第7回 体は事実を知っている。
糸井 今日は、いつでも事実が先にあって、
意識はそれをあとから追いかけてるだけなんだ
っていうことをずっと話してますね。
池谷 そうですね。
意識は、脳や体が感じ取った事実を
解釈してるんだと思うんですよ。
糸井 でも、それがひとり歩きしちゃうと、
意識でぜんぶをわかってるつもりになっちゃう。
池谷 そうなんです。
こういう、目の錯覚を利用した線がありますよね。
糸井 ああ、はい。
直線の長さは同じなんだけど、
両端が外に開いた線のほうが長く見えるという。
池谷 でも、この直線を指でつまもうとするとね、
私たちの指はきちんと同じ長さの分だけ
指を広げるっていうデータがあるんですよ。
糸井 (自分で試しながら)
あーーー、ほんとだ。
池谷 しかもですね、
線の近くまで指を近づけてから
きちんとした長さで指を開くんじゃなくて、
ずいぶん早い段階から、
きちんした長さで指を広げてるんです。
糸井 はーー。
池谷 ってことは、やっぱり、
私たちの身体は事実を知ってるし、
無意識も正しい長さを知ってる。
事実を知らないのは、
やっぱり「意識だけ」なんですよね。
糸井 で、そんな、あやふやな「意識」に、
体という組織のトップを任せてるんですね。
おかしな話だなぁ。
池谷 そうなんです(笑)。
糸井 きっと、「体」という「意識」の部下は、
ほんとはもっと利口なんだけど、
説明みたいなものが苦手なんでしょうね。
池谷 そういう言い方もできますね。
と同時に、ことばで説明なんてしなくても、
なぜか正解に行き着いてしまうっていうところが、
私たちのすごいところで。
糸井 あの、赤ん坊って、
目つぶって、おっぱい吸うじゃないですか。
池谷 はい。
糸井 犬でも、猫でも、人間でも。
あんな行動を見たらやっぱり
「知って」るんだなって、感じますよね。
池谷 暗黙知、いや、身体知っていうのかな。
すごいですよね。
糸井 頭でっかちになっちゃうのはよくないって
いつもぼくは言ってるけど、
それは精神論じゃなくて、
ほんとのことなんだね。
事実と、事実を感じ取る体が、先にある。
池谷 そうですね。
それで、ふと思い出したんですが、
昨年出た論文にこういうものがあったんです。
なにか物事を決断するときに、
同じ決断でも、腰骨を正して、
背筋をピンとして決断したもののほうが、
猫背になって決断したものよりも、
やっぱり自信が持てるとかね。
糸井 はははは。
それは、論文になっているということは
きちんとした実験の結果として。
池谷 体の示した事実を意識が解釈するわけです。
皮膚の抵抗が下がっているという事実から
身の危険を感じ取ることができるように、
決断を下したときの姿勢や体の状態から
それが確固たるものかを解釈する。
糸井 なるほど。
池谷 これよりも、もう少し過去に出た論文ですと、
人の話を聞く姿勢の実験もあって、
これもおもしろいんです。
他人の話を聞くときに、ふんぞり返って、
腕とか組んで、足とか、でーんと投げ出して、
「ふーん、だからなにさ」っていう
なげやりな感じで聞くよりも、
身を前に乗り出して、
興味を示すような姿勢で聞くほうが、
同じ話を聞いたとしても、
おもしろく感じるんですよ。
糸井 へぇーー。
池谷 この実験結果も同じことで、やっぱり、
自分がこういう姿勢を取ってるという事実を
無意識の部分で認識してるんでしょうね。
糸井 そういえば、こないだぼくはツイッターに、
「ただ明るくしているというだけが
 どれだけ大事なことだろう」って書いたんです。
そしたら、ずいぶん大勢の人がよろこんでくれた。
池谷 ああ、はい。
糸井 たとえば
「ポジティブシンキングで行きましょう!」
なんていう言い方だと
ちょっとあやしくなっちゃうんだけどね、
でも、自分のことを、それこそ事実として
ひとつひとつ振り返ったときに、
おんなじ悩みを抱えているときでも、
やっぱり、明るく考えようって言って、
ちょっとでも、笑いながら考えたほうが、
やっぱりうまくいくんですよ。
池谷 ぼくも、それは正しいと思います。
糸井 ねぇ。
なんとなくそうなんだよなと思って
書いたことだったんですけど、
池谷さんの話を聞いていたら、
理にかなっているというか、
仕組みとして合ってたのかと思って。
池谷 そういうことって、原点回帰的で
「またか」と思ってしまいがちなんですが、
やっぱり大事だと思います。
あの、私の、ペンを横に噛む習慣の話って
まえにしましたっけ?
糸井 ‥‥それは?
 
(つづきます)
2010-10-05-TUE