では、お待たせしました、
ロサンゼルス・ドジャースの話に移りましょう。
この「ドジャース」という名前の由来は
もともとの本拠地であるニューヨークの
ブルックリンにあるんです。
当時、ブルックリンの街中を
トロリーバス(路面電車)が走っていて、
それを巧みに避(よ)ける人が多いということで。
避けるって動詞、知っていますか?
「dodge」 です。
避ける人たちで、Dodgers。
アメリカの自動車メーカーで
「Dodge」ってありますけど、
この意味から名付けていると思います。
ただ、ドジャースはブルックリン時代には
なかなか勝てず、ヤンキースに負けてばかりでした。
1958年にロサンゼルスに移ったんです。
MLBの球団オーナーっていうと、
今では複数の投資家が集まって
オーナーグループを形成することが多いんですけど、
この頃のドジャースはオマリー家が
球団経営していたんですね。
家族経営でブルックリンからLAへ。
MLBの中でも先陣を切って西海岸に移ったんです。
以前、ドジャースを取材した経験でいうと
選手だけでなく、球団のスタッフも
「自分たちは世界一の球団だ」という
プライドを持って仕事をしているという印象を受けました。
僕は「ドジャース=開明的かつ進歩的な球団」
だと思っています。
なぜ、そう言えるのかといえば、「初」が多いから。
西海岸への進出もそうですが、
黒人の大リーガーと初めて契約したのもドジャース。
ジャッキー・ロビンソン選手がつけた背番号42は
ドジャースだけでなく
今ではMLB全30球団で永久欠番です。
42番はマイノリティの社会進出の象徴
※になっているわけです。
※毎年、4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」
としてMLB全選手が42番をつけて出場。
実は、元MLBの選手が日本球界にやってくると
この42番をつけることが多いんですよ。
それはMLBでは42番をつけられないから。
あと、この球団は伝統的に
「国際部」がすごく強いんですよね。
象徴的なのは、1980年に
フェルナンド・バレンズエラという
メキシコ出身の投手を発掘し契約したことです。
バレンズエラは農場を経営する一家の12人兄弟の末っ子。
サウスポーでダイナミックなフォームで投げるんです。
入団翌年に、「フェルナンド・マニア」という言葉も
できたくらい大旋風を巻き起こして、
それ以降、ドジャースの主戦投手として大活躍しました。
調べたら毎シーズン250イニングぐらい投げたんですよ。
今ではありえないくらいに多いイニング数です。
もし、投球イニングを少し抑えておけば
もっと長く活躍できたかもしれませんね。
生涯成績で173勝と、200勝は達成できなかったけど、
ドジャースで鮮烈デビューした中南米選手の代表格です。
その後、国際部はアジアへも目を向けます。
1994年に韓国のパク・チャンホ投手を獲得したんです。
最速100マイル(約161km/h)の剛速球投手ですね。
「コリアン・エクスプレス」と呼ばれました。
ドジャースを皮切りに
MLBの多くのチームでキャリアを積んで、
その後、日本のオリックスでも投げましたね。
今年(2024年)3月末に開催された
MLBのソウルでの開幕シリーズ、
ドジャース対パドレス戦で始球式を務めたのは
韓国人初のMLBプレーヤーの彼でした。
そして、ドジャースが次に契約したのが日本人でした。
1995年に野茂英雄投手がドジャースと契約し、
ここから現在の大谷翔平選手たちへと続く
日本人メジャーリーガーの扉が一気に開かれたわけですね。
アメリカ以外の国からいい選手を見つけてきて、
しかも彼らが活躍する。
そういう先見の明のようなものがあるのが
ドジャースという球団なんですね。
日本のプロ野球チームとの接点も多いです。
読売ジャイアンツはかつてドジャースのキャンプ地である
フロリダのベロビーチでキャンプをやりましたね。
そのキャンプは戦術にも影響を与えました。
昔も今もMLBはパワーヒッターが多いイメージですが、
当時のドジャースはピッチャーが良かったから、
割と手堅い野球をやっていたんですよ。
他チームではあまり使われない犠牲バントとかが多くて、
盗塁も積極的にする感じ。
読売ジャイアンツは
1965年~1973年まで
V9(9年連続日本一)をしましたけど、
これは川上哲治監督や牧野茂ヘッドコーチなどが
当時出版されていた『ドジャースの戦法』という本から
学んで、それを実践したという面もあるのかもしれません。
もちろん王貞治選手や長島茂雄選手の存在は大きいですが、
チーム首脳の背景には“ドジャース”があったわけで、
そうなると9連覇するのもうなずけますよね。
中日ドラゴンズも一時期、ドジャースのキャンプ地を
使ったことがあり、ゆかりのあるチームです。
ちなみに、両チームのユニフォームは
デザインが似ていますが、ドジャースが先ですからね。
これを勘違いしている人が多いですが、
しっかり認識してほしいところです(笑)。
さて、ここで。
今、ドジャースと地区優勝を争っているチームを
ご紹介しましょう。
ドジャースが所属する
NL(ナショナルリーグ)ウエスト(西地区)は、
ロサンゼルス・ドジャース(LAD)
アリゾナ・ダイヤモンドバックス(AZ)
サンディエゴ・パドレス(SD)
サンフランシスコ・ジャイアンツ(SF)
コロラド・ロッキーズ(COL)
この5球団によって形成されています。
ドジャースはいつも地区優勝候補の本命で、
それを逃していても、
ワイルドカード
※でポストシーズンには
だいたい進出し続けていています。
※ワイルドカード=優勝を逃したチームの中で勝率の高い上位3チーム。
ちなみに英語で「本命」をなんて言うか。
「team to beat」 。
倒すべき相手という言い方をします。
これもMLB関連情報でよく出てくる表現ですね。
ドジャースの最大のライバルはどこかといえば
やっぱりサンフランシスコ・ジャイアンツですかね。
ジャイアンツも昔はニューヨークに本拠地があって
ドジャースと同じような時期に
西海岸に引っ越しをしてきたので、
伝統がありプライドがあるチームです。
往年の名選手にメジャーリーグで最高の選手のひとり、
ウィリー・メイズという外野手がいました。
彼のスーパーキャッチ映像も
YouTubeで検索すれば見られます。
6月に亡くなり、大きなニュースになりました。
ジャイアンツは2010年代に投打の力が安定して
2010年、2012年、2014年とワールドシリーズで優勝しました。
ちょっとドジャースを出し抜く形になっていたんですよね。
ただ、その後もいいチーム作りをしていて、
球団もたくさんお金を持っているんですけど、
最近はなぜか大物選手は獲得できない。
ニューヨーク・ヤンキースで本塁打王になった
アーロン・ジャッジ選手の獲得に乗り出したけど失敗して、
今回も大谷翔平選手や山本由伸投手がほしかったんだけど、
ドジャースにとられちゃった。
名門のジャイアンツは、ボールパーク(球場)もきれいで、
形状がちょっとユニークです。
ライトスタンドの向こう側が湾になっているから
ホームランボールがよく海に飛び込むんです。
それを目当てにカヌーで待機しているファンもいて。
あ、サンフランシスコは、夜行く場合は寒いので、
現地観戦の際は気をつけてくださいね。
最近、ドジャースとバチバチ状態なのは
サンディエゴ・パドレス。
このチームは打倒ドジャースで、ものすごく投資して
スーパースターを獲得しているんですよ。
ダルビッシュ有投手や、
ゴールドグラブ賞を2度受賞している
マニー・マチャド選手とか。
負けていても、
逆転できるポテンシャルを持っているチームですね。
あと、おもしろい存在なのはコロラド・ロッキーズ。
ここのスタジアムは標高1600mの高地にあって、
気圧が低く空気も少し薄いため、ボールが飛びやすく
ホームランが出やすいと言われています。
だからピッチャーは打たれて成績が悪くなるから
なかなか年俸が上がりにくいみたいです。
一時期強かったですが、今はちょっと厳しい状況ですね。
ドジャースと同地区の最後は、
アリゾナ・ダイヤモンドバックス。
今の日本の野球ファンにとっては
あまり耳なじみのないチームかもしれませんが、
実は去年、ナショナルリーグの代表として
ワールドシリーズに出ました。
これはもうダークホース中のダークホース 。
2022年まで日本のヤクルトスワローズにいて
MLBに復帰してここに移籍した
スコット・マクガフ投手の活躍もあって、
ポストシーズンではドジャースも破って
あれよ、あれよという間に勝ち上がりました。
残念ながらワールドシリーズでは負けましたけど、
あまりお金をかけずにいいチームを作り続けている印象です。
この5球団がしのぎを削っているわけですが、
さて、今シーズンはどういう順位になるか。
引き続き注目していきましょうね。
ドジャースはこれまでワールドシリーズ優勝は7度。
(1955年、59年、63年、65年、81年、88年、2020年)
前半戦、大谷は期待された通りの活躍をしていますが、
山本由伸、ベッツをはじめけが人が多いのが心配ですね。
今シーズン、
果たして8度目の優勝をつかみとれるのかが楽しみです。
ドジャースの打線を見ていると、
5回ぐらいで、たとえ5点負けていても
まだひっくり返せるような予感がする。
こういうワクワク感は日本の野球にはないのかなと
僕は思っています。
そんなドジャースは過去の映像でぜひ見てほしいのが
1988年のワールドシリーズ第一戦で
カーク・ギブソン選手が打ったサヨナラホームランです。
(「1988年 ギブソン MLB」で検索)
ケガをしていて走れる状況じゃなかったけど、
代打で出てきて、足を引きずりながらダイヤモンド一周。
MLB史に残る名シーンのひとつです。