってますよ。
これがしあわせなんだっていう枠に、
自分たちを当てはめたくなっちゃうんだよね。
池谷 だから、ある意味では、
「夢に向かって突き進む」っていうのが
ひとつのダメなパターンですよね。
糸井 そうですね(笑)。
池谷 ふつう、夢を持つことは美徳とされますけど、
ほんとはダメだと思うんですよ。
ノーベル賞をとりたいからやるとかね、
文化勲章がほしいからやるとかね。
こういう発見がしたいとか、
最初に決まってるのは変だと思うんです。
糸井 つまり、動機は、「愉快だから」とかね。
池谷 そうそうそう(笑)。
もう好きでやってるという事実しかない。
糸井 それを積み重ねていって、
あとから名前がつけばいいんだよね。
「ノーベル賞」とか「しあわせ」とか。
池谷 そう、「後づけ」で。
糸井 そういえば、
「やりはじめないとやる気は出ない」
っていうことばを掲載させてもらってる
「ほぼ日手帳」っていうのは、
完全に「後づけ」の手帳なんですよ。
あの、世間一般によくある、
「成功するための手帳」っていうのは、
だいたい「まず目標を書き込みましょう」
っていうところからはじまるんですね。
で、それに向かって逆算で努力しましょうって。
一方、「ほぼ日手帳」っていうのは
それとは、まったく真逆にある手帳で、
なんでもいいからどんどん書いて、
書かれた日常をあとから見て、
なんだかわからないけど
「よかったな」って思えるような、
そういう「後づけ」の手帳なんです。
池谷 ああ、なるほど。
糸井 つまんないことでも、日々、書いてると、
あとから読み返したときに、
「それなりにがんばったじゃないか」とか、
思えるじゃないですか。
池谷 うん。それが、いわゆる、
「しあわせ」なのかもしれません。
だって、「しあわせ」って、
未来に対して感じるものじゃないですから。
糸井 ほんとにそうなんだよな。
だから、「しあわせ」への道として
すごく簡単で具体的なアドバイスをすると、
もう、食ったものを手帳に書いておくだけで、
「しあわせ」になりますよ。
池谷 (笑)
糸井 ‥‥というわけで、池谷さん、
いつの間にかこんな時間ですし、
うどんでも食いに行きませんか?
池谷 ごいっしょします(笑)。
 
(池谷裕二さんと糸井の対談はこれで終わりです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました)
2010-10-12-TUE
もくじ
2010-09-27-MON
2010-09-28-TUE
2010-09-29-WED
2010-09-30-THU
2010-10-01-FRI
2010-10-04-MON
2010-10-05-TUE
2010-10-06-WED
2010-10-07-THU
2010-10-08-FRI
2010-10-11-MON